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私は77歳ですが、子供の頃の魚は「いわし」と「ほっけ」と「たら」でした。いわしは大体が「めざし」で干してありましたので噛めば旨みがあって未だに好きです。
しかし「ほっけ」と「たら」は嫌いです。頻繁に食べさせられたのが原因かと思います。
また「さつまいも」も主食として食していたのでやはり嫌いです。昨今はスイートポテトなんぞと呼ばれもてはやされているようなんですが。

同じような年齢の方々も同様なのでしょうか?

A 回答 (7件)

戦争を知らない世代ですが、戦中派の人たちが「イモは一生分食べたのでもう要らない」というのはよく聞きました。



サツマイモは家で栽培していましたが、護国や高系(何号かは不明)などの品種はあまり旨くなかった記憶があります。主な用途は牛のエサでした。
今は、天ぷらの時は必ず買い求めますが、他にはほとんど食べません。

さつまいもの品種と特性
https://www.jrt.gr.jp/spmini/spmini_data/1%E5%93 …


魚は瀬戸内海の美味しい魚に囲まれて育ったので、いまでも大好物です。
メバル、サワラ、チヌ、サバ、ウシノシタ、カレイ、アナゴ、タコ、小エビ、ワタリガニ、シャコ、ナマコ…等々、海のものなら何でも好きですが、ママカリ(サッパ)は小骨が多いのでちょっと苦手でした。年取り魚はブリです。
サケ、ホッケ、タラなど、北の海の魚は馴染みがありませんでした。今は食べますが。マグロやサーモンの刺身やすしに目の色を変える人たちの気持ちは今でもよくわかりません。
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この回答へのお礼

驚きました。紹介していただいたサイトでサツマイモの種類の多さに。これだけ研究開発されているのですから日本人のほとんどが好きなんでしょうね。嫌いなんて言ってると国賊になりますかね (w) 物心ついたころのサツマイモたるや蒸かしているのもかかわらず必ず歯の隙間にスジがはさまったものです。
そうですね南北地域によって魚の種類は変わりますね。ホッケやタラはこれからの課題ですが、好きなのは1番がシャコ(蒸したもののホクホク感 今の居住地ではなかなか無い)2番がクロマグロの赤身(食べた後の口の奥に残る旨み 目の色はかえませんけど w) ママカリはあまりに美味しくてご飯がすすんで、借りに行ったことからと聞きましたが小骨が多いのですか。秋田のハタハタに似ているような。 楽しい内容をありがとうございました。

お礼日時:2022/01/13 19:26

私が子どもの頃はイワシがメイン、たまにサバ、秋になるとサンマというかたちでしたよ。

ホッケ(干物)を目にしたのはずっと後、タラなんてあんまり見たこともありませんでした。地域性もあるんですかね。
 ちなみにイワシもサバもホッケもサンマも結構食べましたが今でも大好きです。
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この回答へのお礼

ずっと食してきてもお好きとは羨ましいかぎりです。何故かホッケとタラは猫マタギではないですが敬遠してしまいます。知人は「たぶん独特の匂いのせいじゃないかな。」と言ってましたが、私は子供の頃一生分食べたからと嘯いています。ちなみにイワシとサンマは好きなほうです。ありがとうございました。

お礼日時:2022/01/13 14:12

10歳ほど下の者です。


東北の山合の名もない寒村の生まれ育ちです。

【魚について】
自宅の食事では山国故、魚は食卓に上る頻度は高くはありませんでした。
たんぱく源は主に豚と鶏の肉と卵でした。
鶏を飼っていたのでその卵や肉は多かった気がします。

水がきれいなことから、身内に鯉などの養殖をしている人がいましたが、ウチでは川魚はほとんど食卓には上ってきませんでした。

海の魚と言えば、決まって、塩引き、干物でした。
なので、塩鮭、目刺し、イワシ・アジ・サンマ・鯖・タラ・ほっけ・ニシンの干物・みりん干しなんかは覚えています。

たまに親が街に出て鮮魚が手に入ると、塩焼きやみそ漬けが食べれました。
寿司・刺身がよく口に入るようになったのは、地方でも冷蔵庫が普及した昭和40年代ぐらいじゃなかったかと思います。

両親が家業で忙しかったので、夏冬春の休みは海沿いの両親の実家に預けられていました。
そちらに行くと事情は一変しました。

よく預けられてたのは宮城の石巻の近くで、季節を問わず新鮮な魚介類が豊富に安く手に入りましたから。
毎日、行商の人が、風呂敷で包んだ大きな行李を背中に背負ったり、リヤカーを引いて街を行き来してました。

覚えているのは、生きてるシャコをリヤカーに載せたブリキの大きな桶から『バケツ一杯でいくら』と言う売り方で売っていたことです。
それを買うと、その日はたっぷりのシャコを甘辛く醤油で煮たシャコ丼がお腹いっぱい食べれました。

父は海鞘(ほや)が大の好物で、夏場は決まって酢の物にして一杯やってました。

山形の海沿いで暮らしたとき、夏場、沖に行く漁船に乗せてもらったことがあります。
ねらい目はメバルでした。

たくさんの針をつけた糸を何本も繰り出して釣るのですが、メバルがいる深いところまで針を下ろす間に、それより上の水域に居るホッケが食いついてしまいます。

上がってきた魚を針から外すのの手伝いが私の仕事でしたが、そのホッケは立派で、両手の指がまわらないほど太く、長さも 5~60 センチはあろうと言うものでした。

それまで、ホッケは切り身でしか見たことがなく、それからはせいぜい 30 センチぐらいかと想像していただけに、その大きさには驚きました。

それでも、メバルとホッケでは格が違うらしく、漁師さんはホッケなんか捨てろと言います。
もったいないと思い、何匹かだけは残してうちに持って帰りましたが、家人もその立派なのには驚いてました。

もちろんメバルも何匹かもらって帰りましたが、これも大きくて、後に自分で生活するようになってから見るのはどこでも、メバルもホッケも小さいのには悲しくなってしまいます。

【イモについて】
寒冷地と言うこともあり、私の場合に口にしていたイモは、もっぱらジャガイモでした。
自家栽培では両方プラス里芋を作ってはいましたが、食材としてという意味合いではジャガイモを主にしていたと思います。

当時のサツマイモは今の紅ハルカなどはありませんでしたから、甘いとは言っても知れてました。
私はそれよりおいしいジャガイモが好きでした。

ジャガイモは土との相性があり、良い土とそうでないのとでは、そこから取れたイモの味は全く違いました。

お米も同じです。
なので、我が家と両親の実家とでは、イモ・豆・麦・モモ・リンゴ・梨・ブドウ・柿・栗などはウチから、コメは両親の実家からと物々交換していました。

どんな植物も、ちょっとした土や日当たりで味は変わるもので、田畑のどこから採れたかとか、どの木のどの部分から採れたとかを結構気にしてました。
作ってるからが故の観点ですね。



そんな昔のこともすっかり忘れてました。
私はプロファイルの様な者で、今はアメリカ東海岸の片田舎で余生を送っています。

海からは300キロほど内陸に入った、広い平野の真ん中の小さな町に暮らしています。
この国も昔は内陸と言うと新鮮な魚介類は手に入りにくいものでしたが、今は結構手に入るようになりました。

へんぴな田舎にありながらも、街が世界中から集まる若いインテリが多い性格から、すしに使えるレベルの新鮮な魚介類が安く豊富に手に入るようになりました。

また、大西洋に近い町に行くと、殻付きの生きのいい牡蠣やカニ・ハマグリ・エビ・ロブスター、カツオ・ヒラメ・さわら・タイ・タラなどが安く手に張るようになりました。

早朝に漁港に行くと、水揚げを終えた漁船から雑魚をもらったり、遊漁船の釣り客から要らない魚を手に入れたりと結構楽しい時が過ごせます。
なにしろ、当地の人は魚介類の楽しみ方のバリエーションが少ないので、結構安く分けてくれたりしますから。

陸のものもそうです。
イモに限らず、野菜は種類も多いうえに安いので助かります。
日本のように甘さや深いコクを楽しめる者は多くはありませんが、そこは量や値段で勝負です。

実は当地でも『そば粉』は手に入ります。
古くからパンを焼くのに使われてきましたから。
なので、結構日本の食事は出来たりしています。
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この回答へのお礼

いやはや景色が瞼に浮かぶような文章で恐れ入りました。私が南東北に住んでいますので猶更なのかもしれません。皆さんの投稿から類推するに、育った環境でこうも食生活が異なるのかと驚かされました。私は生まれ育ちが関東の都会でしたので食生活はよくはなかったのでしょう。
アメリカは行ったこともなく知り合いもいませんので知識に疎くしていましたが、おかげさまで垣間見えたような感じです。ありがとうございました。

お礼日時:2022/01/13 14:03

私は昭和三十年生まれなので、かなり食料事情は良くなりつつあったのでしょうね……。



しかしサツマイモは私が子供の頃の当時でも、筋張った、薄黄色の、甘味の少ない、中途半端な味のものが多かった気がします。
カボチャ然りで……。

なので、私はさつまいももカボチャが大嫌いなまま今に至ります。^^;
でも、最近の物は味が濃くなり、甘さも際立ち、かなり美味しくなったので、少しずつ口にできるようにはなりました。

魚は、義父が築地の鮪の仲卸業者だったため、ありとあらゆる美味しい魚を食べて来ました。
魚は何でも大好きです。(^^)
タラやホッケ、確かに昔から馴染みがある魚ですね。
私は一時期、入院生活も長かったですが、病院食ではその二種が時々……^^;と言うか、頻繁に出ていた記憶が。

今私は海なし県の長野県に移住してまして、美味しい魚が高いし、種類もなく哀しいです。
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この回答へのお礼

そうだったんですね、仲卸業者とはね。。。父は割烹で板前やってました。戦後まもなくは商売にならなかったとは思いますが何かしらの繋がりがあってホッケもタラも入手できたのかもしれません。今更ですけどお住いの長野県に比べれば嫌いなんて贅沢な話ですね。少々頑張ってみますね。ありがとうございました。

お礼日時:2022/01/13 13:47

美味しいですよ。


自分で料理して食べます。

魚類は焼き魚で大根おろし和えがおいしいでしょう。
タラは煮つけや豆腐と混ぜて鍋がおいしいでしょう。

さつまいもは甘辛みりん酒砂糖醬油煮がおいしい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。そう「おいしい」を連発されると毛嫌いには罪悪感さえ覚えます。この年齢ですから今更の気持ちもありますが、人並みくらいには努力してみようかとも・・・。
そうそう、さつまいもは当時とは雲泥の差でずいぶんふっくらと種類も増えていますので改善の糸口にはなりそうです。

お礼日時:2022/01/13 00:32

貴方様は結構な御身分の裕福な御家庭で育って来られたんですね。


私、鰯は嫌と言うほど食べさせられて来ましたけど、ホッケと鱈
は図鑑でしか見た事がありませんわ(涙)…

貧富格差は昭和の頃から始まっていたんですね(号泣)…
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この回答へのお礼

ありがとうございます。なるほどですね、そのような見方があったのですね。裕福といった実感はありませんでしたが何故なんでしょう?何か内緒のルートでもあったのかもしれません。筋だらけの細いさつまいもが主食だったのですから。

お礼日時:2022/01/13 00:24

「ほっけ」と「たら」は、大きい割に安い魚です。


ともに白身で油が少ないので嫌いです。
サバが安かったが、油が多く好きでしたが、最近
サケのように値上がりしてきました。

それでも、はま寿司に行くと、鯖の押し寿司を食べます。
厚切りで美味しいです。
「「ほっけ」と「たら」そして「さつまいも」」の回答画像1
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この回答へのお礼

ありがとうございます。鯖の記憶がないのです。ほっけやたらのように沢山獲れてたのですかね? 少し成長してからはすっごい塩にまみれた鮭が増えたのですが。

お礼日時:2022/01/12 19:12

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