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私は物心がついた時から、理由もなく自分が嫌いでした。
他人が誉めてくれてもお世辞だと思い、嫌われても平気で、今まで生きてきました。
2年程前からうつ病で通院しているため「自己嫌悪は病気のせい」と言われるのですが、それなら物心ついた時からうつ病だったはずです。
物心ついた時からうつ病の人というのはいるのでしょうか。
いないとしたら、子供のときから自分が嫌いだったというのはどういった種類の病気・症状なのでしょうか。
どうか教えてください。

A 回答 (4件)

 こんばんは。


 私も同じです。幼稚園の頃から明確な理由もなく自分が嫌いで仕方ありませんでした。他の子はなんでそんなに自分の存在に自信満々なの?といつも不思議に思っていました。
 
 うつ病は脳内物資が関係した病気ですので、もしかしたら生まれつきそういう傾向があって、幼児の頃から他の子に比べて元気が無かったり落ち込みやすかったりすることはあるのかもしれません(医学の知識はないので分かりませんが)。でも自己嫌悪という感情はある程度生きてきて、他人との比較や失敗の経験などから生まれる高等な感情のはずですから、いくらうつ病的要素があったとしてもそんな幼い頃から発生するでしょうか。「理由も無く」というのがそもそも変ですよね。うつ病から来る症状にしても、必ず「~だから自分はダメだ、嫌いだ」となるはず…。

 じゃあ、どうして?理由は簡単です。母親(物心つくまで育てた人)が嫌ったからです。赤ちゃんの頃、子供は自分と母親の区別が出来ないそうです。だから「母親が嫌う=自分が嫌う」であり、もちろん母親が自分を嫌う理由なんて分かりませんから、「理由も無く」嫌いなのです。そしてある程度大きくなっても母親が自分を嫌っているとは認められず(辛いですものね)、自分が嫌っていると思い込むのでしょう。

 もし不快なお気持ちにさせてしまったら、申し訳ありません。私も親に植え付けられた自己嫌悪感と戦う毎日です。質問者様が一日も早く「自分が嫌い」から解放されて楽になれるよう、心から願っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
自分と同じ考えの人がいたことに驚き、また頼もしく思います。私一人でなければ、一般的なもので治療や対処法が見えてくる気がするからです。
子供の頃の記憶が余り無いのも変なので、アダルトチルドレンを疑っていたのですが、母親との関係が問題であることは間違いないと思います。指摘されて初めて気づきました。
不快だなんてとんでもないことです、大変参考になるご意見で、よく考えさせて頂きたいと感謝しております。
また回答者様も戦う毎日との事、お察しします。一日も早く束縛から解放されるようお祈りします。

お礼日時:2005/01/28 23:16

再度の2です。



>>心の声に耳を傾けると「自分が嫌い」という雑音がいっぱいでほとんど何も聞こえません。
肯定的な発想は、まだ先のことになりそうです


違うんです。
そういう意味では無いんです。

自分が嫌いという雑音でいっぱいだったら、その通り実況中継すればいいんです。

なんとかしようとか、改善しようとか、前向きな自分に・・・なんて考えなくて良いんです。そういうように考えると自分の中が戦場になってしまうので、余計に駄目なんです。

「自分が嫌い」という雑音に気が付いたら。
「自己嫌悪しているこの感情を許します・・・・」です。


そのまんまの全てを受容するんです。

雑音を聞いて、反省している自分に気が付いたら「反省している・・・」と実況中継してから、「この感情を許します」です。


なにも考えなくて良いんです。
簡単でしょ?

本当にやってみてください。
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この回答へのお礼

再度のアドバイスをありがとうございます。
ただ、自分を嫌っているのは本当に感情的なものではないんです。
自己嫌悪している自分を許すということ自体、自分が嫌いなことを増長させますので、何も考えずにいるというのは私にとっては「自分が嫌」と考えつづけるのと同じ事です。
残念ですが、別の方法で出口を探してみます。
でも、丁寧にお答えしてくださったことに感謝します。

お礼日時:2005/01/30 19:25

僕もそうでした。


自分が嫌いで・・・
自信がなくて・・・

僕は喘息持ちで病弱でした。だから常に誰かの助けを
必要とした子供時代でした。

また、ある意味不幸に頭の切れる子でした。だから、
大人が自分に何を期待しているかを幼い頃から
わかってしまいました。

気がつけば僕は親にも、いえ、全ての人間の顔色を
伺う人間になっていました。加えて父は愛情表現が
とても下手な人間でした。

僕は父親がいないと死んでしまう、と本気で思って
いましたよ。母は僕の言葉をよく覚えていました。

でも、僕が自分を嫌いにならなくなったのは29歳に
なる少し前あたりからでした。
自分の力で生き始めた。自由になった。人の思惑に
あまりふりまわされなくなった。ありのままの自分で
楽しめるようになった。

すると・・・
いつの間にか・・・
自分の事が少し好きになっていました。
こんな日が来るなんて若い自分には想像すらできな
かった。
でも、僕は今でも不安になったりします。多分死ぬ迄
少しずつ自信をつけていくんでしょうね。自分の力を
頼りに生きて、時に自分の弱さをみとめながら。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
自分が嫌いにならなくなった方のお話を聞けてとても嬉しいです。
自分を好きになることができる希望ができ、希望がでてきました。自分の力で、自由になるのが目に見えるようです。どうもありがとうございます。

お礼日時:2005/01/30 19:16

本当は、自分が嫌いなのではなくて「嫌う発想をしているだけ」なんだと想います。


病気・症状というより発想の「癖」なのではないでしょうか?

発想の仕方が否定的な発想というだけであって、自分のことが嫌いなわけではないんだと想います。
発想の仕方を肯定的にすればいいだけなんです。


物事を肯定的に考える人は平常心、無心、無邪気、無垢になれます。
なぜならば、心の中が戦場にならないので、いつでも安静で、平穏でいられるからです。

そうなると脳の中も穏やかですから、癒し系のホルモンの働きも活性化してきてうつ病だって治ってしまう可能性があると想います。

ただし「大好き」になってはいけないんです。
なぜならば、「嫌い」も「好き」も脳にとっては同じ(同列)「昂奮」なので、あくまでも真ん中の平常心を目指すべきなんです。


平常心を養うには、心の中に起こる ”ありとあらゆる考え” を全部、受け入れることです。
たとえ、それがどんなに醜い発想でも、どんなに辛く、受け入れ難い発想でも、「この発想(感情)は私の大切な財産ですから、この感情と対立しません。この感情を受け入れます。認めます。許します。」と、冷静になるまで自分に宣言するんです。(気持ちが落ち着くまで宣言します)


「こんな宣言したって、意味ない!」と想っている自分に気がついたら「私はこの否定的な感情と対立しません。私はこの否定的な感情を許します。受け入れます。認めます・・・」です。

「馬鹿馬鹿しい・・」と想っている自分に気が付いたら、
「他人を愚弄しているこの感情を許します・・・・」です。


「そんなことやったって、私は駄目に決まっている」と想ったら、「この自虐的な発想と対立しません。この発想を許します。・・・・」です。


「よし頑張ってみようかな・・・」と想っている自分に気がついたら「私はこの肯定的な感情と対立しません。この肯定的な感情を許し、受け入れます・・・」です。

こうやって、ありとあらゆる否定的、肯定的な感情を許していって、自分の中に戦場を作らないようにします。

ですから、一日中、自分の心の中を見張って心の声に耳を傾ける必要があります。
最初は大変ですが、慣れれば平穏な心を取り戻せるようになると想います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
感情について具体的にアドバイスして下さり、もうちょっとしたら出来そうな気がします。
「自分が嫌い」というのは、感情ではなく、心にべったりこびりついて心の一部になってしまったようなものなので、心の声に耳を傾けると「自分が嫌い」という雑音がいっぱいでほとんど何も聞こえません。
肯定的な発想は、まだ先のことになりそうです。
例えを挙げての考え方をどうもありがとうございました。

お礼日時:2005/01/28 23:21

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