性格いい人が優勝

国家の主権は本当に人民の手にあると思いますか?

A 回答 (12件中1~10件)

ありません。


(若しかしたら、一瞬だけ存在するかも知れません。)
民主主義の定義が定まっていない為に起こる錯覚です。
国家の主権=権力です。
国民は選挙によって選ばれた者へ権力を委任します。
選挙の結果発表の時点で、国民は権力を委任者へ渡したと考えます。この譲渡期間は次の選挙までです。一瞬だけと言ったのは「前権力者-->国民-->次権力者」この順番を踏む為です。前権力者は次権力者を決める権限は無いため、次権力者へ直接移動したとは考えません。
「民主主義とは国民が公正な選挙を通じて国家権力への参画を行う」これが定義です。
権力が国民にあると錯覚すると、混乱・暴動へ発展する可能性があります。民主化と称してデモを起こしたアラブの春やカラー革命は、この錯覚を利用して、人民を煽りたて偽民主化デモで政権を倒壊させました。これは暴力です。結果、混乱が今でも続いています。
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ありません。

ただ、謳ってあるだけ。
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ヨブ記:第1章


1 ウヅの地にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。
2 彼に男の子七人と女の子三人があり、
3 その家畜は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭で、しもべも非常に多く、この人は東の人々のうちで最も大いなる者であった。
4 そのむすこたちは、めいめい自分の日に、自分の家でふるまいを設け、その三人の姉妹をも招いて一緒に食い飲みするのを常とした。
5 そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。
6 ある日、神の子たちが来て、主の前に立った。サタンも来てその中にいた。
7 主は言われた、「あなたはどこから来たか」。サタンは主に答えて言った、「地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました」。
8 主はサタンに言われた、「あなたはわたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか」。
9 サタンは主に答えて言った、「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
10 あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか。あなたは彼の勤労を祝福されたので、その家畜は地にふえたのです。
11 しかし今あなたの手を伸べて、彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。
_ .


 垣根と繁殖のものがたり、なのかもしれないですね。 強盗が出現したり、天井落下とか、天変地異の 様相も、あるようですが。
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社会主義じゃあるまいし


人民ではなく、国民ですね。


国民主権というのは、その国の最終的
政治意思決定権が国民にある、という
意味です。

しかし、その国民は政治の素人です。
情報も持っていません。

そんな国民が政治的意思を決定したら
国家は滅茶苦茶になります。

それで、政治の専門家に施政を委ねた
わけです。




国家の主権は本当に人民の手にあると思いますか?
  ↑
これはあくまでも「建前」です。

現実とは異なります。
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国民主権、ですから、ありますよ。



問題は、国民の中に、マスコミ等の反日勢力の
プロパガンダに影響される人が、少なからずいる、と
言うこと。

それでも、大多数の、健全な国民が、国民の民意を
反映させている。
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建前では選挙権ですが、糞が選ばれちゃうので無いのと同じですね。



日本に必要なのは議員の権利を決める機関が必要です。
マトモな議員を想定した今の制度では限界が来ています。
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自民党を頂点としたピラミッドで形成される利益団体に主権はあります。

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マスコミの手にあると思います。

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あると思うよ。



間接民主制国家における「国民主権」とは、具体的には「選挙権」ならびに「被選挙権」のことである、。
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本当にあるかどうかはどうでもいいのです。

人民がそう思ってる状態に価値があるのです。
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