性格いい人が優勝

懲りましたので、数学という高尚な世界ではなく、卑俗的な質問で続けます。
「馬は走る」は事実ですか? あるいは真実ですか?

A 回答 (52件中31~40件)

>そうすると、その推論である「馬は走る」は真実ですか?



全ての推論は事実である可能性と事実でない可能性を含んでいます。
したがって、推論は事実である、という命題は偽となります。
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この回答へのお礼

度々の御回答ありがとうございます。
帰納的推論は、そもそも事実である可能性は100%でないから、真理と言えないのですね。

お礼日時:2021/05/05 16:33

訂正です


確し→☓
確認し→○
です
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この回答へのお礼

ご丁寧に

お礼日時:2021/05/05 16:26

「鳥は飛ぶ」にしろ「魚は泳ぐ」にしろ「馬は走る」にしろ「〇〇は〇〇」では他の回答者さんのお言葉を機能的推論となりますし「鳥は飛ぶ」→「魚は泳ぐ」→「馬は走る」との並びで考えなら連想となります。

どちらであっても「〇〇走る〇〇」と言う表現では直接的に事実を指す言葉ではないです。 
その上で確したのですが質問者さんが仰っている「事実」とは如何なる事です?
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この回答へのお礼

度々の御回答ありがとうございます。
<直接的に事実を指す言葉ではないです。>ですね。 
事実は日常使う意味で使っています。
ところで、「馬は走る」は真理ですか?

お礼日時:2021/05/05 16:24

× したがって「馬は走る」というのは諸事実から機能的に導かれた推論という事になります。



○ したがって「馬は走る」というのは諸事実から帰納的に導かれた推論という事になります。
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この回答へのお礼

ご丁寧に

お礼日時:2021/05/05 09:04

馬というのは動物のある種類を総称しているので、走れない馬も含んでいます。



事実というのは、「馬のハイセイコーが走った」などと、個別の馬を指定しないとダメです。

「馬のハイセイコーが走った」という事実と、
「馬のシンボリルドルフが走った」という事実と、
「馬のディープインパクト走った」という事実などから
「馬の〇〇○も走るだろう」という推論や、
「馬は皆走るに違いない」という推論を導き出すことを、
帰納的推論と言います。

したがって「馬は走る」というのは諸事実から機能的に導かれた推論という事になります。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<「馬は走る」というのは諸事実から機能的に導かれた推論という事になります。>ですね。
そうすると、その推論である「馬は走る」は真実ですか?

お礼日時:2021/05/05 09:03

そりゃあ、まずあなたが自分で決めなさいよ。

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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2021/05/08 19:12

馬に確認しないと


わからないね

(  ̄▽ ̄)にっこり
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2021/05/08 19:12

「馬は走る」と言う表現では「客観性」が担保されません。

故に私もbragelloneさんも主観として捉えています
(「その人にとって」がそれにあたります)
更に言えば「馬は走る」と言う表現は必ずしも「馬が走る」と言う事実に即しなければならないわけではありません。
事実に関係なく単なる「言語情報」として「馬走る」と言う言葉を認識しえるのです。よって「言語情報」として「馬は走る」と言う言葉を認識している者が必ずしもそれを事実として捉えているとはならないのです。ですが少なくともそう認識している事実はあると言う事です
客観的事実として表現するならせめて「馬が走る」と表現して頂きたいですね
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この回答へのお礼

再三の御回答ありがとうございます。
<事実に関係なく単なる「言語情報」として「馬走る」と言う言葉を認識しえるのです。>ですね。

お礼日時:2021/05/05 09:00

走る馬もいれば 走れない馬もいるのではないしょうか


「馬は走る」という事実は 実際に走っている時の
馬をさして言わなければ「この馬は走る」と言えないのではないでしょうか。

「馬は走る」は事実でも真実でもないと思います。
「この馬は走っている」なら事実を言おうとしているのでしょう。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
鳥は飛ぶ、魚は泳ぐと同一のレベルで、馬は走るを選んだだけです。

お礼日時:2021/05/05 08:59

☆☆ (回答№7) ~~~~~~~~~~~~


9. つまり《あっ あそこに馬が走っている》というように認識したところの事実とは 何か?

10. 走る馬をふくめた目の前の光景のすべて これが この場合の事実です。

★ (同・お礼欄) ~~~~~~~~~~~

<走る馬をふくめた目の前の光景のすべて これが この場合の事実です。>については、わざわざ光景まで含める、ことが理解できません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ 《目の前の光景》が 視野に入る限りで そのいま見ている事実なのではないでしょうか?

つまり その視界の中で わざわざ《走る馬》だけに事実を限定することが わたしには理解できません。





少なくとも 走る道筋とその草原なり赤土なりの地面が見えていて それらは 走る馬と一体となった光景なのではないですか?

その光景の全体を《事実》と捉えて この場合では《走る馬》を取り立てて表現して際立たせている。

そして 光景のこととしなければならない理由として そのいま・その場で馬を見ている表現者たるわれもいるわけです。

さらにこういった発言をしているなら ほかにもう一人誰か話し相手がいるということも考えられます。独り言を言ったのではないとしたらです。



あるいはつまり 《走る馬》〔だけ〕の絵画の話ではないとしたら そういう全体の光景が 事実であると見るべきだと考えます。
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この回答へのお礼

再三の御回答さ理がとうございました。
<《走る馬》〔だけ〕の絵画の話ではないとしたら そういう全体の光景が 事実であると見るべきだ>ですね。
弁解になりますが、眼前の光景を見ているのではなく、鳥は飛ぶ・魚は泳ぐと同一レベルで、頭の中で馬は走ると考えています。

お礼日時:2021/05/05 08:56

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