最速怪談選手権

ショウペンハウエルの『読書について』を読んでから、自分で考えられることがあるのか疑問に思ってます。
また、マーク・トウェインの『人間とは何か』を読んでから、自分で考えてはないんじゃないかともっと疑問を深めました。
何を考えても、誰かの思想をなぞっている風にしか取れなくなりました。
それに、哲学の授業であることが疑問になっても、似たような質問を他の人がしていることが多く、同じような思想体系が形づくられているのかと思うことも多いです。
著作権があるくらいだから、ある条件で自分の考えと呼べることもあるんじゃないかとは思うんですが、それならどういうことが著作権にひっかかるのか、どこまで自分の考えだと言い張ることができるのか、と疑問になります。

人は自分で考えられることができるんでしょうか。
後、自分で考えることについて、参考になる本があったら教えてください。

A 回答 (12件中11~12件)

大前提となることについて二つの勘違いがあります。


 一つは「知」についてです。
 そもそも「知」とは、自分の苦しみ、自分の周囲に対する矛盾を
 知ろうとするところから生まれるものです。
 その意味でどんな方向への「知」への欲求であろうとそれは必ず
 あなたにとって切実であり、必ずユニーク、オリジナルなものです。
 それはあなたが他人とどんなに似通った点があろうとあなたの存在が
 必ずユニーク、オリジナルであるのと同じです。

 つぎの勘違いは前項とも関連しますが、「新しさ」に
 関するものです。
 「新しさ」とは何も突然まったくの「無」から「有」が
 生まれるものではありません。
 組み合わせの新しさが「新しさ」を生むのです。

 哲学的真理というものは、人類が存在する限り太古の
 昔から繰り返されてきたものです。
 宗教的真理も同じです。
 それが時と共に形骸化し、命を失い、誤謬に満ちたものと
 なった時にまた新たな存在が出現しかつての哲人の至った真理を
 その人の時代や地域の状況に応じて「復活」させるという
 形を取るのです。
 あなたがあなたという「新たな」存在として存在している
 ということそのものが「新しさ」を生む価値を内在させているのです。
 
 
 
 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「知」と「新しさ」の勘違いですね。
「知」がユニーク、オリジナルという考えが出てきてませんでした。
知は辞書というイメージでした。
けど、覚える人、その人固有の体験によって解釈がちがくなるってことでしょうか。
例えば、みんなが一つの辞書ではなく、それぞれの辞書を作り上げてるような。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/08 01:09

ははは、私もマーク・トウェインの呪縛(勝手に


こう呼んでます。^^)に捕まってはや、10年。

「人間とは何か」では、
人は自分で考えられることができないみたいですねー。
自由意志完全否定本ですから。

うまく言えませんが、年をとるたびに読み返すたびに
少しずつ違った見解も見えてきますよ。
たまに読み返すので、この本は4,5冊持ってます。

著作権にかんしては、早い者勝ちとか、時代背景で
微妙な違いが書かれていたりするので、一概には
いえません。
むしろ、そういう考えは昔からあるけど、それを一つの
系統にまとめたのが、その人の価値という事になるので
しょう。
絵の具って、いろいろな色があるけど、混ぜた色って
どの色でもないじゃないですか。
水の入れ具合や、微妙な混ぜ具合がその人によって
違って。
それと同じじゃないかな?

でも、この手の疑問は納得するまで、長引きますよ。(笑
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私もこの疑問にはまって、二年くらいが経っています。読み返してみるのもよさそうですね。
納得できたらいいなぁ。ありがとうございます!

お礼日時:2005/02/08 00:58

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す