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戦前の日本人は今よりもマナーが悪くて素行の悪い人ばかりだったと言ってる方が居たのですが、実際そうだったのでしょうか?
勤勉で礼儀正しいなどというのは大嘘ですか?
ですが、学徒出陣などの白黒映像とか見ると明らかに今の若者とは顔つきが違っててチャラい人も馬鹿そうな人もそんなに居ない様に見えるのですが…

A 回答 (8件)

一定の地位以上の人は高水準で礼儀正しかったと思いますが、一般人までは疑わしいです。



一般レベルの人たちは、下町的気質で人情はあったでしょうが、同時にガサツさもあったと思います。

バブル期にジャパンマネーなんて言われた時期には、一般人が海外旅行をすることが増えたようですが、マナーを知らない観光客がそれなりに居て色々言われていたようです。

例えば、美術館で。
他の鑑賞者がいるのに、絵画の写真を撮るわけでもなく、絵画の前に並んだ自分達の写真を撮ったりとか。
日本人のイメージが、メガネでカメラを持っている(そして何故か出っ歯)というものだったのは、こういう事があったからだと思います。

今は皆マナーを学んでいるので、イメージは良いようですね。

逆に、「名所の前で自分を撮る」という行為は、今では世界的に行われるようになりましたね。
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戦後も最初の東京オリンピック(1964年)くらいまではそうでしたね。

 素行の悪い人ばっかりと言うことはないものの、マナーの悪い人は大勢いました。 例えば映画館で映画を見ながら煙草を吸う人も多く、吸い殻やゴミも足元に捨てていました。 長距離列車の中で食べた駅弁のゴミも、良くて座席の下に捨てる程度で、列車の中にゴミを残していく人ばかりでした。 だいたい、今のように列車にゴミ箱が設置されていませんでした。 道路上に捨てられるゴミも今では想像できないほど多かったですね。 それから、列車の窓の外から荷物を座席の上に投げ込んで混んでる列車の席を取るような、マナー違反の人も多くいました。 まるで、今の中国のような状況でした。  東京でオリンピックが開催されることになり、来日する多くの外人に馬鹿にされないよう、町中のゴミも含めて、ごみをきちんと捨てようという運動が全国的に広まり、今のような、ゴミが無くてきれいで清潔だと言われるような日本に変わっていったのです。 大倉 幸宏 (著)『「昔はよかった」と言うけれど』を読めば、その辺の事情が良く分かります。
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マナー自体、時代と場所で変わります。

18世紀のパリでは窓から糞尿を捨ててはいけないという法令が出ていましたし、ベルサイユ宮殿にはトイレが少なかったのは有名です。今の価値観で当時を振りかえれば「マナー違反」なことは沢山あります。ある一部を取り上げて、「昔の~は」と言うのは「私が若かった時」自慢をする年寄と同じで、気持ちの良いものではありません。戦前には戦前の社会がありそこでのマナーがあったわけで、それをとやかく言うのは「ヨーロッパ人は牛肉を食べているからマナーが悪い」と言っているインド人と言ったイメージがあります。
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戦前ですと教育が行き届いてなかった人が多かったと思います。


勤勉で礼儀正しい~はもっと後の人たちかと思います。
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元々マナー自体が欧米の考え方なので、古来の日本の価値観とは違っていたのかと。

ですので、勤勉で真面目な人が多くても、マナー違反はあったのでは?

例えば、明治期以前は混浴は町中の銭湯でも普通にありましたが、性被害が多発したと言うことはありません。女性も胸をはだけた姿でも平気で往来を通行していました。

あと、学徒出陣の映像に映る学生は、エリートです。当時の大学生なので。
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私が小学生低学年の昭和30年代なんて酷かったですよ。


大通りで立ち小便をするのはあたりまえ。
街を流れる川は下水やゴミが捨てられ、どぶ川となっていました。
戦前もそうだったでしょう。

学徒出陣の映像で「チャラい人も馬鹿そうな人もそんなに居ない」のは当り前と言えば当り前です。祖国に身を捧げるのがもっとも正しいと教育されていたこともありますが、当時の大学生進学率は数%で人数も少なくエリートだったのですよ。
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>勤勉で礼儀正しいなどというのは大嘘ですか?




はい、大方の日本人(当時)には、当てはまりません。
ただ、優秀な人が居た人々も居た事は、確かではあります。


>学徒出陣などの白黒映像とか見ると明らかに今の若者とは顔つきが違っててチャラい人も馬鹿そうな人もそんなに居ない様に見えるのですが…


それは、太平洋戦争終結後に公布・施行された「現・日本国憲法」下ではなく、ポツダム宣言受諾前の頃の「大日本帝国憲法(明治憲法)」の下、全ての「統帥権」は「天皇陛下」にありました。


特に、「日本陸軍大本営」や「日本海軍大本営」は、「天皇の名の下に戦争が行われ、天皇や国の為に戦うのだ」と、厳しく教育されていたからです。
又、当時の「日本人も、一部の人を除いて、そのような擦り込み」をされ、それが「大和魂なのだ」と信じられて居たからです。



まず日本人は「戦前」と言うと「先の大戦(太平洋戦争)」だけを連想しがちですが、それは違います。


日本は、江戸幕府が「大政奉還」を行い、首都も「江戸から東京」へ。
明治に入り、急速に欧米に追い付こうと躍起になりました。


ヨーロッパで「第一次世界大戦」が起きると、中国の権益を持っていた「ドイツ」が本国へ戻り、日本は、易々と「中国の権益」を横取りします。


その後「日清戦争」、「日露戦争」に勝利。世界の一等国になります。
結果、これが「仇」になりました。日本は「英国と日英同盟」を締結し、1911年には「朝鮮半島を併合」。


日本陸軍(関東軍)は、中国東北部へ進駐し「満州国を建国」。
勢いに乗った(図に乗った)陸軍は、「張作霖爆殺事件」や「満州事変」、
「盧溝橋事件」を次々と起し、「日中戦争の大義名分」としました。


欧米列強は「激怒」。日本も当時の「国際連盟の常任理事国」でしたが、国際連盟を脱退し、世界から「孤立」して行きます。


欧米列強は、日本に対し「中華民国」からの即時撤退を要求しましたが、日本は拒否。


そこで、当時、世界最大の石油産油国だった「アメリカ(A)、ブリティッシュ(B)、チャイナ(C)、ダッチ・オランダ(D)」の4ヶ国が、日本への石油禁輸制裁(ABCD包囲網)を実行。


日本は、石油輸入の大半をアメリカに依存していた為、石油が採掘できる「フランス領インドシナ」へ進駐。しかし、当時、インド全土を植民地にしていた「英国」が不快感を表明。


奇しくも、既に、ヨーロッパでは「第二次世界大戦」が始まっており、特に「英米」との関係は、悪化して行きます。


昭和16年12月8日、「山本五十六」が率いる、日本海軍が、ハワイ真珠湾を奇襲攻撃し、「太平洋戦争」が開戦。

これが「日本人が言う戦前(太平洋戦争)」の事です。



※余談になりますが・・・。

「中国での、日本陸軍の横暴には、戦後、昭和天皇が事件の事実を知り、陸軍に対して激怒した」と「昭和天皇実録」には、記載されています。

「昭和天皇は、心底、特に英米との戦争には大反対していた事は有名」です。
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昔の方がよかったというのは嘘っぱちです。


https://japanreset.blogspot.com/2017/12/blog-pos …
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