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至急です!!
反ソ運動は東欧諸国が行ったらしいんですが、
ソ連の支配下にあった東欧は、ソ連に不満をもっていたと言うことですが??

A 回答 (3件)

東欧の『市民』が不満を持っていたのだね


ソ連共産党の手足のような自国の政権幹部に不満があって
度々改革の動きがあったけど(プラハの春、ハンガリー動乱、ポーランド連帯)
悉くソ連軍の武力を背景に抑え込まれてきた

そういう歴史がある
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東欧諸国で旧ソ連の権威を利用していた指導者は不満を持っていなかったかもしれしれませんが、一般の国民は全員と言ってよいくらい不満を持っていました。

だから、ルーマニアの市民革命、チェコスロヴァキアでのプラハの春、ハンガリーの動乱、ポーランドの自主管理労組・連帯の結成等で対抗しました。
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概略だけ話すと。



東ドイツでは共産主義になじめない東ベルリン市民が西ドイツに次々と脱出し、危機感を抱いた東ドイツ政府がベルリンの壁を築いた。

ハンガリーではマルクス主義に戻ろうとしたナジ政権と市民がソ連の軍事介入で潰され、ナジは処刑された。

チェコスロバキア(当時)の「プラハの春」は有名なところ。

ポーランドでは労働組合「連帯」が躍進、政権を握った。
ところがポーランド政府は突然幹部を拘束、連帯は無期限の活動停止に陥った。
後年この弾圧は「もし連帯の活動を認めていればソ連の軍事介入を招き国はさらに悲惨なことになっていた」と双方が認め和解するという、歴史上きわめて稀有な経緯をたどるに至る。

プラハの春のあと当時のソ連の書記長ブレジネフは
「社会主義国の全体の利益のためには、個々の国の主権は制限される」
という『ブレジネフドクトリン』を提唱する。

そしてこのドクトリンを東欧諸国に強制できたのは合意ができたからではなく、圧倒的軍事力を背景にしてのことだった。
ここのところがミソである。
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