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「老人は敬え」っていう教え(もしくは、常識、美学)がありますよね。

何でですか。
合理的な理由はありますか。
ただの文化・宗教ですか。

A 回答 (50件中21~30件)

機械がない頃の農業社会の名残ではないかと思います。


昔はこんなに老人いなかったし、干ばつなどの経験を教えてもらえる数少ない人ですから、敬ったんだと思います。

今はこれは必ずしも守らなくて良いと思う。
今の老人が若い頃と、現代は時代が違いすぎます。

ある老人を高齢だから敬って大切にしていたんですが、
先に私の周りの若い人が何人も死んでしまってショックを受けました。
その老人に使う労力を、彼らに使えば良かった。

そんな中その老人は「俺は先が短い。もっと俺を大切にしろ」と言い続けていて、ものすごく考えさせられました。
バブルで良い思いもしたくせに何言ってんだと思いました。
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>情報化社会ですから、老人の実体験に基づく知識の価値が


>相対的に下がってきているのかもしれませんね。

失敗事例は、大幅な損金を出すか、会社が倒産するか、訴訟に発展するか等でない限りは、皆隠します。航空機事故や鉄道事故なんかが顕著なのですが、事故調査が訴訟を前提としたものであるため、事故に至らないものは全て隠すのです。

現役を退いた人の「今だから言えること」は技術革新によって過去のものになっているかもしれませんが、ヒューマンファクタ、特に組織構成に依存するものは、意外とまだまだ生きています。
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この回答へのお礼

ゼロとは言いませんが、
昔に比べて「相対的に」下がってきているのかもしれませんね。
ということです。

お礼日時:2021/02/28 20:10

じょうしきです。


あたりまえです。

老人に限らず、人を敬うのは自然なことで、
皆がそうだと平和的です。

「俺様」と、思って、人を見下すような事をしてはいけないって事なのでは・・・?
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この回答へのお礼

>じょうしきです。
>あたりまえです。
失礼ですが、この質問の回答を見ていると、「常識」「あたりまえ」ではないようです。
半分以上は、
「年齢だけで尊敬の対象とはならない」
と言っているように思います。

あなたの個人的な「常識」「あたりまえ」なのではないでしょうか。

お礼日時:2021/02/28 20:09

貴方の中では尊敬は特別な事なんですね。


自分は初めて会う年寄りというより目上の方は
特別尊敬するわけではなく、接する時は丁寧に接します。

自分は尊敬=新設に接すると思っています。
その人物を何もしらないのに尊敬は無理ですが
ただ、老人には親切に接することは大事だと思います。

それを一言で尊敬で表していると思います。
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この回答へのお礼

私は、年上や年下、男女、学歴などの社会的な属性に関係なく
丁寧に接しようと思っています。

「年寄りだから尊敬する」
って変だと思いますけどね。
社会的な属性だけで、人間の中身を全く見ずに尊敬するって変です。
ただ、あなたのように「尊敬=親切」ならばいいですが、それならば
「尊敬っていう単語は不要である」
ということですか。

あなたのように
>目上の方は特別尊敬するわけではなく、接する時は丁寧に接します
ということはなく、年齢は全く関係ないです。
そういう意味では、基本的にある程度以上人は尊敬しています。

ですが、「全員尊敬している」っていうのは日本語として少し変な
感じがするので、「この人はほかの人とは違うな、平均的な人間よりも立派な点があるな」という相手を特に尊敬しているという意味で「尊敬している」と思っています。

お礼日時:2021/02/28 20:07

このコロナで学んだ事は・・・



老人による老人の為の老害政治の廃止と

くだらない法曹界だけ得をくする成年後見制度!!

なので議員定数削減より、議員定年制度の導入が急務です。

ついでに安楽死法の議論と・・成年後見制度の廃止とです。
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この回答へのお礼

ですね。

老人が老人を選んで、老人のための制度をつくる、
という構図は悲しくなりますね。

お礼日時:2021/02/28 20:11

私も若い時は経験情報による一つのDBとして、


社会で重宝されてきたのかと思っていました。
経験情報としてのDBとは、どうも違うようです。
まあ、話が長いのでよみ飛ばしてください。

40歳近辺で厄年を経験しました。
とんでもないですね。大病に近いですよ。10年近く続きました。
それでも私は軽い方だったみたいです。
人によっては髪の毛が真っ白になり、しわくちゃのお爺さん
みたいになります。人生50年と言われた意味がわかりました。

脳の働き(人の遺伝子に組み込まれている?と思われる)であり、
誰もが逃れられない物のようです。

脳の活動が不調になり、自分の望むべき姿と現実の違いに悩み、
そのギャップを忘れることが出来ず、苦しみます。
当然ながらミスが多くなり、次から次へとトラブルが起きます。
まるでお前の寿命はココまでと、誰かに意地悪されているみたい
に思えました。

やっと終わったと思ったら、50歳でまたあると会社の上司が教え
てくれました。父に聞いたら、70歳できつかった(死ぬ寸前)と
言ってました。当然、60歳でもあると推測すべきですよね。
私も思い出せば、20歳(19歳ごろ)、30歳で不調がありました。
自分でもはっきりとわかる突然の不調です。

少し年下の方に聞いたら、

「ええ。いまの人は耐性が低くて、20歳、30歳でドロップアウト
 する人が増えてるんですよ。怖いです。」

と言われました。

つまり、ニート(引きこもり)、社会への適応障害、転職・辞職
(引きこもり)と言うのは、この10歳単位でのイベントで起きて
いるようです。昔ならばもっと早く間引かれていたのかもしれま
せんが、現代は肉体面でのサポートが行き届いていますから、精
神面でドロップアウト(結局運命は同じ)となるんでしょうね。

思えば私も綱渡りだったと思います。

お坊さんのサイトを読んでいて、その中で教えてもらったのが、
相当大昔のお坊さん(有名で偉い人らしい)が、

「誰もが60歳ぐらいを過ぎると急に信仰に目覚める・・・らしい。」

と不思議現象を伝えていたそうです。
言い換えて解釈しますと、

「死の恐怖から逃れられなくなり、精神が不安定になる。
 苦しみが強くなり、何かに縋ろうとする。
 この試験に耐えるための準備を私たちはしていただけの様だ。」

という事らしいです。

仏教の考え方はドライで、

「わがまま言っても結果は変わらないんだから。
 残りの人生発狂して過ごすか、楽しんで過ごすかの違いは大きい。
 というかそれしかないでしょ?」

と言うモノの様です。

私たちの誰もが、(いずれは)脳の働きが可笑しくなって、元に戻
せなくなるわけです。これを先延ばしにするテクニックが伝授され
てきただけみたいですね。

まあ、私も半信半疑だったんですけど。
ちょうどしばらくして、母が統合失調症になりました。
電話がかかってきまして。

「電波が聞こえる。スパイにあっている。」

と言われました。
それも、しっかりとした声。電波を遮断するためにアルミホイルを
使う話をしました。そのあたりも詳しくて驚きました。
電気科の人なら知っている専門的な話を、母がするんですよ。

「ずいぶん勉強したんだな。この人。」

と感心しました。

でまあ、このときの母の年齢が65歳くらい。
身近な人。幼少から知っています。
なので、人が徐々に壊れていく様を見てしまいました。

「若い時はこんなかんじ。
 30歳くらいで気性が激しいとか言われる。
 で、40歳くらいでこういう事を言い始める。
 そして、50歳でこうなって。
 60歳くらいになると、ああなって。
 もうそのころは可笑しくなっても、
 周囲の人は不思議に思わない。」

私も40歳の厄年の経験もありましたんで、怖かったですね。
自分の体験や他の人の成り行きなどみて思ったのが、

「うーん。他の人より悶々と考えてしまい、常に脳に負荷をかけて
 いる人が、最後は耐え切れなくなるらしい。
 脳の疲労骨折みたいなモノかな。」

そういう観点でいうと、
「怒る」「恨む」という習慣があると、ちょっとしたことで脳が
フルパワーで動き、中々休めませんよね。
これは不味いです。仏教ではそのため三毒の一つとされています。

アッと思ったのは。母は恨みがましかった。
理想と現実とのギャップに常に腹を立てていました。

私もわかるんですが、
こんなときは、脳のどこかに血が溜まっている感じがします。
(怒る、恨むという機能を使いすぎて、それを担う脳の箇所に血が
 溜まりすぎて、疲労している状態だと思われます)

気を紛らわせるというか、怒ったり、恨んだりするのと全く反対の
事をすると、なんだかマッサージされた様な気分になり、すっと頭
が楽になります。心地よくて眠くなるくらいです。
(脳は直接マッサージできないので、脳の使う場所を変える)

死の恐怖や現実とのギャップと言う(堂々巡りの)思考により、
発狂するのだとしたら?

これを和らげる場所を使って、
脳のマッサージをすればいいですよね。
私もだいぶ楽に成ったんでコツを言いますと「敬う」がけっこう
使えます。というか昔からこれでOKみたいな感じでしょう。
道徳の五常(仁義礼智信)で言うと、「礼」から始めると良いと
思います。(相手が年上とか、目上とか関わらずの概念だから)

そして、うちの母は「敬う」という姿勢を見せたことが無い。
おそらく、何らかの発達障害で、幼少から一度もやったことが無く、
そういう脳感覚がなかったんじゃないかと。
(音感の無い、音痴が音程をあわせるようなもの)

親がちゃんと見てて、自然でも、神でも、老人でも、何でもいいの
で、「敬う」という脳感覚を教えて挙げていればよかったと(いま
だから)思うんですけどね。

この「敬う」は人ではない物にあてると、超自然的なものを追い求
めて執着に結び付きます(これも煩悩として毒になる)。

無難なところで老人(道徳的にも「徳」の一つとして挙げられてお
り、それを行う人に対して魅力を感じるように、私たちの本能はつ
くられているらしい)にしておくのが良いという事でしょう。

ですので私の想像と言うか考えですが、

・「老人」その物に答えがあるのではなく、「敬う」行為に価値が
 あり、その練習として無難なもの(徳にも該当する)を大人が選
 んだ。
・40の厄年を超えた後は、60歳の厄年が強烈であり、若い時にしっ
 かりしていた人ほど発狂の危険が高くなる。
・「死の恐怖」「無駄な人生への恐怖」という堂々巡りの考えは、
 脳への負担が強く、これが発狂の原因になる。これを緩和するた
 めに「敬う」という脳の働きが有効である。
・信仰に目覚めるのは、幼少の時に「敬う」という訓練をしておら
 ず、脳感覚(発達障害)を持っていない、または弱い人が求める
 自然な行為であり、宗教はそういう人に「敬う」を教える役割と
 して重宝された。
・これらの事は昔から考察(仏教伝来から考えると、2000年以上ま
 えからみたいですね)されており、「老人を敬う」という行為さ
 え教えて置けば万事うまくいくと結論が出た。

母は精神科に通い、投薬されて回復したそうです。
なので、現代では医学的に対応する手もあります。

これらの補助が無い時代。科学や技術が発展しておらず、ちょっと
したことで人が死んだ時代。

そういう時代に、自己発見だけで体と精神を守って生き残った方々
は、それなりに凄いと思いますよ。

「うちの父も母も、おかしくなって死んじゃいました。
 僕も同じになるかもしれないと思うと、凄く怖いです。
 どうして叔父さんは大丈夫なんですか?」

「うーん。いま幾つだい?
 そうか、そうだったら、
 よし、お年寄りを敬いなさい。」

「ウヤマウって何?」

「手をあわせて。目を閉じてごらん。
 何も考えちゃいけないよ。
 そして、
 『長生きしていて、その上でしっかりしていて凄いです。
  僕も同じくらい長生きしたいです。
  僕はうまくやれてますか?』
 って聞いてみよう。ただし心の中でね。」

「それだけでいいの?」

「それがウヤマウってことだよ。」

相手の凄さを認めて、自分が上手くやれているか聞いてみたい。
そういう気持ちを言葉にしないで心で感じる。
これがウヤマウと言う脳の働きですね。

偉人でもない、有名人でもない、見た目もすごくない、実績も
凄くない、能力もない、色々と褒めるところが無い。
そういう老人を敬うというのは、大変難しい事でしょう。
理屈で考えてしまえば、出来ません。

それ(老人を敬える)が出来るとアピールすることは、

「ああ、こいつは年とっても頭はしっかりしてそう。
 だったら、いまのうちにコイツを選んで任せておくか。」

という社会的な判断もできます。

幼少の頃から練習していないと、老人をウヤマウという行為は
抵抗感があって出来ないんです。

「ここに抵抗がある人を、はずしておけば俺たち安泰」

という一つの試験機であって、理屈ではないんですよね。
いまでは世渡りの一つとも言えます。

以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

なるほど。

お礼日時:2021/02/28 20:11

それは中国の儒教の教えであって、キリスト教やイスラム教や仏教本来の教えではないです。

日本の仏教は中国を経由していて儒教の影響を強く受けてるから日本でも一部の人々にそういう考え方が浸透しています。われわれが常識だと思っている事は小さな島国の中での常識なので世界の常識ではありません。
で、世界ではただ単に年をとっているからという理由で敬えとは言っていません。長い人生の中で知識や経験を積んだ人は敬う必要があります。
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この回答へのお礼

ですよね。

「年を取るということはえらいこと」
というのは、中身のない老人が、数にものを言わせて都合よく作った
ルールに過ぎないと思います。

「年取っててえらいんだぞ」
みたいな態度って恥ずかしくないんですかね・・・。

お礼日時:2021/02/28 20:12

取り敢えずは 一つだけ。



貴方は、

今 此の国の、
経済規模の 恩恵に、
与って いますよね?

此の 恩恵は、
嫌ですか?


如何ですか、

其れが 誰かの、
努力なしには、

貴方が 与れなかった、
と したら?

感謝の 対象として、
其の 方を、
指しても、敬っても、
いいのでは?

違いますか?


今、

此 正に、
旬な 話題ですよね?


経済って、

いとも 簡単に、
死に絶えるのですよ?
ご存知でした?

今も 死にそうですよね?

健康との せめぎ合いの中で、
多数の 犠牲を、
伴いながら、

何とか 息を、
繋がせて いますよね?


其の結果として、

未来の 子等が、
其の 恩恵に、
与れるのですよね?


振り返れば、

過去の 同党前後の、
ピンチも、
幾度も ありながら、

凄い 量の、
犠牲者も 出しながら。


同様に、

経済を 死なさないように、
踏ん張った 方々が、
いて。


だからこそ、

貴方が 其の、
恩恵に  今、
与れて いるのですよ、

感謝は 不当ですか?
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この回答へのお礼

だから、いろんな老人いるでしょって話。
殺人犯などの犯罪者もいるし。

ほんと老人って
「今の社会は俺たちが作った」
って主張好きですね。
しかも、本気でそう思っている。

ほとんどの人は、税金は払うよりもらうほうが多いわけで、
お荷物の人もいっぱいいる(っていうか多数派)。

年齢だけでなく、その人が何をやってきたかでしょ、って話。

お礼日時:2021/02/28 20:15

「敬うべき老人などいない」事を知らしめるための教えでしょう。

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この回答へのお礼

ですかね。

お礼日時:2021/02/28 20:15

「老人だから」というだけで敬う必要はないですね。


人間的に中身スッカスカの高齢者なんて敬おうと思いません。

積み重ねた知性とか経験の確かさを感じる人に対してなら、敬う気持ちが自然に発生します。

ただ、高齢者は、本人の人間性の良し悪しに関わらず、身体機能が衰えます。
だから「敬え」ではなく「いたわれ」には賛成ですね。
若者と同様の無理させてはいけないです。
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この回答へのお礼

ですよね。

お礼日時:2021/03/01 19:19

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