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自由意志が存在しないという考えが怖くてしょうがあひません。 自由意志が存在しない、という考えが科学では常識であるということを知りました。 その考え通りに自分の人生や周りの人々について考えると、全て無機質に見えて感じてしまいます。 また、この先何かを成し遂げたり、楽しんだりしても全て決まっていることだと感じて、絶望感に見舞われます。 そして、この自由意志が存在しないということをこの先科学が証明してしまったらどうしようなどとも怯え考えています。 自由意志が存在しないという考えを知っている方、存在しないと考えている方は、どのようにしてこの考えと向き合い、生きているのでしょうか? 何かアドバイスをくださると嬉しいです。

A 回答 (9件)

波風のない人生を送ってこられたので、そんな風に思われるんじゃないかと思います。



絶体絶命の状況に置かれた時、貴方は何をしますか。唯々諾々と死んでしまいますか。それとも、家族や貴方自身を救うために、戦いますか。そんな姿が想像できますか。

自由意思=戦いです。

想像できるなら、自由意思の有無を巡って、苦しむ必要はないと思います。
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「自由意志が存在しない」と言う問いは「心は存在するか」と言う問いと同一であると思います。


https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12235129.html?pg=1& …

ここで、心は脳と肉体の動作の結果、表出されたと言う意見がありました。
>2.脳が0.5秒かけて(その入力情報の大部分を削除し)
>3.生存に有益な情報に要約したシミュレーション結果である。
これが心ならば、コンピュータ人間(AI人間)が作れる事になるでしょう。

さて、この様にして作られたコンピュータ人間(AI人間)は、生きる事に虚しさを感じて、人間と同じく自殺する事があるでしょうか。
YESなら、心とは無味乾燥の脳の作用による、結果の産物かもしれません。
NOなら、心なる物が、何処かにある様に考えられます。

NOと答える事が出来るならば、何処かに心なる物はある事になります。その結果として、自由意志は存在する事になるでしょう。
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>どのようにしてこの考えと向き合い、生きているのでしょうか?



ミクロレベルの真実とマクロレベルの現象は質的に異なると言うことを本質的に理解することです。

ニュートン力学の有用性を信じつつも三体問題の存在を知ること、みたいな。
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自由意志は存在する。


人はそれぞれの五感六感からインプットされる情報に基づいて意志を決定している。
ただ、前頭葉の意識・思考能力がすべてではないということだ。

瞬発的な判断・行動の多くは無意識的に行われるが、論理的思考は前頭葉の意識・思考能力がすべてではないにしても、主に行っていることは間違いない。

瞬間的な好き嫌いの判断を、熟考のうえ覆すことはよくあることだ。
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未来--現在--過去



未定ーー自由ーー決定
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その「科学では常識」と言われた内容はニュートンの時代の「古い常識」です。

その後の科学の進展によってその「常識」は再び否定されました。


ニュートン力学が確立されると、いわゆる「ラプラスの悪魔」な見られるような決定論的な考え方が支配的になりましたが、その後量子力学の不確定性原理や確率解釈が登場すると、ニュートン力学的な決定論は成り立たない事が明らかになりました。またカオス理論の登場によって、純粋に決定論的な方程式からも決定不可能な状況が現れる事が分かって来ました。なので科学的な観点ならむしろ「自由意志が存在し得る事を証明している」と考えて差し支えないと思います。
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> 自由意志が存在しないという考えが怖くて



その怖さも刷り込まれた予定調和なんだよ
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私も、「自由意志というのは夢想や思想であって、実在するようなものではない」とも思っています。

 これがやっかいなことなのですが、「自由意志を尊重することは大事だ」とも思うのです。

で、考えてみて、「自由」や「意思」というのは、どのような概念あるいは思想であるのでしょうか。

たぶん、「自由」は、他人や集団、社会などに無理強いされないという志向性・嗜好性のようなものをさしているのでしょう。
https://japanknowledge.com/introduction/keyword. …
そして、「意思」は、何かをしようとするときの元となる本人の心持ちというようなことで、他人や集団、社会からの指図によるものではないということをさしているのでしょう。
そうすると、「自由意思」は、無為無策とか四苦八苦のような似た意味の熟語を連続させて意味を強調するものなのでしょう。
ここでの視点は、「他への慮りをさておいて、本人の希望や感情・考えを優先し」というところにあるのだと思います。

で、心理学や生物学、生理学、比較認知科学を勉強しても、歴史学、社会学、文化人類学を勉強しても、どのように認知するということそのものが、強い制約の下で行われものであって、全くフリーに行えるものではないということもわかります。 政治学や教育学あるいは広告宣伝や事業経営や人気稼業で重視されていることをみても、個々人の嗜好や選好、快感や価値観、嫌悪なども「操作の対象」であって、操作がどれほど強く効果を上げるかが明確です。 オレオレ詐欺で仕掛ける人は、その実行者のわかりやすい例です。 

そういう現実を知るほどに、もっと「自由意志」をしっかりともてるように、個々の個人や権力者、家族、友人、雇用者、経営者、扇動扇情者に振り回されず、自分で考えるだけの基盤を自分で作るようにしないとならないなぁと思ったりします。
また、政府や報道機関、都知事、専門家、権威者などの言うこと、勧めること、儲け話や健康や安全の勧めをする人に極力影響されないように自分を保つこと、差別排除発言にも融和平等公平発言にも距離を置くことに心掛け、基本的に孤立を目指しつつ、同時に誰に対しても、どのような勢力にも等距離でできるだけ親和を維持することにガンバロウと思っています。
徒党を組まない、仲間を作ろうとしないことは、自由意志を大事にするなら、大事だと思います。

なお、この上のブロックで自由意志を大事にするということは自分自身のことになっています。 「どのように認知するということそのものが、強い制約の下で行われものであって、全くフリーに行えるものではない」ということの理解の上にたって、現況の社会、自分の経歴、志向のフレーム、他人などの意見の動向からはできる限りフリーになろうという、自分勝手の志向です。

その他に、他人Aさん、Bさん、Cさん、社会集団Dに属する人々d1d2d3d4達が、その意に反して、別の人物や社会集団などから行動さえも強制されることをなんとか防ぐように自分も少しでも援助するのも、自由意志を大事にするということだと思っています。

ハチでも、アリでも、キツネやカラスでも、多くの制約で、結果として自分の行動が決まるのと同じで、ヒトも、多くの制約で、結果として自分の行動好悪感覚認知志向が決まるのであって、その意味では自由意志はないのですが、他人や周りのヒト、指導者権威者権力者、弱者、病者、仲間、風潮、時代の流れ、自分自身の身体的特徴や年齢健康生活状況などからくる影響に対して、できるだけフリーでありたいと思っています。
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アドバイスを求めてるのはあなたの意志だろうに。

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