一回も披露したことのない豆知識

江戸の町は悪臭が漂っていたと考えられますか?
将軍が住む城内では、特別な下水施設が整っていたのでしょうか?

A 回答 (5件)

広大な大名屋敷などは普通だったでしょうが、庶民が暮らす長屋や貧民窟は悪臭が漂っていたでしょう。


江戸の清潔伝説を盲信している人もいますが、衛生観念が全くなかったので、便所のすぐ隣に井戸があるのが普通で、赤痢やコレラはあっという間に爆発的感染をしています。
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何をもって「悪臭」とするかによるかもしれませんが、例えば、発展途上国などの江戸時代レベルの町に行ったからといって、そこが悪臭に満ちているとはまったく限りません。

むしろ、悪臭は殆ど感じないのが常で、強いて言えば、屋外で料理をすることが多いので、炭や食べ物の匂いが目立つという程度です。水洗設備のない公衆便所もさほど臭くはないです。たぶん、糞尿を有機物が吸収するからでしょう。

一方で、先進国の繁華街ではどの国でも、たまに公衆便所くさい一角があり、それは、舗装された地面に誰かが勝手に排尿するからです。しかし、土や草の上に排尿すれば、土や草が汚物を吸い込んで濾過してくれて、バクテリアが汚物を分解するので、あまり臭わないのは、日本でも簡単にわかります。

もちろん、市場では夕方になると、魚や肉の生臭さが、ある程度は充満しますが、江戸時代にはあまり肉を食べませんでしたので、肉の生臭さはあまりなかったはずです。また、1980年くらいまでの日本人は、週に数回しか体や頭髪を洗いませんでしたが、皆、それほど臭くありませんでした。これは食べ物や環境のせいだったのではないかと思います。

ちなみに東京都が最も臭かったのは1970年代だったのではないかと、経験から感じています。公害が甚だしい時代でもありました。
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江戸時代では、城内、城下、どちらも形式は置いといて、トイレでの排泄物は汲み取り、農業への利用が主となっています。

また、その頃に公衆トイレもできています。下水道(どぶ)はトイレの排泄物を流していたのではなく雨水や洗い物などで出る汚水などを高低差を利用し近くの堀や川へ流していたそうです。当時は現在のように化学洗剤などもないため下水と言えど今のように汚くはなかったと思いますが、トイレの周辺のにおいは今と同じく臭いと思います。最初に述べた、形式ですが将軍が使うレベルとなると、寒い冬には火鉢が置かれ暑い夏は女中が扇子であおぎ、女中が柔らかくもんだ紙できれいに拭いてくれるとのこと。小便器には杉の葉が敷き詰められていた人もいたそうです。ドアが上半分開いており、横にごみ溜めがある庶民とは大違いですね。将軍、何ともうらやましい限りです。                             長々しくすいません
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江戸時代には、今の様な糞尿を流す下水施設は、江戸城にもありませんでした。

 江戸時代には糞尿は肥料としての商品であり、糞尿は庶民の長屋も江戸城も、全て専門の業者によって汲み取りで処理されしました。 長屋の台所から出る排水や洗濯排水などの生活排水は露路に作られた溝(どぶ)に流れ、そこから道路に作られて下水に流れて行きました。 基本的に江戸城も同じでした。  糞尿はちゃんと地下に溜められていたし、今の様に生ごみがどんどん出るような時代ではなかったゆえ、江戸の町に悪臭が漂っていたと言うことはないでしょう。 江戸時代末期に江戸を訪れた外国人の多くは、江戸の町が清潔に保たれ、町にゴミが無いことに感銘を受けたことを書き記しています。
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今の日本の都市より臭かったと思います。



嗅覚は感覚器官の中でも一番鈍磨しやすい感覚なので、住民は臭いとは思わずに生活していたでしょう。
現代に日本人がタイムスリップして、いきなり江戸の町人町や長屋に迷い込んだら臭くて耐えられないかもしれません。

江戸城内は、それなりに人手をかけて清潔を保つようにしていたと思います。
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