(ア)この文における格助詞「に」は、「始まる」という「動作の着点」が「5時」であることを表している。
と言えます。ある方から、
◆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
客体的な時刻を表すのが「5時」であり、この時刻の位置付けの認識を表すのが格助詞「に」です。対象としての時刻自体を表しているのが「5時」です。
この相違が理解できないために、客体自体を表す「着点」という語を使用し時刻を「動作の着点」などと言い換えて誤魔化しているに過ぎません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◆
といった趣旨の反論をいただきました。
しかし、私の解釈(ア)とこの反論(◆ー~ー◆)で述べられている内容のどこに「相違」があるのかよく理解できません。
同じことを言っていると思うのですが、その根拠は下記のとおりです。
【根拠1】
『客体的な時刻を表すのが「5時」であり』とおっしゃっていますので、
《5時=客体的な時刻》である、とおっしゃっていることになりますよね?
次に、
【根拠2】
『客体自体を表す「着点」という語を使用し』とおっしゃっていますので、
《着点=客体自体》というご見解なのですよね?
以上のことから、
【根拠3】
「5時」が客体的な時刻であるならば、
「5時」を「着点」という客体自体である、と認識することは可能ですよね?
諸賢の解釈をお聞かせいただきたくお願いいたします。
A 回答 (33件中1~10件)
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No.1
- 回答日時:
早速のご質問にお答えします。
【根拠1】
『客体的な時刻を表すのが「5時」であり』とおっしゃっていますので、
《5時=客体的な時刻》である、とおっしゃっていることになりますよね?
→おっしゃる通りです。
【根拠2】
『客体自体を表す「着点」という語を使用し』とおっしゃっていますので、
《着点=客体自体》というご見解なのですよね?
→「着点」とは客体としての「点」ですね。
以上のことから、
【根拠3】
「5時」が客体的な時刻であるならば、
「5時」を「着点」という客体自体である、と認識することは可能ですよね?
→客体なので「着点」と認識することも、「起点」、「到達点」他と認識することも可能です。■
ご回答ありがとうございます。
>(「5時」は)客体なので「着点」と認識することも、「起点」、「到達点」他と認識することも可能です。
:
とのことですね。
であるなら、
会議は5時に始まります。
という文における、
『この文における格助詞「に」は、「始まる」という「動作の着点」が「5時」であることを表している。』
という解釈の、どこが間違っているのでしょうか?
素直にわからないのでお願いします。
No.2
- 回答日時:
hakobuluさんが最近よくお使いになる、「着点」は名古屋大学のサイトで使われ始めた、普通われわれが使う「帰着点」と同じ意味の言葉だと考えます。
「東京に行く」の「に」は古くから「帰着点」を表すと、言い続けられました。「帰着する」という語は意外に使われていて、最初は抵抗がありましたが、今は慣れてしまいました。この方は「帰する」(灰燼に帰す)の語感に抵抗があり、「着点」を使い始めたわけですよね。「5時に始まり、9時に終わる」で、「始まる」の着点が5時なら、「終わる」の着点が9時になるということでいいのですか。
「に」は時間的な位置づけの認識とおっしゃるのは、アスナロウさんしかないので、その批判者はアスナロウさんですよね。アスナロウさんの主張は何度も見ている内に覚えてしまいましたが、「始まる」という動作の着点が5時だという理論がよく理解できません。
ご回答ありがとうございます。
語の本質的意義はひとつだと思いますが、「に」の本質的意義は着点です。
その本質的意義を個々のシチュエーションにおいて、わかりやすく噛み砕き、それを「意味」として提示しているのが辞書の役割だと思います。
つまり、辞書的に「意味」は基本、複数存在するわけですが、「に」の場合、そのひとつに「帰着点」というものがあると思います。
(4)帰着点や動作の及ぶ方向を表す。「家―たどりつく」「車―乗る」(大辞林)
などがわかりやすいかもしれません。ただ、
(2)場所・範囲を指定する。「アパートに住む」(大辞林)
の場合も「に」は着点を表わすのです。
なので、「意味としての帰着点」と「本質的意義としての着点」は分けて考える必要があるのですが、ここで、「アパート」が着点とはどういうことか?
という疑問が生じるのはもっともな話です。
ここで、
「アパートで住む」の場合にも、
「場所・範囲を指定する。」という意味項目が成立することを想起してみてください。
同じ場所でも、
「アパートに住む」はアパートを(住むという動作の)着点と認識する場合の表現で、
「アパートで住む」はアパートを(住むという動作の)成立条件(手段と捉えてもよいでしょう)と認識する場合の表現です。
このように比較すると「着点」の意味が見えやすくなるかと思う次第。
> 「5時に始まり、9時に終わる」で、「始まる」の着点が5時なら、「終わる」の着点が9時になるということでいいのですか。
:
おっしゃるとおりです。
時刻としての着点ではなく、あくまで「始まる」「終わる」という【動作の着点】です。
「5時に始まり、9時に終わる」
「5時から始まり、9時で終わる」
を見比べていただくとわかりやすいかもしれません。
『時間的な位置づけの認識』というのは辞書にも多い表現で、私も大いに同意しているところです。
・おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定し(学研国語大辞典)
・時間的・空間的・心理的なある点を指定(広辞苑)
・時間的・空間的な位置や範囲を示す(大辞林)
などがある。
ただ、では「どのように位置付けようとする認識なのか?」という点が曖昧です。
『時間的な(着点としての)位置づけの認識』
と捉えてこそ本質的意義だと言えるのではないか、ということです。
No.3
- 回答日時:
>>『この文における格助詞「に」は、「始まる」という「動作の着点」が「5時」であることを表している。
』という解釈の、どこが間違っているのでしょうか?
もう何年も前から指摘しておりますが、着点とはA→Bという客体の運動のB点を表します。「会議が始まる。」という場合の客体的な時間の流れは、5時→(8時?)という流れで、格助詞「に」が表しているのは「5時」 という時刻をA→BのA時点として話者が認識していることを表現し位置付けているのであって、「5時=【に】」ではないということです。
「に」という語がいかなる意義を表しているかを理解することが大切です。
「会議は5時に始まります。」の場合は当然ながら、OKATさんもご指摘の通り、5時は始点でしかありません。
助詞、格助詞が主体的表現の語であるということはこのことを言っています。
先に指摘の取り、まずはせっかく購入した、『日本語はどういう言語か』(三浦つとむ)を最初から虚心に読み、
第一章 絵画・映画・言語のありかたをくらべてみる
1 絵画と言語の共通点
ここで、共通点と相違が第1から第5の問題として取り上げられています。この第1の問題は次のように記されています。
【絵画や写真は客体的表現と主体的表現という対立した二つの表現のきりはなすことのできない統一体】として考えるべきものであり、主体的表現の中にはさらに位置の表現と見かたや感情などの表現とが区別される、ということになります。
では、言語ではこの二種類の表現はどういう形をとってあらわれるか?
どう結びついていくか? これが第一の問題です。
結論は次のように記されています。
絵画や映画では客体的表現と主体的表現とが切りはなせないものとして存在したのに、言語では分離され個々に独立したものとして存在する結果となるのです。いいかえると、【言語が対象の感性的な面からの制約をのがれたということは、一方では表現のための社会的な約束を必要とする結果を、また他方では客体的表現と主体的表現とを分離させる結果をうみだした】わけで、ここに言語の本質的な特徴を求めなければなりません。(81p)
という内容をしっかり理解しましょう。
なお、No.2 で言われている「東京に行く」の場合は、「行く」という動作がA→Bへの移動であり、このB地点が「に」で位置づけられており、結果的に意味として到着点になります。この場合も当然ながら、「東京=【に】」ではないということです。
「東京へ行く」の「へ」は方向の認識を表しており、「A→B」への移動の「→」の認識を表しています。
名古屋大学の杉村泰氏や兵庫教育大学の菅井三実氏などは認知言語学の立場から同様な着点、到着点という解釈を提示しており、これに対する批判は、
格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …
で指摘の通りです。これらも、語の意義と文の意味の相違、意味とは何かが理解できないソシュールパラダイム下の発想を超えられないということを露呈しています。■
ご回答ありがとうございます。
おかげさまで、かなり煮詰まってまいりました。
>「会議は5時に始まります。」の場合は当然ながら、OKATさんもご指摘の通り、5時は始点でしかありません。
:
ということは、
「会議は5時に終わります。」
の場合は、
『この文における格助詞「に」は、「始まる」という「動作の着点」が「5時」であることを表している。』
と言って良い、ということですか?
「格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷」
明日にでも読んでみますね。
No.4
- 回答日時:
>>『この文における格助詞「に」は、「終わる」という「動作の着点」が「5時」であることを表している。
』と言って良い、ということですか?
いいえ。「動作の着点」ではありません。
「会議は5時に終ります。」という文における格助詞「に」は、会議の終りを「5時」に位置付けている。
ということです。「終わり」は「終点」です。「会議」という動作の着点とは始点になります。「さあ、会議にとりかかろう。」「会議に着手しよう!」という相・アスペクトの表現になります。
「会議は5時に終ります。」という文の「に」は時間的な位置付けの認識を表しており、時点を位置付けているのであり、あえて空区間的な認識の語を使用するのであれば「終わり」、つまり「終点」になります。
会議は5時に始まります。
の場合は始点、起点になり、これを直接に表現する場合は、
会議は5時【から】始まります。
になります。「から」は起点・始点の認識を表します。■
ご回答ありがとうございます。
>「会議は5時に終ります。」という文の「に」は時間的な位置付けの認識を表しており、時点を位置付けているのであり、あえて空区間的な認識の語を使用するのであれば「終わり」、つまり「終点」になります。
:
【何の】終点ですか?
No.5
- 回答日時:
6時という位置(時刻)に収束、収束の極値は点ですね、それを表している。
時間という認識を収束させれば時刻になります、これは点です、その点の具体的な位置(「に」の前の言葉)の認識を表しています。
得意は表現する人がいます、時間的、空間的な位置の認識?。
起点になろうが、着点になろが「に」そのものは関与しません。
前後の内容をどう理解できるかによるだけです。
No.6
- 回答日時:
>>語の本質的意義はひとつだと思いますが、「に」の本質的意義は着点です。
その本質的意義を個々のシチュエーションにおいて、わかりやすく噛み砕き、それを「意味」として提示しているのが辞書の役割だと思います。
つまり、辞書的に「意味」は基本、複数存在するわけですが、「に」の場合、そのひとつに「帰着点」というものがあると思います。
(4)帰着点や動作の及ぶ方向を表す。「家―たどりつく」「車―乗る」(大辞林)
などがわかりやすいかもしれません。//
この認識が根本的に誤っています。
まず、語の意義と文での意味の相違と関連が理解できていません。この点については、『日本語は~』の<1 言語の「意味」とは何か>(p39~)、<3 辞書というものの性格>を正しく理解して下さい。
辞書の役割は、まず規範としての意義を明確にし、その上で個別の文での意味の事例を解説することで、意義自体多義になることはありますが、これと千差万別の個別の文の意味とを混同してはなりません。
これまで、説明してきた通り、<「に」の本質的意義は着点>ではありません。「点」とは客体的表現の語で、個別の文での意味の事例でしかないということです。
「に」が「帰着点や動作の及ぶ方向を表す。」のではありません。
正しく言えば、
「に」が「帰着点や動作の及ぶ方向を位置づける場合(例)。」
ということになります。
こうした誤った解釈がどのような問題を引き起こすかは、
格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …
で論じた通りで、【日本語学習者による格助詞の混同 : 存在場所の「に」と範囲限定の「で」】
https://repository.ninjal.ac.jp/?action=pages_vi …
他が問題を提起してはいますが、解決には至らない理由はこの点にあります。
■
ご回答ありがとうございます。
《「に」が「帰着点や動作の及ぶ方向を表す。」》
と、
《「に」が「帰着点や動作の及ぶ方向を位置づける場合(例)。》
では意味が全く異なる。
ということですか?
No.8
- 回答日時:
>>客体的な時刻、って一体何ですか?。
話者の主観の直接の表現である主体的表現の語に対し、客体を表す客体的表現の語としての時刻ということです。
言語表現のもつ、対象→認識→表現という過程的構造に基づく語の意義の本質的な性格の区分です。
詳しくは、時枝誠記『国語学原論』、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)他を参照下さい。
『日本語はどういう言語か』(三浦つとむ)では、
第一章 絵画・映画・言語のありかたをくらべてみる
1 絵画と言語の共通点
ここで、共通点と相違が第1から第5の問題として取り上げられています。この第1の問題は次のように記されています。
【絵画や写真は客体的表現と主体的表現という対立した二つの表現のきりはなすことのできない統一体】として考えるべきものであり、主体的表現の中にはさらに位置の表現と見かたや感情などの表現とが区別される、ということになります。
では、言語ではこの二種類の表現はどういう形をとってあらわれるか?
どう結びついていくか? これが第一の問題です。
結論は次のように記されています。
絵画や映画では客体的表現と主体的表現とが切りはなせないものとして存在したのに、言語では分離され個々に独立したものとして存在する結果となるのです。いいかえると、【言語が対象の感性的な面からの制約をのがれたということは、一方では表現のための社会的な約束を必要とする結果を、また他方では客体的表現と主体的表現とを分離させる結果をうみだした】わけで、ここに言語の本質的な特徴を求めなければなりません。(81p)
というように、絵画や映画などの直接感性的な表現と言語表現という社会的な約束である規範を媒介とした表現の本質的な相違に基づく分類です。■
No.9
- 回答日時:
No.10
- 回答日時:
>『時間的な(着点としての)位置づけの認識』
>と捉えてこそ本質的意義だと言えるのではないか、ということです。
全くの素人考えですのが、「に」本質的意義は「着点」だとすると、「会う」という動作を考えたとき、人と会う時刻というのは「離れている時間の終着点」になり得るりのですが、「会う」の終着点にはなり得ない訳です。
このため、商談等でよく使う、「①先方と3時に会う」は本質的使用法ではなく、「②先方と3時から会う」という表現が好ましいということになります。
しかし、②より圧倒的に①が使用されていると思うのですが、これは誤用だという主張でしょうか?
また、「~に住む」という表現で「に」が着点だという「アパート」の例をあげておられます。
移動が可能という前提だと、「着点」という想起もあり得るわけですから、「日本に住む全ての人々」は「に」が「着点」だとすると、言外に「①(国外からやってきて)日本に住む全ての人々」という意味と、「②日本で生まれ日本を出ずに居る人々」を合わせて言うという解釈も可能です。
(ただし、②を移動の着点と想起するのはかなり無理やりですが・・・。)
しかし、「地球に住む生命体」と言った場合、生命体は地球から移動が可能かというと、殆ど不可能です。にもかかわらす、「③過去地球にやってきて現存する地球外生命体」と「④地球で生まれ地球を出ずに居る生命体」をあわせて言うのだとすると、④はそもそも移動できないのに移動の着点ととらえるというは甚だ不自然な説明になります。
「に」を「着点」ととらえる場合があることに異議はありませんが、すべての「~に」が「着点」に、それこそ「帰着」するとまでは、言い難いのではないでしょうか。
ご回答ありがとうございます。
「会議は5時に始まる」と言う場合、この話者は、「始まる」という動作の時間的な発生地点を「5時」だと認識しています。
つまり、この話者は、
「始まる」という動作の着点が「5時」であるという認識を表わすために、格助詞「に」を使っているわけです。
「5時」は静止点として認識されている。
「会議は5時から始まる」と比較してみてください。
何時から始まるのか?
と
何時に始まるのか?
では、話者の意図が異なりますよね。
「着点」という視点は、なかなかややこしいかもしれません。
お気が向きましたら、先行質問の回答#4をご一読いただければ光栄です。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12183747.html?pg=1& …
当スレの#2お礼欄にも着点の概念を若干開陳しておりますので、よろしければご参照のほどを。
「地球に住む生命体」と言う場合、この話者は、「住む」という動作の空間的な発生地点を「地球」だと認識していることになります。
対象(生命体)の移動ではなく、あくまで動作(動詞)の移動です。
つまり、格助詞「に」は、住むという動作の着点が地球であることを表わしている。
「地球で住む生命体」の場合、
格助詞「で」は、住むという動作の為される環境が地球であることを表わしている。
「着点(という静止点)」という認識ではないのです。
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「会議は5時に始まる」⇒会議の始まる時刻は5時だ。
「会議は5時から始まる」⇒会議の開始は5時からだ。
お礼欄の制限があり、十分な記述がしづらいですね。
「着点」について興味がおありの方は、先行質問の回答#4をご参照いただければ光栄です。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12183747.html?pg=1& …
読み直してみましたが、(81p)の記述は理解しているつもりです。
失礼。
訂正です。
×
『この文における格助詞「に」は、「始まる」という「動作の着点」が「5時」であることを表している。』
と言って良い、ということですか?
〇
『この文における格助詞「に」は、「終わる」という「動作の着点」が「5時」であることを表している。』
と言って良い、ということですか?
会議は5時に始まります
⇒格助詞「に」は、「始まる」という動作の着点が「5時」である、という話者の認識を表わす。
では如何です?
⇒格助詞「に」は、「始まる」という動作を「5時」という時刻に位置づけようとする話者の認識を表わす。
でも良いですけど。(同じ意味なので)
#2さんに対するお詫びと訂正です。
×
『時間的な(着点としての)位置づけの認識』
と捉えてこそ本質的意義だと言えるのではないか、ということです。
〇
『(着点としての)位置づけの認識』
と捉えてこそ本質的意義だと言えるのではないか、ということです。
格助詞「に」の意義とは何か
拝見しました。
前半でおっしゃりたいことは大体わかったつもりです。
少し肉付けする形で、そのうち感想を述べさせていただくつもりです。
後半の物自体が出てくるあたりが興味深かったのですが、この認識と格助詞の意義とどう関わってくるのか、という点が不明でした。
「物自体」は物の本質を人間の認識で定義することはできない、というものだったと思いますが、格助詞は、あくまで人間の認識を前提にしたもののはずですから、どうも関連がよくわからない、ということ。
いずれまたご教示願えればと思っています。
以下は大辞泉の語釈です。
例文をそれぞれの語釈に則って解説してみました。
正しいですか?
間違ってますか?
【で】(1)動作・作用の行われる場所・場面を表す。
「デパートで買い物をする」
この格助詞「で」は、《「買い物をする」という動作の行われる場所が「デパート」である》という話者の認識を表わしている。
【に】(1)動作・作用の行われる時・場所を表す。
「会議は5時に始まります」
この格助詞「に」は、《「始まる」という動作の行われる時が「5時」である》という話者の認識を表わしている。
若干修正します。
×
(イ-2)格助詞「に」は着点という認識を表わす。
〇
(イ-2)格助詞「に」は着点という位置づけの認識を表わす。