性格いい人が優勝

懲りましたので、数学という高尚な世界ではなく、卑俗的な質問で続けます。
「馬は走る」は事実ですか? あるいは真実ですか?

A 回答 (52件中11~20件)

”馬が走る”は事実色が強い。

見たままを述べている。

”馬は走る”は真実色がほんのちょっと混じる。歴史的に、馬は速く走るという特性があったため、人間に珍重されてきた。馬=走るが記号化されて人間の脳に組み込まれている。

ただ、絶対的な真実とはいいがたいです。

この場合は文法的には問題がありませんが、日本語は引き算の言語だと思います。短い文節で、一発芸のように、笑いをとったり、人を唸らせたりするのが良いとされる。相手を納得させるような、起承転結のある話は歓迎されません。”話が長い”と言われて、敬遠される風潮に見えます。

でも、真実というのは、実は、たくさんの条件付きで、長い説明が必要な場合が多いです。

一つの真実を語るために、小説が一遍必要な場合もあります。より、正確な真実を語ろうとする文学的な努力が垣間見れます。

No.35でした。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
<”馬は走る”は真実色がほんのちょっと混じる。歴史的に、馬は速く走るという特性があったため、人間に珍重されてきた。馬=走るが記号化されて人間の脳に組み込まれている。>ですね。
<ただ、絶対的な真実とはいいがたい>ですね。
今回は、明快なご説明で、助かりました。
地球人と初めて接触したした宇宙人に馬は走ると言ってるのではなく、人が<歴史的に>知識(<特性>)を得ている馬を話題にしているつもりです。

お礼日時:2021/05/07 18:01

因みに


外界から届いた視覚情報はそのままでは見えないので見えるように処理します。
その為見ている世界をそのまま見ているわけではなくかつ脳処理は個体差があるため見えている世界は人それぞれ違います.
仮に見ている事象・現象を事実としたとして、見えている世界が人それぞれ違う事から事実も人それぞれ違う事になります。
故に事実は相対的なのです。即ち「その人にとって事実」だと言うことです
仮に「絶対的な事実」があるとして人は決してそれは捉える事は出来ないので幾ら「絶対的な事実」について研究し続けてもその答は決して得られないのです
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この回答へのお礼

度々の御回答ありがとうございました。
住信ミカン6587428横山あつし様のご回答から、ご説明の一部を借用します。
「馬は走る」の意味は
「俗にいう馬という言葉で表される動物達の特性として「走る」>です。
ムカリン様の御思考のような高度のことは考えていません、否できません。

お礼日時:2021/05/07 17:53

#39



屁理屈で返すと「すべての魚は走らない」は真ではありません
それは悪魔の証明ですから。
さらに魚の必要条件に「走らない」は入っていないので
走る魚を否定することはできません。

走らない馬を除いて馬は走る・・・と定義するなら
走らない魚を除いて魚は走ります
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2021/05/07 17:48

プロ市民にいわせると「走る馬がいる」としないと


走らない馬を差別することになるでしょう
また観察者の思い込みもあり馬が本当に走っているかは
わかりませんので事実を認定するにはエビデンスが必要です
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
屁理屈を言えば。すべての魚は走らないが、(走らない馬を除いて)馬は走りますね。

お礼日時:2021/05/06 17:33

ずっと前から、parkさんとQAに違和感を覚えていたので、あえて書きますが、no35のお礼をみて。



もしかしてあなたは日本語ネイティブではないのですか?

反語表現の肯定文が理解できないのは相当変だと思いますよ。

あくまでQAがスムーズに進むように意図しての指摘ですからお気を悪くされないでください。
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この回答へのお礼

ご解答ありがとうございます。
私は呑み込みが悪くて、曖昧な<反語表現の肯定文が理解できないのは相当変>と自覚しています。

お礼日時:2021/05/06 14:53

事実、真実云々の前に、「馬は走る」、この一言が曖昧すぎる。


遅ればせながらno11~no14のコメントでようやく質問者が指している意味が示された。

ところで、no35をみて。
Aは事実と言えたとしても、
Aは事実か真実かの判断対象にはなりえない。
今回の質問文ではそうなるかと。

真実云々というのは社会的、政治的な観点が含まれてくるから、
「一般的に、馬は走る動物だ」
これはその対象ではないだろう。
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2021/05/07 17:47

真理とは全ての事象・現象の根源的な根拠であり原因であるとしたら「走る」はそれ自体結果であって原因ではなくよって根拠でも無い故に真理ではないとなります。


因みに真理を物理で捉えるならそれは「エネルギーの全能性」でしょう。
少なくとも全ての事象・現象の根源は何れも「エネルギーの振る舞い」であることから「エネルギー」こそが唯一全ての事象・現象の根源的な根拠・原因になりうる存在です
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この回答へのお礼

度々の御回答ありがとうございます。
<真理とは全ての事象・現象の根源的な根拠であり原因>なのですね。

お礼日時:2021/05/06 14:49

事実は具象的で、真実は抽象的(たくさんの事実を積み重ねてまとめたもの)という私の理解で言うと、馬が走るのは、事実じゃないですか。



他の方の回答を読んでいないので、ダブるかもしれません。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<馬が走るのは、事実じゃないですか。>について、日本語が分かりません。
馬が走るのは、事実でない、ですか?
あるいは、馬が走るのは、事実だ、ですか?

お礼日時:2021/05/06 09:05

1. ★★ 「馬は走る」は事実ですか? あるいは真実ですか?


☆ この問いの立て方に 違和感をおぼえます。

2. 一般に自己表現としての文について その内容が《事実や真実〔かどうか〕》とのかかわりをことさら問うのは 筋が違うのではないか。



3. 文は――問い(主題)と答え(論述)とから成るひとまとまりの自己表現ですが―― 論述を自己の思考および判断において成すからには 自己の主観としての真実をともかくあらわします。

4. また 主題を前提とするからには そこに《事実――世界事実――》との何らかのかたちでのつながりがないのが おかしい。


5. 
文:    話し手の   自己表現

成り立ち: 【我言う】⇒ 文

文: 主題(問い)+論述(答え)
○  馬‐ハ    〔馬‐ガ〕 走る。

* ハ格が 主題を提示しますよというシルシ。
* ガ格が 論述の用言(動詞)の動作主体(主語)格。

* ハ格が承けた主題が 世界事実とかかわっている
* 論述部で 主観真実がのべられる
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この回答へのお礼

ご尤もです

お礼日時:2021/05/07 18:04

訂正


言える言葉能力→☓
言える事から→○
です
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この回答へのお礼

ご丁寧に

お礼日時:2021/05/06 09:09

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