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女王卑弥呼の死後、卑弥呼の男妾が王となったら、暴力や争いに発展し国が乱れ、男性を退け、卑弥呼の娘イヨ(13歳の少女)が女王になったら国が平和になったそうです。
卑弥呼が産んだなら卑弥呼の直系であることは確実です。むしろ男は種馬なので、子孫繁栄にとって誰でも問題ありません。

A 回答 (14件中1~10件)

自分の結論ありきで話してるから論点がずれるんですよ


ネットで拾い集めたといいますが
逆にネットで分かるぐらいの情報は調べてくださいよ。
年代について産んでません
それに少なくとも発掘中の吉野ヶ里遺跡を見学に行き
整備後の吉野ヶ里公園にも行き
近所の工事現場子発掘現場周辺で黒曜石掘ったりするぐらいには古代には興味はありますし
文化人類学や宗教学、民俗学の単位もとっています
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もう一度、きちんと歴史を勉強して史実を見つめなおしてほしい。


当時は男尊女卑。
女性天皇は未亡人か未婚女性で男系女子。

こういうきちんとした原則に基づく史実を勝手に自分の都合のいいように
捻じ曲げて歴史を歪曲し、それを答えとして、回答者に押し付け、
それに合わないものはみな切り捨てごめん。

こういう人について行けというのが初めから無理。

まあそれが質問者さんの考える歴史理論というなら、勝手に歴史空想小説を創作してみたらですね。

あなただけが建てる只の好き勝手な空想歴史小説。

ほかの誰も信じぬ孤立無援ですね。

まったく呆れます。

卑弥呼は結婚などできず、子など絶対にいない。

イヨは宗女とあるが、これは次に来た皇女で日巫女の後継。

親子関係なし。いわば卑弥呼が初代祭主でイヨが2代祭主。

後世の斎王。斎王は天照大御神を祭祀するのが役目。
だから就任中は純潔を旨とし、結婚などの不浄は許されず、
辞職して、初めて結婚が許された。
そのため数々の恋愛悲話が伝えられている。

こういうものを壹から勉強してほしい。
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あなたは初めから答えを決めている。

しかもその答えは間違っている。
誤った回答を回答者に押し付けはいけません。
それではいつまでたっても正解は来ません。
最初に答えありきでは質問にならないのです。

卑弥呼は日巫女ですから、いうなれば、日の神を祀る巫女。
女性の神様の御神示をうかがう巫女。いわばイタコと一緒。
夫などいるわけないでしょう。

女王ということで後世にいう斎王。

斎王は皇族で未婚の皇女が成るもの。在職中は結婚不能。
女性天皇は未亡人か未婚女性限定。推古天皇とか持統天皇
皇極天皇・斉明天皇など。
だから神功皇后に当てはめようになったのです。
彼女も未亡人でしょう。夫の仲哀天皇が崩御すれば、もう夫はいませんよ。
まあ応神天皇が胎内にいたでしょうね。でも生まれるまでは娘か男かはわからずですよね。胎中天皇などという言葉は造語に決まっていますよ。

そもそもっ女性天皇でも男系女帝でしょう。

女系天皇などいませんよ。

男は種馬。失礼ですよ。侮辱しています。

そんな態度で日常生活うまく進行していますか。

男性を馬鹿にして旦那様を否定する。

これがあなたの態度なら初めから人間を辞めなさいと言いたいですね。

心を捧げ、生涯を共にするパートナーが種馬で誰でもいい。

馬鹿なことは言わないでください。

その前提をまず捨てることです。
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>女王卑弥呼の死後、卑弥呼の男妾が王となったら、暴力や争いに発展し国が乱れ、男性を退け、卑弥呼の娘イヨ(13歳の少女)が女王になったら国が平和になったそうです。



これね、大事な前提が忘れられています。それは「その平和な国には、外敵つまり異民族との戦争が無かった」ということです。

一応、気候学の専門家は「この時期、世界的に寒冷化が進み、食料を作れる農地を争っていたけど、卑弥呼という宗教的権威によって、地域全体の集積が図られて食糧問題が解決した」としています。

つまり当時の食糧難に対して、卑弥呼やイヨのように女性だから軍事的な能力を持たず、逆に宗教的な権威になることで、周辺地域を含めた全体の協力を得られたから平和=みんながそれなりにご飯を食べられる状態になったのだとされるわけです。

しかしこれは一時期の解決にすぎません。なぜならその後温暖化が進み、また食料の収穫高が上がったからです。そしてこれこそが男性優位になっていった理由でもあります。

温暖化で食料が増産されるというのは、同じ人数でたくさん食料が作れることと同じ面積でたくさん食料が作れる、事を言います。たとえば日本が温暖化して熱帯になれば、二毛作ができるようになり、単純に今のコメの収穫量が2倍になる、ということを意味します。

で、食料を飢餓時代と同じ人数でたくさん作れるようになると何が起きるかというと「生産に関わらない余剰人員が生まれる」のです。この余剰人員はなにをするかというと「兵隊になって国を守る」ことになります。

簡単に言えば「各地で食料生産量がふえたために、兵隊がふえ戦争をする余力が生まれた」わけです

こうなると後は「お互いに戦争をする」しかありません。神武天皇が実在したとすれば卑弥呼の後の時代の人ですから西暦300年前後の人物でしょうし、この頃は温暖化が進んだことが分かっています。(そして大化の改新の頃にまた寒冷化します)

当時は戦争が多発していた、ということになりその中でのちに日本全土を統一したののが天皇の始祖であった、ということです。

戦争ですから、男性が女性よりも優位に立つのは当然です。これが天皇家の始まりであり、男性が優先される理由です。
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平均寿命は乳幼児死亡率が高いという理由もあります


みんなが30歳ぐらいまでには高齢で、近いうちに死んでいる訳では無い

もし実子がいたとしても
年齢的に壱与は実子ではありません
卑弥呼の記録だと170~80頃にはその地位についており
240年代に死亡してるという話をしています
70代、80代まで生きているはずです
縄文人だって65歳以上まで生きた人たちもそこそこ居るんです


有力な女性が処女性が必要とは言ってません

実際の多くの神に使えるものや巫女にそういう方向が求められているという
歴史的文化的背景からはそう思えるということです
その辺は世界でも神道でもそうでしょう
あと、実子がいる記録はないからです
少なくとも子供がいる記録はない
男は実弟1人のみが、出入りし手伝って
たくさんの端女が仕えていた
という記録だけをみれば子供がいたと思わないというのが、読み取り方だと思いますが?

実子ではない壱与が跡を継いでいるのもそのためでは?

もし処女じゃなかったとしても
実子が他にいたとしても
少なくとも壱与は実子ではありません
ぎゃくに何故それを認めないんでしょうか

女性なのにといいますが
個人的に処女性はどうでもいいし、子孫を残したければ残せばいい
有力者が子をなすことを、個人的には否定しません

でも自分の主義主張と、歴史的な記録から読み取れる事実を述べることは別でしょう?

卑弥呼が高齢とかかれたであろう記録の時代から
没年まで何十年とあります。
あなたの言うように30代で高齢と言われたとしても死んだのはその40年ぐらい後です。
その辺はどう説明しますか?

その後揉めたから立てた女王が13歳ぐらい
その子が実子な訳が無い

あなたの話では実子であってほしいから
そこを変えられないんですよね

とにかく男社会の処女性だなんだとは置いておいても
卑弥呼は壱与を産んでません。
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この回答へのお礼

ネットの情報拾い集めて、持論のように言うのやめてくださいよ。
確実なものは一つもないのだから。

お礼日時:2020/10/11 00:25

子供がいなかったことは否定しない



だから居なかったってことでしょう

女が本能だけで生きている訳ではありませんから
あなたの持論からの憶測に過ぎませんね
まして、ご神託受けるものなら
一族の女以上の処女性を求められたと思いますし

そもそも年齢がおかしいのに実施の可能性って、どういうことですか?

自分の中で答えを決めてる人と話しても意味が無いですね
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この回答へのお礼

なぜあなたは、女性なのに、力のある女性の処女性や、その女性が子を設けることを否定し、それを求められていたに違いないと押し付けるのですか?
それこそ、あなたが女の本能で生きている証ではありませんか?

この頃の平均寿命は30才(高齢)くらいでした。

お礼日時:2020/10/10 21:34

国が乱れていたことでなく


卑弥呼が壱与を産んでないという話をしています
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この回答へのお礼

卑弥呼に子がいなかったことは否定しないのですね。女は本能で自分とその子の遺伝子を残そうと必死になるものです。跡目争いでは、父親より母親の方が強い執着心を持っています。イヨが娘であってもおかしくはないでしょう。

お礼日時:2020/10/10 21:07

卑弥呼は明(古代中国)がつけた蔑称です。

本来は日御子だといわれています。
つまり、今でいうシャーマンのような祈祷師のような存在だったので、特別神聖視されていた可能性は高く、子供はなかったのでしょうね。
主に卑弥呼の弟が助けたという話は聞きますね。

そもそも古代の日本は一族支配が主に行われていたので。
娘といっても卑弥呼の同族の子供でしょうね。

昔の日本人はそれはもう血の気が多かったそうで、野蛮人といっても過言ではなかったそうです。
しかし、それでも、どちらかというと古代の日本男性は女性を神聖視し大切にしていたので。能力さえあれば女性のリーダーであろうと男性のリーダーであろうと認めるという器がありました。
女性も男性も共に助け合う、よく出来た人々だったのです。

ただ、世界的には男尊女卑傾向があったため、貿易等の交流で徐々に日本本来の思想が失われてしまったのだと思いますね。

せっかく古代の日本人は最先端の思考を持っていたというのに、完全な能力主義を手放した点では惜しいですね。
海外の文化の影響を受けすぎた結果ですね。
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この回答へのお礼

女性天皇は結婚を禁止され、女性天皇の子は跡を継げない。ひどい話ですよ。

お礼日時:2020/10/10 20:58

処女性となんの話しが関係あるんですか?


夫がいなくて婚外子だったとしても
没後国が荒れてそれから連れてきた壱与の年齢から
卑弥呼の実子はありえないだろう、と話してるんです。

自然の摂理ってなんですか?
男は種だからという原理だと、ハーレム性になることも少なくないし
雄が他の男の子供を皆殺しにして種つけする動物も少なくないです。
複数のメスに産ませ、本妻以外は切り捨てるため、メス同士が相手の子を殺す
オスが誰の子かわからないからわが子かもしれない者も含めて子供を皆殺しにする
そんな自然の摂理もたくさんありますが?

処女性を求めるのは男系社会だから、というのは確かですが
庶民ではそこまででもありませんでしたし
母系で、雄は種でしかない、というのを優先する社会が
必ずしも平和や女性優位をもたらす訳ではありません
メスがほかの雄と交われないようにひたすらついてまわる生き物もいますから
自然の摂理でも、その辺はオスもこだわることはありますよ

この頃なら30代ぐらいでしょとか、適当なことでなく
きちんと資料読んでください
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この回答へのお礼

卑弥呼が治めていた時代に、そのように国が乱れていたことが資料に書かれていたのですか?

お礼日時:2020/10/10 20:54

だから、色んな資料の中の卑弥呼が記述され始めた時期から計算してと言ってます


力は入れてません、勝手に男には分からないといいますから

男は悪く女なら良いというのもおかしな話
その時争いが収まったからといって
いつでも女が上に立てば平和な訳では無いです

かなりの高齢、夫なしと記載
170年代~180年代あたりで既に王
没年は240年代です

私も前の方同様豊鍬入姫だと思いますよ
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この回答へのお礼

女性の処女性が求められるようになったのは、男性支配になってからだと思われます。少なくとも古来神道には自然の流れに逆らうような考え方はなかったと思われます。

お礼日時:2020/10/10 20:33

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