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今から約840年前。源平の合戦で負けた平家は、逃げる間、また集落を作るまでどうやって食いつないで生き延びたのですか。
逃げたどり着いたのはかなりの山奥です。そこまで逃げる間、そして、たどり着いた土地で生活できるまで、雨風をしのぐ物、食料、火を起こす物はどうしていたのでしょうか。
狩猟(猪、鹿等)は安定的な食料調達は難しいですよね。川で釣りでしょうか。畑や田んぼを作るにも鍬やシャベル等はどうしたんでしょ。火はどうやって起こしていたんでしょうか?

A 回答 (8件)

村の一つも襲えば出来るでしょう。

武器は持っていたんだから。
大昔のことですから、あちこちでそうしたことが行われても
村を壊滅させれば記録には残りません。
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この回答へのお礼

そうですね。刀もあるし、好意的にしてもらえない村は実力行使でってこともありますね。

お礼日時:2021/10/30 23:06

栃木県湯西川とかは有名ですよね。


狩猟や釣りしながら食い繋いだようですね。火を起こす文化はあったので問題はなかったと思いますが大変な苦労だったでしょうね。
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この回答へのお礼

自分、宇都宮なんで、湯西川のことを考えていたんです。相当、山奥なんで実際にはどういう風にして生き延びたのかと思って。

お礼日時:2021/10/30 23:08

昭和に入ってからも、横井さんは26年、小野田さんは29年、13歳で家出した洞窟おじさんは43年、野山を放浪しながら生き延びました。



火はもともとライターもマッチもない時代でしたので、普通に摩擦などで起こしていたでしょうし、落人であるからには刀を持っていたでしょうし、竹を裂けばいくらでも道具はできたでしょうし、菜食でしのいだり、罠をしかけたりできます。また、襲うまでしなくても、盗みは容易にできたでしょう。

きっと途中で何人もが病や怪我で亡くなったでしょうけれど、集落を作るまで生き延びることは、人間にとって可能です。そもそも人類の大半は、どこかから流れ流れて集落を作った人たちの子孫です。
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この回答へのお礼

盗みや、村を襲うってこともあったでしょうね。そうですね、途中で亡くなってる人もいましたよね。

お礼日時:2021/10/30 23:10

金山衆や木地師などの独立山岳民に援助されたという説があります。

山間の定住には技術援助が無いと難しいでしょう。
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この回答へのお礼

そうですよね。いろんな技術を持っていたり知識がないと生き延びられないですよね。

お礼日時:2021/10/30 23:12

手持ちの金銭などと食べ物の物々交換。


自生してる穀物。
支援者からの必需品提供。

少数の住民が住んでいるところに居候という形もあったでしょう。
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この回答へのお礼

自生してる食べられるものか。昔は、今以上に食べられるものか食べられないものか判別する知識はあったのかもしれませんね。

お礼日時:2021/10/30 23:14

源氏の勢力範囲は関東平野なので、木曾、熊野などの、山奥に住む事が


出来ます。
取りあえずは狩猟採集で生活し、その後、開墾して農業します。
武家なので農作業は大変でしたでしょうけれど、追従して来た郎党が
中心となって農作業や開墾をしたと思いますよ。

平和ボケの我々には、考えが付きませんが、人間は困った時には
多くの知恵が働くのです。
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この回答へのお礼

なるほど。生活できるまでは、家来の支援があったのですね。

お礼日時:2021/10/30 23:17

そもそも、平安時代に、


①火を起こす方法は。
②家を作る方法は。
③衣服を作る方法は。
④米を作る方法は。
いずれも、当時の一般庶民にはできません。
現代人でも、一般庶民にはできません。貨幣経済です。
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この回答へのお礼

貨幣で解決した部分も多様にあったのかもしれませんね。

お礼日時:2021/10/30 23:19

資料館に行ってみたら?

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