1. オシへをふつう一般に持たれる経験思想であるとしてまなぶ分には 何の問題もない。
2. オシへは 人間の言葉で表わされた思想であり《考える》べきものであるのに 《信じる》ものとする・すなわち無条件で心に受け容れるものであると言い張るなら それは 思考停止の状態に入ることである。
3. オシへを神として思考停止の状態に入り しかも――組織宗教にあってヒエラルキアなる上下の権限関係のもとに――そのオシへを同じく信じなさいと説くのは ものごとの判断がままならぬ精神の状態に落ち入ったことを意味する。
4. 宗教という宗教は――そのオシへを神とするかぎり―― アホンダラ教であると批判せざるを得ないのではないか?
A 回答 (30件中11~20件)
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No.16
- 回答日時:
人間には最期、死が待ち受けているから、救済される筈です。
死後の世界すら、救済されないとする、宗教の意味が分かりませんね。死後ですら、裁きに逢わねばならないとする宗教とは、結局、人が此の世に誕生して、何の幸すら、ない、此の世に生まれてくる意味もないと冷酷に言い切っているのが宗教じゃないんですかね。
新約ということについて。
▲ (へブル書 8:7-13 ) ~~~
もし初めの契約に欠けたところがなかったなら、あとのものが立てられる余地はなかったであろう。ところが、神は彼らを責めて言われた、
「主は言われる、見よ、
わたしがイスラエルの家およびユダの家と、
新しい契約を結ぶ日が来る。
それは、わたしが彼らの先祖たちの手をとって、
エジプトの地から導き出した日に、
彼らと結んだ契約のようなものではない。
彼らがわたしの契約にとどまることをしないので、
わたしも彼らをかえりみなかったからであると、
主が言われる。
わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれ である、と主が言われる。
すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、
彼らの心に書きつけよう。
こうして、わたしは彼らの神となり、
彼らはわたしの民となるであろう。
彼らは、それぞれ、その同胞に、
また、それぞれ、その兄弟に、
主を知れ、と言って教えることはなくなる。
☆ オシへは 要らなくなる。
なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、
彼らはことごとく、
わたしを知るようになるからである。
わたしは、彼らの不義をあわれみ、
もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。
(エレミヤ書 31:31~ )
☆ 罪は わすれちゃったよと神が言う。
神は、「新しい」と言われたことによって、初めの契約を古いとされたのである。年を経て古びたものは、やがて消えていく。
~~~~
No.14
- 回答日時:
#13
私が採用としては、端からの戦力外通告だと判断し、私を社会から葬ったのは、コマツの本社人事部です。
93年、バブル経済が崩壊し、私が今の私に至るであろうことは、コマツ人事は或る程度、想定内での判断が今の私です。
最悪、殺してしまえ、ホトトギスです。
私は、一生を棒に振り、意味もない人生を送ることになったのです。その道は只管苦しみの道であり、私はコマツから僅かな和解金を頂き、司直としても、私の余生は保障外という判断です。
結局、私は自ら死を選ぶしか選択の余地がないのでしょうか。
★ 私が採用としては、端からの戦力外通告だと判断し、私を社会から葬ったのは、コマツの本社人事部です。
☆ したがうならば そういう戦術を確信犯として採ったのでしょう。
★ 93年、バブル経済が崩壊し、私が今の私に至るであろうことは、コマツ人事は或る程度、想定内での判断が今の私です。
☆ 何らかの和解をしておいて 見放すという初めからのはかりごとでしょう。
★ 最悪、殺してしまえ、ホトトギスです。
☆ うまく会社に責任のかからないように ということでしょう。
★ 私は、一生を棒に振り、意味もない人生を送ることになったのです。その道は只管苦しみの道であり、私はコマツから僅かな和解金を頂き、司直としても、私の余生は保障外という判断です。
☆ そういう人生として 受け留めます。
★ 結局、私は自ら死を選ぶしか選択の余地がないのでしょうか。
☆ そういう相談には乗らない方針です。
No.13
- 回答日時:
#12
人を何故、殺してはいけないのか。
明確な命題、解答はないとのことですが。
平和な社会に於いては、殺人行為は刑法に抵触するし、倫理上も殺せないからに相違ありません。
ですが、
私がコマツに入社した当時の直属上司は、指定暴力団に文句があるのか、と直属の部下である、私に脅しをかけ、私は連日のように、暴言、暴行を浴びることにより、精神疾患を発症。
実社会から落後しました。
そのことについて、直属上司を始め、コマツに贖罪意識は全く、感じられませんでした。
寧ろ、私に一方的に非があり、私の一身上の問題と位置づけ、財力に物を言わせて、私を社会から抹殺しようと企んだのでした。
私は、生きて行く上で不必要な苦しみを受けることになり、私の人生は真っ暗です。
一体、私の何が問題だったのか、企業の内部は、密室であり、嘘が真に化けるということですね。
○ 人を何故、殺してはいけないのか。
★ 平和な社会に於いては、殺人行為は刑法に抵触するし、倫理上も殺せないからに相違ありません。
☆ 法に抵触して死刑になってもかまわない それは 人間の自由であるという反論があると思われます。
★ ~~~
私がコマツに入社した当時の直属上司は、指定暴力団に文句があるのか、と直属の部下である、私に脅しをかけ、私は連日のように、暴言、暴行を浴びることにより、精神疾患を発症。
実社会から落後しました。
~~~
☆ 筋が少し違うかも分かりませんが:
【Q:宗教が屁の河童だとなれば 患う人びとの半分は元気になる】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12107823.html
☆ をかかげました。
★ そのことについて、直属上司を始め、コマツに贖罪意識は全く、感じられませんでした。
☆ 看板をかかげた宗教ではないのですが いわゆる《クウキ(同調圧力)》も クウキ教としてのようにはたらきます。文字通り 脅しによって《思考停止に落ち入らせます》。
★ 寧ろ、私に一方的に非があり、私の一身上の問題と位置づけ、財力に物を言わせて、私を社会から抹殺しようと企んだのでした。
☆ 弁解や説明づけは 何とでもできると見ておかなければならないほどの――無効の――チカラが クウキ教支配にはあります。
証拠を 被害者の家なら家に隠しておいて それを探させるというプロットを立てるくらい 朝飯前なのでしょう。
★ 私は、生きて行く上で不必要な苦しみを受けることになり、私の人生は真っ暗です。
☆ そう言えるくらいなのは まだいいほうなのでしょう。
★ 一体、私の何が問題だったのか、企業の内部は、密室であり、嘘が真に化けるということですね。
☆ 人ひとりのチカラは まったくの無力だということです。
有効な意志や努力が 無効なる有力者の前には 風前のともし火に同じだという現実です。
No.12
- 回答日時:
宗教と哲学を専門とした方の発言ですので、貴重です。
まぁ、釈尊像は、宗派に依って、バラバラです。
Jesus像も宗派によって、バラバラですが。
《なぜ人は人をころしてはいけないか》 この命題は 必ずしも明快に答えが得られていません。
しかしながら だからと言って《なんぢ ころすなかれ》という律法の命題を倫理規範とし さらにはオシへとして しかもこれを遵守することを絶対命令とすることによって 解決がもたらされるか? と言えば 否です。
この倫理命題を《信じる》ことによっては そこで思考停止なる状態に落ち入るだけであって 何も人間性の自由で十全な発揮にとってよいことは 起きません。
それどころか その思考停止は 組織宗教の中で権限関係を信仰の深さという――じつは測りがたい内容にもとづく――基準で聖なる叙階ヒエラルキアとして構築し このような人間関係の中に《人間性》を閉じ込める。
これは 根本的なマチガヒです。
ルウタ―は これを批判して 万人司祭を説きました。でも 《司祭》なんです。聖職者のヒエラルキアは 変わっていない。
ちなみに親鸞は みな同朋だと言いました。その所為で 真宗の組織はすでに跡形もなくというほど消滅しました。けれども 信仰にとってそのような組織からの自由が 正解なわけです。
かなり勢力をもった本願寺を築いたのは その後に出た蓮如という阿呆です。政治的勢力でもあることを 実質的にゆるしました。
宗教批判は 宗教改革ではダメなんです。宗教――組織宗教――の壊滅が 答えです。
No.11
- 回答日時:
別に神にかぎったことではない、ただの権威主義。
よく経営のはなしだと松下幸之助がこれこれこうといった
という話をよく耳にするが、内容が重要であれば
「幸之助いらなくね?」とよく思う。
逆に幸之助という前フリがなくても内容がよければそれは
オシエなので、ふりかえって仮に神が云々があっても
アホンダラであると決めつけるのは早合点
ご回答をありがとうございます。
☆☆ 2. オシへは 人間の言葉で表わされた思想であり《考える》べきものであるのに 《信じる》ものとする・すなわち無条件で心に受け容れるものであると言い張るなら それは 思考停止の状態に入ることである。
☆ 神に限らないと こういう問題は生じない。
★ オシエなので、ふりかえって仮に神が云々があっても
アホンダラであると決めつけるのは早合点
☆ 《神が云々あっ》た場合にこそ オシへを信じることになるゆえ――たとえ《内容がよくても》―― 思考停止の状態に落ち入るのです。
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