

No.15ベストアンサー
- 回答日時:
人の幸福という、まったく主観的なものをサイエンスしようと世間では努力されているようです。
当然難しく、観測できるものから真理を手繰り寄せようとしているのでしょう。
詳しいことは知りませんが、脳内物質などの研究が進んでいるようです。
だからです、脳内物質が幸せの源であるというような唯物的幸福感が一般的になりつつあって、それが、快楽主義へと現代人を変化させていると思います。
私の経験、実感から申し上げれば、五感の心地よさ=快楽を幸福に入れてよいとは思いますが、低レベルであるということです。
五感の心地よさ自体が幸福なのではなく、その快楽を感じているときに心の底に生まれる実感こそ幸福の実体であると考えます。
快楽から生まれるそれは、「安心感・満足感」みたいなもので、集中して何かをした後などは「恍惚感」が生まれ(これは音楽を聴いたときにも生まれますが)、さらに、人のため、社会のためにため、何かを考えたり行動したり、また、心が愛に満ちたときに「歓喜」「喜悦」と言うべきものが生まれます。
この「歓喜」は年とともになくなっているような気がしますが(笑)、大きな幸せです。
「教育」とともに「幸福」は人類にとって大変重要なことと思いますので、よく思索してゆきたいと思っています。
ありがとうございます
確かに
五感による快楽は低レベルですね
自分の環境的条件との関係によって成り立つため
環境の変化によって、その幸福も、はかなく崩れるから
だと思います
日々変化する周りの条件に支配されるのではなく
自分が心に決めた役目、目的に向かって実践していくなかで生ずる、
生命自体の充実感、満足感が真実の幸福だと思うのです
おっしゃる通り
心の底に生まれる実感こそ幸福の実体
と言う事ですね
そのことから幸福の第一条件は
「充実」ではないかと思うのです
No.35
- 回答日時:
それぞれの、それぞれの,それぞれのは悪くないんですよ
個性を発揮し、自分らしく輝く事は良い事なんですよ
幸福は人の数だけあっていいんですよ
そのとおり。これで話はまとまったのでこれにて終了です
お疲れ様
No.34
- 回答日時:
質問者ちゃんの人生に対するその責任は質問者ちゃんがとらなければならないのであって質問者ちゃん以外の他人がとるべきではない
逆に言えば他人の人生に対するその責任は当該他人自身がとらなければならないのであって当該他人以外の他人はとるべきではない。故に当該他人以外の他人である質問者ちゃんは当然取るべきではない。これは幸福についても言える事
それぞれの人のそれぞれの人の人生において幸福は重要な事だからです
ですからそれぞれの人がそれぞれの人の人生の責任を果たす為にそれぞれ毎の幸福を目指すべきでだからこそ幸福は人の数だけあるのです
質問者ちゃんは明らかに「基本的人権」を理解していません。質問者ちゃんが學ぶべきは基本的人権です
それぞれの、それぞれの、それぞれのは悪くないんですよ
個性を発揮し、自分らしく輝くことは良い事なんですよ
幸福は人の数だけあっていいんですよ
しかし
もしかしたら井の中の蛙、かも知れませんね
洞窟の中の狭い小さな一瞬の満足かも知れませんね
青い空と緑の台地と太陽を知る人からすると
はかない、危うい幸福に見えるかも知れませんね
人権ですか?
ソクラテスも孔子も釈迦も人権を侵してはいません
それどころか先哲に学ぶ事こそ我々の権利です特権です
神が人間にのみ与えた「特権」を知っていますか
人間だけが「向上しよう」「成長しよう」と思うことができるのです
ただ目先の足元の小さな幸福を追い求め、流されて生きているだけではなく、
もう一歩深い、人間としての方向転換をしようと思うことができるのです。
名声で自分を飾り、地位で自分を飾り、学歴で飾り、知識で飾り、お金で飾っても、本体の自分自身が貧しければ、貧しく、空虚な人生です。
すべてをはぎ取った、いわば「裸一貫」の自分自身がどうなのか
我よりもう一歩深い、大我への道がそこのあるのです
No.33
- 回答日時:
人それぞれに「幸福観」が人それぞれに「求めるもの」がある
故に幸福観や求めるものが人それぞれで異なるのである
太陽を「求めるもの」の象徴とするなら人それぞれ向いている太陽が違うこと言う事。質問者ちゃんが向いている太陽に背を向けている人がいるならその人の向いている先ににも太陽がありその太陽に質問者ちゃんは背を向けているとなる
質問者ちゃんが主張している幸福論や太陽は質問者ちゃんにとっての話。
他人には他人なりの幸福論や太陽がある
人それぞれに「幸福観」があるのは当然ですし否定などしません
しかし、その多くは
五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)で感じる幸福にすぎず
有為転変する周りの条件に支配され、環境の変化でもろくも崩れ去る、
永続性のない、はかない相対的幸福なのです
又、自己の際限なき欲望を制御することが。できない限り、
幸福の実感は、一瞬にすぎないのです
財などへの過度の執着は、むしろ、心を貧しくさえする。
「もし財産が人を傲慢や怠惰や無為や欲望や吝嗇(りんしょく=けち)
にひき入れる場合には、不幸そのものとさえなる」とは、
スイスの哲学者ヒルティの警句であす。
人々は幸福を求めて今まで発展し、輝かしい文明を生み出して
きたが、度々低レベルの不賢明さと明らかな愚かさも
よく示してきている
幸福は
人生の根本問題であり、永遠に追求すべき課題であるのに
それを、ムカリンサは軽々に
「他人には他人なりの幸福論や太陽がある」
と言いますが。それは間違いではないが
それで良しとするのはどうでしょか
低レベルの愚かな幸福論であるかも知れません
五感にとらわれず、六感七感は八感九感と掘り下げて言ってこそ
本当の幸福が、絶対的幸福が分かるのです
No.32
- 回答日時:
それにしても質問者ちゃんの「決めつけ」は酷すぎるね
今度は「トランス経験」に縛られてるて決めつけているからね
私は「トランス経験」を推奨したが大事な事は「それぞれの人がそれぞれに王子たち幸福を求める事」であり「トランス経験」や「究極の幸福」は数多の幸福である的な事を伝えますから
理解力の無い質問者ちゃんがそれを理解出来ないだけだね
「器量を広げる」とは同じ事柄数多の異なる見方捉え方考え方を受け止めて行く事。究極の幸福しか受けとめられない質問者ちゃんは器量が狭いて事ですよ
どうして質問者ちゃんは「究極の幸福」に拘るのか?それは質問者Chanが幼稚なために質問者ちゃんと質問者ちゃんの幸福観とを分離出来ないからだね
それはつまり究極の幸福和を認める事が質問者ちゃん自身を認めることになるからだよ。更に言えば質問者ちゃんは自信の無さをカバーしたいからだよ
質問者ちゃんがしているのは究極の幸福それ字体を追求ではなく究極の幸福と言うワードを他人に認めさせること。質問者ちゃん自身を認めさせるためにね
だから質問者ちゃんのその主張は幼稚で浅いんだよ。
質問者ちゃんのその主張に説得力がないのはその為だよ
プラテンの
洞窟の因人の喩えを知っているだろうか
太陽に背を向けた人達は、壁に移る白と黒の影が
この世のすべてなのです
洞窟から一歩も外へ出ようとはしません
外へ出れば、輝く太陽を見る事が出来て
一瞬ですべてを理解する事ができるのですが
太陽を見た人は再び洞窟へ戻るのです、そして
人々に太陽の存在を語るのです、しかし
誰も信用しません、それどころか
笑いものにされ、バカにされ迫害もされるのです
その主張は幼稚で浅い、とか
器量が狭い、とか
自他の区別が出来ていない、とか
言う人もいたでしょう
ソクラテスの
無知の知。って知っているだろうか
知らない、と言う事を自覚する事で
知ろうと言う探求が始まるのです
幸福論のその奥には本質があり、
変化する事のない、普遍的な概念があるのです
太陽に背を向けて
影ばかり追う人には分からないかもね
多摩川の土手しか知らない人に
ヒマラヤは想像さえできないでしょうから
真実を知る鍵は「信」ですが
No.31
- 回答日時:
質問者さんの幼児性それは「決めつけ」
それぞれの人がそれぞれ応じた幸福を求めるのは当然。それを質問者さんは「他人の幸福の上にも築いた幸福」と決めつけている事
それは質問さんの「器量の狭さ」によるもので「器量」は精神を成長させることで「広げられる」ので「器量が狭い」と言う事は質問者さんの精神性が幼稚のママだと言う事
質問者さんがしていることは「駄々コネ」。大人に話を聞いてもらえない幼児がしている駄々コネ。
質問者さんと幸福観が違う人がいて当然。
質問者さんがいますべきことは精神を成長させ精神的に大人になること
そうすれば「幼稚な価値観」が改められ「究極の幸福」の縛りから解かれます
器量は責任を担う事により開かれるのです
開かれた目で・信じて・学び・実践・すれば
幼稚な幸福感が改められ
トランス経験の縛りから解かれ
自他共に究極の幸福を目指すようになるのです
盲目の傍観者には理解し難い事でしょうが
幼稚な人に
(何のため・我・生死)・・分かりません
No.30
- 回答日時:
幸福の結論は究極の法則?
それは質問者さんにとってのね
質問者さんは質問者さん自身の考えれ=幸福論に囚われ客観性がありません
これは質問者さんが幼稚な精神性の持ち主が故に質問者さんは「自他の区別」が出来ていないように質問者さんの考えを質問者さん自身が客観視出来ていません
大事なのは「尊重」することです
他人を尊重するとは自他の違いを尊重すると言うことです
自身の考えを他人に押しつけない事です
「より良い人生云々」も当人が決める事で他人が決めることでも口を挟むことでもありません
以上から言える事は
質問者さんは幼稚な精神性の持ち主が有に傲慢身勝手な人です
強制が無ければ押し付けとは言いません
他人の不幸の上に築いた幸福は「尊重」できません
寛容の精神の逸脱です
「より良い人生云々」も当人が決める事でが
他人の意見を聞かない事こそ、傲慢身勝手な人生になるのです
自力と他力、両方が必要なのです
先に、幸福への七つの品性を挙げましたが
私の主張であって私の主張ではない
といいました
多くの幸福論を研究している学者、哲人、聖人の
ご意見を学んで、更に実践してみて得た結論だからです
究極の幸福は一点に絞られるのです
何のため、我、生死、がつながるのです
No.29
- 回答日時:
「幸福は人の数だけ存在する」
当たり前です。幸福は主観によるものだからです
質問者さんが論じている幸福はあくまで質問者さんの主観に沿うもの。またはそれに共感した人達の主観に沿うものです
ですがそれに沿わない人達にはそれは幸福に当たらないです。なぜならそれらの人達の主観には沿わないからです
大我云々についても質問者さんが勝手にはそう論じているだけです。
大我云々に興味の無い多くの人達には全く関係ありません
質問者さんに言える事それは「自他の区別」が出来ていないと言う事
「自他の区別」が出来ていないから質問者自身(自)の幸福観が他者(他)にも当てはまると身勝手傲慢な勘違いをしているのです
「自他の区別」は人が大人へ成長していく過程です学習するのもの
「自他の区別」が出来ていないとは質問者さんが精神的に大人に成長していない=精神的に幼児のままだと言う事です
浅い「幸福は人の数だけ存在する」
深い「幸福は一点にしぼられる」
桜梅桃李と言う言葉があるが
自他の区別は必要どころか、重要であると思います
良くないのは差別です
他人の不幸の上に築かれた幸福や
感謝の無い幸福や、
自分のみの幸福で満足している人です
狭い、浅い、小さい幸福しか知らない、低い境涯の人に
広い、深い、大きいい幸福を理解させ、境涯を高め
よりよい人生を共に歩む事こそ、自他共の幸福を目指すことになり
崩れない平和社会を築くキーワードになるのです
幸福論は
生命の我の主体的な実感を柱として成立しています
そのため主観的カテゴリーと考える人がいます
しかし
主観的なものをとらえた基準は客観的なものなのです
すなわち主観と客観の上に展開されたものこそ
真の幸福論なのです
一点にしぼられた幸福論の結論は
究極の法則です
No.28
- 回答日時:
幸福感は主観の問題であり故に内心の問題。
それはつまり幸福感・幸福は人それぞれ。質問者の幸福に対する指針はあくまで質問者さんに適用できるのであって他人に適用できるわけでありません
それは相対的幸福・絶対的幸福についても同じです。
質問者さんにとってそのように区別することに意味があるでしょうが他人にあるわけではありません。むしろどうでもいいこと
大事なのはそれぞれがそれぞれの幸福求めていけばいい。
幸福には区別があり、差別があります、
私は幸福だからそれで良いとは言えきません
他人はどうでも良いと言う
他人の不幸の上に築かれた幸福や
感謝の無い幸福や、まして自分のみの幸福など
一瞬の快楽のみを追い求める幸福であり
いつかは崩れる、はかない相対的な幸福なのです
生命の奥底から湧き上がる大歓喜こそ
大我に根差した絶対的幸福なのです
自分は何処から来て何処へ行くのか「何のために」
が、分かれば絶対的幸福を得られるのです
ピエール・ガッサンデー(フランスの哲学者 数学者)の言葉を紹介します
「私は何故、生まれてきたの知らない どう生きれば良いのか
知らないで生きた そして何故死ぬのか 分からないまま死んでいく」
と 言いました
彼も求めていたのでしょう しかし それを知る者と出会う事が
なかったのです
有名な哲学者と言えども 分からないのです
No.27
- 回答日時:
アメリカの心理学者セグリマン氏の幸福に対する指針はあくまで指針の一つでしかしなく全ての人たちに当てはまるものでないのです。
人の脳は「表現型ゆらぎ」によって多様性を実現しています。故に質問者さんが指摘されている指針にそぐわない形で幸福感を得ている人たちがいます
そのような人たちに質問者さんの幸福に対する指針を押し付けるのは「身勝手かつ傲慢」です
すべての人は自身に合った幸福を得ればいいのです。他人に合わせる必然性はありません
主張する事は押し付けではありません
私の主張であっても私の主張ではないのです
社会静力学、现代社会心理学、深層心理学、
人生地理学、人生哲学、社会学研究
等の研究者の先生方のご意見を元に主張したのです
深い知識と知恵と実践によって得られた結論を
「身勝手かつ傲慢」とは言えません
あくまで一瞬の幸福感でなく、
永続的な幸福を述べているのです
相対的幸福でなく絶対的幸福を述べているのです
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