(ア)この文における格助詞「に」は、「始まる」という「動作の着点」が「5時」であることを表している。
と言えます。ある方から、
◆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
客体的な時刻を表すのが「5時」であり、この時刻の位置付けの認識を表すのが格助詞「に」です。対象としての時刻自体を表しているのが「5時」です。
この相違が理解できないために、客体自体を表す「着点」という語を使用し時刻を「動作の着点」などと言い換えて誤魔化しているに過ぎません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◆
といった趣旨の反論をいただきました。
しかし、私の解釈(ア)とこの反論(◆ー~ー◆)で述べられている内容のどこに「相違」があるのかよく理解できません。
同じことを言っていると思うのですが、その根拠は下記のとおりです。
【根拠1】
『客体的な時刻を表すのが「5時」であり』とおっしゃっていますので、
《5時=客体的な時刻》である、とおっしゃっていることになりますよね?
次に、
【根拠2】
『客体自体を表す「着点」という語を使用し』とおっしゃっていますので、
《着点=客体自体》というご見解なのですよね?
以上のことから、
【根拠3】
「5時」が客体的な時刻であるならば、
「5時」を「着点」という客体自体である、と認識することは可能ですよね?
諸賢の解釈をお聞かせいただきたくお願いいたします。
A 回答 (33件中11~20件)
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No.23
- 回答日時:
No.22 に加えて
「天の香具山」は豊後別府の鶴見岳
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=18000&id=959 …
を載せましたが、hakobuluサンのような言語観からはこうした批判は不可能になると考えています。■
No.22
- 回答日時:
>>以下は大辞泉の語釈です。
例文をそれぞれの語釈に則って解説してみました。
正しいですか?
間違ってますか?
【で】(1)動作・作用の行われる場所・場面を表す。
「デパートで買い物をする」
この格助詞「で」は、《「買い物をする」という動作の行われる場所が「デパート」である》という話者の認識を表わしている。
【に】(1)動作・作用の行われる時・場所を表す。
「会議は5時に始まります」
この格助詞「に」は、《「始まる」という動作の行われる時が「5時」である》という話者の認識を表わしている。
何度同じことを聞かれるのでしょうか。全て誤りであると最初から指摘し、過去にも何度も回答し、
この文における格助詞「に」は、会議の始まりを5時と時間的に位置付ける認識を表しているもので、格助詞「に」の意義は時間的・空間的な位置付けの認識を表すものです。
とNo.20で回答した通りです。良く、読み比べ理解して下さい。■
No.21
- 回答日時:
No.20 のお礼に応えて
>>格助詞「に」の意義は時間的・空間的な(着点としての)位置付けの認識を表すものです。
と表現するほうが、より本質的意義と言えるのではないか、というのが私の見解です。
No.20 で念押しした通り、それは文の意味でしかなく「より本質的な意義」ではありませんよと最初から言っていますが?
>>「に」は着点を表わす
を最初から批判し直しますか?
No.20に記した通りでいまさら何をということです。最初から誤りと批判しておりようやく理解いただけたものと考えておりますが?
No.20
- 回答日時:
同じことを繰り返されるのが心配なので、もう一度念を押します。
会議は5時に始まります。
この文における格助詞「に」は、会議の始まりを5時と時間的に位置付ける認識を表しているもので、格助詞「に」の意義は時間的・空間的な位置付けの認識を表すものです。
このように、最後の<格助詞「に」の意義は時間的・空間的な位置付けの認識を表す>には、「会議」も、「5時」も「始まり」も入っていません。これが、辞書が明らかにすべき規範としての語の意義です。■
ご回答ありがとうございます。
>格助詞「に」の意義は時間的・空間的な位置付けの認識を表すものです。
:
でしょうね。
それを否定したことは一度もありません。
ただ、
格助詞「に」の意義は時間的・空間的な(着点としての)位置付けの認識を表すものです。
と表現するほうが、より本質的意義と言えるのではないか、というのが私の見解です。
アスナロウさんが、これを否定するので、わかりやすくするために例文を持ち出して今まで論じてきたのではないんですか?????
今さら、何をおっしゃっているのです?
苦し紛れのちゃぶ台返しとはみっともないですな。
#18のお礼欄をご覧の上、適切なる応答を返されますよう期待いたしております。
それとも、
「に」は着点を表わす
を最初から批判し直しますか?
No.19
- 回答日時:
>>格助詞「に」の意義とは何か
もう一度年を押しておきますが、【格助詞「に」の意義】を論じているのか、文での他の語との繋がりによる意味を論じているのかをきちんと自覚して下さ
×(ア)この文における格助詞「に」は、「始まる」という「動作の着点」が「5時」であることを表している。
は、<この文における格助詞「に」が、「始まる」という「動作の着点」が「5時」であることを表している。>とはならないのです。辞書に書かれるべき格助詞「に」の意義は、「始まる」とも「動作の着点」とも「5時」とも何の関係もないということです。■
No.18
- 回答日時:
1
>>答えは、
《「始まる」という「動作の【着点】」=「5時」》です。
「に」は、《「始まる」という「動作の【着点】」=「5時」》であることを表している。
ですよね。単なる同義反復で、要は《「に」=【着点】=「5時」》と言っており、都合応じて《「に」=5時》と言っているわけではない!とか《「に」=「動作の【着点】》とか言い換えているだけで、
「に」は、客体的表現である【(着)点】や【時刻=「5時」】を表していると言われているに過ぎませんよね。
先にも、最初からも何度も指摘している通り、
×>(ア)この文における格助詞「に」は、「始まる」という「動作の【着点】」が「5時」であることを表している。
これは文での意味であり、格助詞「に」自体の意義ではありません。なぜなら、「に」自体は「始まる」、「5時」とは何の関係もなく、これらの語とは無関係に語としての意義を持っているからです。この点に是非ご留意願います。
>>「に」は、《「始まる」という「動作の【着点】」=「5時」》という話者の主体的認識を表現するために使われている格助詞だ、ということでもある。
話者の個別の認識の表現であって、上記の通り主体的認識を表現す語である格助詞「に」自体の規範としての意義を表すものではありません。
2
>>ここは「に」の意義云々ではなく、「表わす」という日本語の意味を確認するのが目的です。
なので、今の議論に持ちだす意味はありませんよね。格助詞「に」自体の意義は「表わす」という日本語の意味とは何ら関係がないので。
つまり、hakobuluさんは格助詞「に」自体の規範としての意義とは何の関係もない「表わす」という動詞の意味を何か格助詞「に」の意義と関連があるという勘違いをしておられるのではありませんか?☜ここ最重要!!!
ということです。
3
<地球=動作の【着点】>の地球という客体と格助詞「に」自体の意義と何の関係があるのですか?
それは、『地球に住む生命体』という文の意味でしかありません。
話者の主体的認識を表現と言われているのは上に指摘の通り文の意味に対応する認識で、話者の主体的認識を表現する規範としての語である格助詞「に」自体の意義ではありません。
ここが、何度も指摘しているように意義と意味をごたまぜにし混交し論理が逆戻りし、錯綜する地点ということです。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>「に」は、客体的表現である【(着)点】や【時刻=「5時」】を表していると言われているに過ぎませんよね。
:
アスナロウさん、それは明らかに違うんじゃありませんか?
最初から間違っていると決めつけずに、日本語として素直に読んでください。
「に」は、(話者の認識が)《「始まる」という「動作の【着点】」=「5時」》であることを表している。
という意味です。
こちらの表現不足だということなら、お詫びして、このように訂正しますが、これなら文句ありませんか?
2.
>>「に」は、《「始まる」という「動作の【着点】」=「5時」》という話者の主体的認識を表現するために使われている格助詞だ、ということでもある。
話者の個別の認識の表現であって、上記の通り主体的認識を表現す語である格助詞「に」自体の規範としての意義を表すものではありません。
:
《「始まる」という「動作の【着点】」=「5時」》
というのは話者の主体的認識ではない、とおっしゃるのですか???
3.
×>(ア)この文における格助詞「に」は、「始まる」という「動作の【着点】」が「5時」であることを表している。
これは文での意味であり、格助詞「に」自体の意義ではありません。なぜなら、「に」自体は「始まる」、「5時」とは何の関係もなく、これらの語とは無関係に語としての意義を持っているからです。この点に是非ご留意願います。
:
「に」の意義は、個別の文の中には反映されない、とおっしゃっていますか?
では、個別の文に関連して「に」の意義を述べることはできないのですね?
4.
>なので、今の議論に持ちだす意味はありませんよね。格助詞「に」自体の意義は「表わす」という日本語の意味とは何ら関係がないので。
:
まったく違います。
『会議は5時に始まります』で、
「に」は、《「始まる」という「動作の【着点】」=「5時」》であることを表している。
というのが私の見解。
これに対して、アスナロウさんは、「いや、表わしていない」とおっしゃっている。
つまり、アスナロウさんの考えている「表わす」の意味を理解することが、「に」の意義を理解するうえで必須なのです。
そこを確認させていただきたい、ということです。
改めてご返答をお願いします。
新たな補足もありますので、そちらもよろしくどうぞ。
No.17
- 回答日時:
なお、媒介の論理についてはずっと以前に紹介しましたが、
「天上であれ、自然の中であれ、精神の中であれ、あるいはどこであれ直接性と共に媒介を含まないようなもの何ひとつとして存在しない」(ヘーゲル『大論理学』第一巻「有論」)
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/6 …
この辺がイメージできない論理的に思考できません。
三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』 (講談社現代新書)を参照下さい。■
No.16
- 回答日時:
1
>>「に」≠「点」「着点」では。とおっしゃいますが、まるで、わたしが「に」=「点」「着点」と言ったような書き方ですね。「に」=「点」「着点」とは誰も言っておりません。
では、質問の最初に書かれた、
(ア)この文における格助詞「に」は、「始まる」という「動作の【着点】」が「5時」であることを表している。
は何を言われているのですか?(【】は当方が強調のため付加。)
基本的に、主体的表現の語と客体的表現の語の相違が理解されていないということです。
2
>>《「に」が「帰着点や動作の及ぶ方向を位置づける場合(例)。》
のように言わなくてはならない、という趣旨のことをおっしゃいました。(#12)ここに勘違いがある、ということをわかっていただくために鳩の例を出した次第。
この点がまさに誤りです。「に」を使用した文の意味に於ける「に」の意義の説明に、「に」という単語を使用していない、まったく無関係な文を持ち出すのが誤りです。要は、意義と意味の区別ができていないということです。「本質的意義というのであれば」(前の#4)というときの意義は意味とは次元が異なります。
単語「に」の意義には「表わす」という語も、構文も全く関係ありません。構文とは文という字が示す通り「文」レベルの問題です。この相違が理解できていません。ここに勘違いがあります。
くどいと思われるかもしれませんが、この語の意義と文での意味というレベルの相違が理解できていなため論理が飛躍、錯綜してしまいます。この点で理不尽なことを言っています。
こうなってしまう原因は言語表現の過程的構造、規範を媒介とした表現であること、つまり媒介という論理構造が理解できていないためです。対象→認識→表現という過程的構造が理解できていないために、中間の「認識」が抜けた、対象と表現を直結した対象→表現の発想しかないために、この点で論理が飛躍してしまうためです。
これは、以前から指摘している通りhakobuluサン個人の問題ではなく。現在の言語学の根底にあるパラダイムが誤っており、先の杉村泰氏や菅井三実氏から令和を提言した中西進氏やチョムスキーまで同じパラダイム思考をしているのが現状ということです。
>>「鳩の絵は平和を表わす」が「鳩の絵=平和」でないのと同様に。
これは、比喩、象徴という表現の問題で、全く次元の異なる問題です。これは今の問題とは全く関係ありません。本質的に理不尽な誤った揚言です。「鳩の絵=平和(の象徴)」です。
3
しかし、誰も、格助詞「に」=始点、や終点とは言ってません。
確かに。しかしNo.10の「この回答へのお礼」で、
>つまり、格助詞「に」は、住むという動作の【着点】が地球であることを表わしている。(【】は当方が強調のため付加。)
と書かれているように、<格助詞「に」=動作の【着点】>と書かれています。ぜひ虚心坦懐にご検証いただきたく。■
ご回答ありがとうございます。
1.
『会議は5時に始まります』
>(ア)この文における格助詞「に」は、「始まる」という「動作の【着点】」が「5時」であることを表している。
は何を言われているのですか?
:
よくぞ聞いてくださいました。(笑)
極めて重要なお尋ねです。
答えは、
《「始まる」という「動作の【着点】」=「5時」》
です。
《「に」=5時》と言っているわけではない!
という点にぜひご留意願います。
「に」は、《「始まる」という「動作の【着点】」=「5時」》という話者の主体的認識を表現するために使われている格助詞だ、ということでもある。
「主体的表現の語と客体的表現の語の相違」については(アスナロウさんに教えていただいたことではありますが)十分に理解しているつもりです。
2.
>>「鳩の絵は平和を表わす」が「鳩の絵=平和」でないのと同様に。
これは、比喩、象徴という表現の問題で、全く次元の異なる問題です。これは今の問題とは全く関係ありません。本質的に理不尽な誤った揚言です。「鳩の絵=平和(の象徴)」です。
:
すでにお断りしたように、ここは「に」の意義云々ではなく、「表わす」という日本語の意味を確認するのが目的です。
「〇〇は△△を表わす」という構文において「〇〇=△△」ではない。
という点を確認することが重要だと申し上げている。
「名は体を表わす」と言ったからといって、「名=体」と言ってるわけじゃないのと同様です。
つまり、アスナロウさんは「表わす」という動詞の意味を勘違いしておられるのではありませんか?☜ここ最重要!!!
と申し上げています。
3.
>つまり、格助詞「に」は、住むという動作の【着点】が地球であることを表わしている。(【】は当方が強調のため付加。)
と書かれているように、<格助詞「に」=動作の【着点】>と書かれています。
:
これもまったく違いますね。
『地球に住む生命体』という文における格助詞「に」は、「住む」という「動作の【着点】」が「地球」であることを表している。
と言っています。
つまり、
<地球=動作の【着点】>
であり、
「に」は、《「住む」という「動作の【着点】」=「地球」》という話者の主体的認識を表現するために使われている格助詞だ、ということです。
違うのですか?
No.15
- 回答日時:
>>「に」≠「点」「着点」
とは誰も言っておりません。
さて、
>>助詞や助動詞は基本的に主体的表現。
「点」「着点」は客体。
という回答と矛盾していますが?
失礼ですが、それは明らかに違いますよ。
hakobuluさんには、重大、且つ根本的な勘違いが2つあると指摘していますがが、これが、その1つです。
>>「鳩の絵は平和を表わす」は正しい日本語かと。
当然正しい表現です。しかし、これは語の意義の問題ではなく文の意味の問題です。何度も指摘しているように、この点がhakobuluさんの重大、且つ根本的な勘違いの二つ目だということです。
>>そうしますと、格助詞「に」は、始点、および終点という逆の意義を持っている、ということですか?
だから最初から何度も指摘しているように、格助詞「に」は、始点、や終点という意義を表しているのではないと言っているのですが?
始点や終点というのは文から理解される意味だということです。
格助詞というの他の語との関係、資格の認識の表現であり、動詞などとの組合せにより意味が決まるもので、格助詞「に」自体に始点、や終点という意義はないということを何年も前から言っていますが。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>>助詞や助動詞は基本的に主体的表現。
「点」「着点」は客体。
という回答と矛盾していますが?
失礼ですが、それは明らかに違いますよ。
:
ごもっとも、たしかに。
どうも失敬しました。
明らかに先走ってしまいましたね。
正確に書くと以下のような意味です。
(ここから⇒)
「に」≠「点」「着点」
では。
とおっしゃいますが、まるで、わたしが
「に」=「点」「着点」
と言ったような書き方ですね。
「に」=「点」「着点」
とは誰も言っておりません。
(⇒ここまで)
改めてお詫びいたします。
2.
>「鳩の絵は平和を表わす」は正しい日本語かと。
当然正しい表現です。しかし、これは語の意義の問題ではなく文の意味の問題です。
:
しかし、
『「に」は着点を表わす』という文は、
「に」≠「点」「着点」なのだから間違った日本語だ。
とおっしゃいましたよね?
であるなら、
「鳩の絵は平和を表わす」という文も、
「鳩の絵≠平和」なのだから間違った日本語だ。
と言わないと論理的に矛盾が生じます。
つまり、「に」の意義云々ではなく、「表わす」という日本語の意味、そして日本語としての構文自体の問題なのです。
くどいと思われるかもしれませんが、ここにこだわるのは、以下に述べるように、極めて重要な点だからです。
アスナロウさんは、
《「に」が「帰着点や動作の及ぶ方向を表す。」》は、
<「に」=「帰着点や動作の及ぶ方向」>という意味になるので間違いだ。
だから、
《「に」が「帰着点や動作の及ぶ方向を位置づける場合(例)。》
のように言わなくてはならない、という趣旨のことをおっしゃいました。(#12)
ここに勘違いがある、ということをわかっていただくために鳩の例を出した次第。
《「に」が「帰着点や動作の及ぶ方向を表す。」》は、
<「に」=「帰着点や動作の及ぶ方向」>
という意味の文ではありません。
「鳩の絵は平和を表わす」が「鳩の絵=平和」でないのと同様に。
わたしは、それほど理不尽なことを言ってますか?
いかがでしょう?
3.
>格助詞「に」自体に始点、や終点という意義はないということを何年も前から言っていますが。
:
そのとおりです。
しかし、誰も、
格助詞「に」=始点、や終点
とは言ってません。
ぜひ虚心坦懐にご検証いただきたく。
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お礼欄の制限があり、十分な記述がしづらいですね。
「着点」について興味がおありの方は、先行質問の回答#4をご参照いただければ光栄です。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12183747.html?pg=1& …
読み直してみましたが、(81p)の記述は理解しているつもりです。
失礼。
訂正です。
×
『この文における格助詞「に」は、「始まる」という「動作の着点」が「5時」であることを表している。』
と言って良い、ということですか?
〇
『この文における格助詞「に」は、「終わる」という「動作の着点」が「5時」であることを表している。』
と言って良い、ということですか?
会議は5時に始まります
⇒格助詞「に」は、「始まる」という動作の着点が「5時」である、という話者の認識を表わす。
では如何です?
⇒格助詞「に」は、「始まる」という動作を「5時」という時刻に位置づけようとする話者の認識を表わす。
でも良いですけど。(同じ意味なので)
#2さんに対するお詫びと訂正です。
×
『時間的な(着点としての)位置づけの認識』
と捉えてこそ本質的意義だと言えるのではないか、ということです。
〇
『(着点としての)位置づけの認識』
と捉えてこそ本質的意義だと言えるのではないか、ということです。
格助詞「に」の意義とは何か
拝見しました。
前半でおっしゃりたいことは大体わかったつもりです。
少し肉付けする形で、そのうち感想を述べさせていただくつもりです。
後半の物自体が出てくるあたりが興味深かったのですが、この認識と格助詞の意義とどう関わってくるのか、という点が不明でした。
「物自体」は物の本質を人間の認識で定義することはできない、というものだったと思いますが、格助詞は、あくまで人間の認識を前提にしたもののはずですから、どうも関連がよくわからない、ということ。
いずれまたご教示願えればと思っています。
以下は大辞泉の語釈です。
例文をそれぞれの語釈に則って解説してみました。
正しいですか?
間違ってますか?
【で】(1)動作・作用の行われる場所・場面を表す。
「デパートで買い物をする」
この格助詞「で」は、《「買い物をする」という動作の行われる場所が「デパート」である》という話者の認識を表わしている。
【に】(1)動作・作用の行われる時・場所を表す。
「会議は5時に始まります」
この格助詞「に」は、《「始まる」という動作の行われる時が「5時」である》という話者の認識を表わしている。
若干修正します。
×
(イ-2)格助詞「に」は着点という認識を表わす。
〇
(イ-2)格助詞「に」は着点という位置づけの認識を表わす。