一回も披露したことのない豆知識

懲りましたので、数学という高尚な世界ではなく、卑俗的な質問で続けます。
「馬は走る」は事実ですか? あるいは真実ですか?

A 回答 (52件中21~30件)

突然変異等て「走らない馬」の出現はあり得まし何らかの障害によっては「走れない馬」の出現はあり得ます


このことから言える言葉能力は絶対的でも確定的でもないという事です
遺伝子は量子的振る舞いをすることからそれによる能力はゆらぐ事から能力と真理はそぐわないです
よって「馬は走る」は真理とは言えないですね
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この回答へのお礼

度々の御回答ありがとうございます。
<「馬は走る」は真理とは言えない>ですね。

お礼日時:2021/05/06 09:01

推敲、再投稿。




一般的な言葉の意味では、事実か真実か云々する対象は現実を場とした具体的な事案であり、さらに双方で少なくともその対象のコアが共有されていなければならない。

「馬は走る」

ここまでのQAの流れをすべて読むと、質問者の言わんとする意味は「俗にいう馬という言葉で表される動物達の特性として「走る」という要素がある」ではないかと思われる。

これは具体的ではないし事案でもない。
だから事実か真実かの判断の対象外だ。
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この回答へのお礼

ご丁寧に
<事実か真実かの判断の対象外だ。>了解。

お礼日時:2021/05/06 09:00

一般的な言葉の意味では、事実か真実か云々する対象は現実であり、さらに双方で少なくともその対象のコアが共有されていなければならない。



「馬は走る」

ここまでのQAの流れをすべて読むと、質問者の言わんとする意味は「俗にいう馬という言葉で表される動物達の特性として「走る」という要素がある」ではないかと思われる。

これに対する私の回答は「事実でもありうるし、真実でもありうる」だ。

先に述べた通り、事実か真実か云々する対象の「場」は「現実」でなくてはならない。
だから、
「馬は走る」の意味が、
「俗にいう馬という言葉で表される動物達の特性として「走る」という要素がある」であるとすると、事実か真実か判断する対象は「要素の有無」といす抽象概念だと事になり、これでは対象として取り扱い不能となる。


ーーー
事実と真実を区別しようとするならそれは厳密さを求める話のはず。

言葉というのは双方が同じ意味解釈をしないと意思疎通に困りませす。
意図せず今回のようなアバウトな質問になってしまったのなら、まず質問者の国語力、表現力、意思疎通能力の底上げを願いたい。欲しい回答が得られず困るのは質問者自身だからです。
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この回答へのお礼

ご尤もです

お礼日時:2021/05/07 18:05

「馬は走る」というのは観察されたファクトで、


すなわち事実だと思います。

客観的な事実です。

それ以上でもそれ以下でもありませんので
真実かどうかは何とも言えないと思います。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<客観的な事実です>ですね。
一方、<真実かどうかは何とも言えない>のですね。

お礼日時:2021/05/05 16:54

何をテーマに質問と回答が続いているのかをみていないのですが、



> <「馬は走る」というのは諸事実から機能的に導かれた推論という事になります。>ですね。 そうすると、その推論である「馬は走る」は真実ですか?

卑俗なことで言えば、「私は屁を放る」「彼は座る」「あの二人は結婚する」「○○は高知でうまれる」というのは、事実を述べている、事実を表現しているとは限らないです。 「私は大学を卒業する」「小説家になる」「日夜努力してる」でも、事実を表現しているとは限らないです。
諸事実から推論した場合、「馬は走る」「馬は止まる」「馬は跳ぶ」「馬は歩く」「馬は水を飲む」「馬は噛む」「馬は闘う」「馬は眠る」「馬は寝る」……
http://clover-ranch.jp/blog/archives/169 いろいろのことを推論することが可能ですが、その推論の妥当性は一概には言えません。 妥当性を検証したいのであれば、その案件毎に検証しなければならないでしょう。 
「馬」のような生物種の類別概念と、「走る」のような動作行動の弁別概念とを、1つと1つを接続すれば、事実にはなりえないでしょう。 もちろん、真実とは、次元も視点も異なります。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<妥当性を検証したいのであれば、その案件毎に検証しなければならないでしょう。>は了解します。
ただし、日常における言葉の使い方のレベルで、是非を求めています。

お礼日時:2021/05/05 16:53

「走る」の定義によって変わります。

一般的な「走る」は足で高速で前進する事なので事実であり真実であると言えます。

ただしこれは見た者(主に人間)の認識による思考ですから馬が走ってないよ、駆けてるよって思えば違う事になります。馬自身も走っている感覚はないでしょうし……

だから言葉での真実は簡単に真意を覆せる屁理屈の世界だということです。言葉だけに頼るのではなく、見たまんまを感じてください。それが真理に近いものだと思いますよ。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<一般的な「走る」は足で高速で前進する事なので事実であり真実であると言えます。>ですね。日常における言葉の使い方のレベルであれば、その説明で可でしょうね。

お礼日時:2021/05/05 16:48

“真実”は、抽象的な事柄に使い、“事実”は、具体的な事柄に使うのではないでしょうか。

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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<、“事実”は、具体的な事柄>で、
<“真実”は、抽象的な事柄>ですね。私は、諸事実を蒸留した際に戻るもの、と感じています。(かえって理解ずらいでしょうね)

お礼日時:2021/05/05 16:44

殆どの馬は、走ると云う性質を持っているので、真実と云えるでしょう。



でも、事実となるかどうかは、結果次第です。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<殆どの馬は、走ると云う性質を持っているので、真実>ですね。
<事実となるかどうかは、結果次第です。>については、全ての馬が走るか、については<結果次第>ということですね。

お礼日時:2021/05/05 16:40

★ (№13お礼欄) 


眼前の光景を見ているのではなく、鳥は飛ぶ・魚は泳ぐと同一レベルで、頭の中で馬は走ると考えています。

☆ ですから:
① 《眼前の光景》が 《あっ あそこに馬が走っている》と表現して認識した場合の《事実》です。


② 《鳥は飛ぶ・魚は泳ぐと同一レベルで、頭の中で馬は走ると考えてい》る場合は――むろん眼前にそのウゴキをする馬を見ているのではなく そうではなく―― たとえば《馬について述べよ》という課題が出されてそれに答える場合に起きます。


③ したがって 《馬は走る》という表現は そのような馬の実際の動きを間接的に認識して言い出されていると捉えます。直接に馬の動きという事実を認識した主観真実ではないのだと。


④ では その場合の《事実》は どういうことになるか? ――何か書けという課題を受けてそれにこたえるという事態が 直接の事実になります。


⑤ そして 事実認識〔だけ〕の問題ではなく 《事実》の中に命令や要請があったという場合です。




★★ 「馬は走る」は事実ですか? あるいは真実ですか?
☆ 想像裡において(間接的に)事実認識した文表現ですが 直接には 何かの課題を受けてそれにこたえるための自己表現です。

自己表現は ふつう 主観真実にもとづきおこないます。


あと 《課題にこたえるため》だと例示しましたが そうではなく《何の条件もなく あたまの中で文表現を思い浮かべてみた》という場合もあり得ます。

その場合には 事実や事実認識つまりは 主観真実といった要素は 脇に置かれていて 重要なものではない状態です。自動筆記のような自己表出です。
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この回答へのお礼

<事実や事実認識つまりは 主観真実といった要素は 脇に置かれていて 重要なものではない状態です。自動筆記のような自己表出です。>ですね。

お礼日時:2021/05/21 14:17

生物学的に言えば「馬には走る能力がある」となりその点で言えば実際に走る走らないに関わらず馬には走る能力がある事実がありその意味で「

馬は走る」は事実かと言えば事実と言えます
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この回答へのお礼

度々の御回答ありがとうございます。
<実際に走る走らないに関わらず馬には走る能力がある事実がありその意味で「馬は走る」は>事実ですね。
その続きとしては、真理に行きませんか?

お礼日時:2021/05/05 16:35

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