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三島由紀夫にとっては天皇陛下でした。

自分を超える存在(超越者)を個人的に設定して生きる。
それは神であっても、イエス・キリストであっても、釈迦でも、天皇でも、
自分より優れた存在であるならば、なんでもいい。

超越者を持って生きることのメリットを教えてください。
また、超越者を持たないで生きることと何が違うのでしょうか?

個人的には神や釈迦など、なるべく強力な存在を自己の超越者として内在化して
置いて(設定して)生きることはメンタルの強さに影響してくるような感想を持っております。

(注意点)
ただし、反社会的な神(などの超越者)に仕える者となってしまうと(少年Aにとってはバモイドオキシンでした)犯罪者になってしまいますので、なるべく社会にとっても自分にとってもプラスとなるような超越者を持つことが重要かと思います。

<参考PFDファイル>
(超越者なき自己超越 ニーチェにおける超越と倫理)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/rinrigakuke …

どうか、お教えください。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (4件)

メリットがあるから絶対者を信奉するんではなく、


そうせざるを得ないのです
人間には食欲、性欲、睡眠欲よりもっと根源的な欲望が
2つあります。

そのうちの1つが絶対者にひれ伏したいという欲望です。
人は赤ん坊のときは、親、特に母親に依存しています。
食べものをくれ、排せつ物を処理してくれ暑さ寒さから
守ってくれます。母に見放されたら死ぬしかありません。

母が神であり世界なんです。この絶対者に自分をゆだねる快感を
生涯忘れられなくて、その幸せを再現しようと神や教祖、芸能人など
を絶対視して信仰してしまうんです
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この回答へのお礼

なるほど。
原点は母にあり、母が神であり世界であると。
私の母は大分弱ってきておりますが存命中なので大切にしております。
新たな再認識(気づき)をさせて頂きました。

bagus3様、早速の回答をありがとうございます。ためになりました。

お礼日時:2021/06/01 23:39

自分でためしてみたらどうですか。

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この回答へのお礼

そうですね。実際、自分で試してみます。
経験してみないとわからないかも知れません。

おい2000様、回答をありがとうございます。

お礼日時:2021/06/02 00:55

安心して死ねるし、安心して生きられる。


この世で与えられた時間を無駄に過ごせないと感じる。
意見の違う人にも(私の場合は)寛大でいられる。
受け取ることより、与える幸せが、本来の幸せ。
神への愛・感謝を社会奉仕に敷衍してゆける。

キリスト教です。
私にはドイツ哲学は、”無理してるな~”と思えます。
苦しむ人の哲学で、人生楽しめないようにみえます。
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この回答へのお礼

なるほど。
キリスト教徒になると、さまざまな素晴らしいメリットがあるようですね。
もっともメリット・デメリットで信仰するものとは思いませんが(信仰とはもっと純粋な動機からするものかも?)。

やはり超越者を信じること(キリスト教の場合は神とイエス・キリストですが)もバカにできないですね。

非常に貴重なご意見を頂き感謝いたします。
回答を本当にありがとうございました。
今後の生き方に活かしたいと思います。

お礼日時:2021/06/02 02:10

与えられた自由以外の部分をまとめて超越性と読んでるだけ。

私は。
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この回答へのお礼

なるほど。
そういうご意見・解釈もありですよね。
一つの考え方として勉強になりました。

回答をありがとうございます。

お礼日時:2021/06/02 02:14

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