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見てくださった方ありがとうございますm(_ _)m

僕は日本史(戦国時代だけですが^_^;)が好きで戦国武将達の評価を記した本や小説などをいくつか読んだりしてます。

それらを読んだりしていると「猛将・勇将」などの言葉が出てきます。例えば、加藤清正、福島正則、本多忠勝、柴田勝家などです。僕のイメージですが、そういう方々は戦場で槍を振い敵の首をスパスパ取っていくような武将って感じなのですが、いろんな本を読んだりしていると、身分が高い武将は自ら戦うことは稀、と書いてありました。

さらに「強い武将といわれるのはその人自身が強いのではなく、手勢の兵が強かったり、用兵が巧みだったりする」のようなことが書いてありました。
ではその時代、猛将・勇将の基準は何なのでしょうか?
黒田孝高のように武勇に秀でていない(それは分かりませんが)が、用兵や戦術が巧みな武将は猛将・勇将とは言われないのでしょうか?

どうでもいいような質問ですみません(>_<)
また、下手な文章で読みにくいかもしれませんがお許しください。

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A 回答 (10件)

近頃は有名な武将や姫自らが武器をとって戦うような、3Dアクションゲームが


人気を博している時代ですからね。戦国武将の小説も、根っこの部分は
これらのゲームと同じです。
それに、時代を遡れば遡るほど、いわゆる職業軍人的な武将は少なくなり、戦が始まりそうな
気配になったら、自分の領地にいる農民やら氏族やらを徴集して、兵士や小隊長として使います。
彼らはお偉いさんに命令されて集められただけの一般庶民ですから、戦い方などの
知識は素人以下です。
つまり、戦術や戦略に詳しいリーダーたる武将は、彼らを上手く鼓舞し士気を上げながら、
後ろに立って、陣形の組み方、攻め際、引き際などを指示し、集団を動かす
要となる役割があるのです。それこそ前線に出て戦ったりなどし、討ち取られでもしたら、
その時点でアウト。城から財産から領地から領民まで、根こそぎ敵方へ奪われてしまいます。
小説などの物語は、いわゆる娯楽用のフィクションです。読者の気持ちを盛り上げる為には、
史実に沿うより、勇ましい描写や格好良いイメージを大事にした方がウケも良く、読者も
気持ち良く物語を読めます。
夢をぶち壊してしまったかもしれませんが、今後は、史実は史実、物語は物語と
割りきった上で、改めて歴史小説を楽しんでみてはいかがでしょう?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

軍を指揮する指揮官がやられては軍が機能しませんもんね。

小説などと割り切らなければなりませんね!ありがとうございました

お礼日時:2009/04/06 23:18

そんな貴方に


ttp://ansaikuropedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E9%95%B7%E5%8F%AF
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

面白いサイトですね(^-^)
森長可がこんなすごい武将だと思いませんでした(笑)

ありがとうございました!

お礼日時:2009/04/08 21:42

<<ではその時代、猛将・勇将の基準は何なのでしょうか?>>


少数ならケンカの強い弱い
多数なら組織的な運営力
いまも昔も同じでしょう
少ない投資で最大の効果ですね 
戦はできれば避けつつ 相手を屈服させれば 勝ちなんですよ
戦は いわば話し合い(取引)で 決着がつかない時に最終の手段です
そうでしょう 命のやり取りですから 避けたい おわかりでしょう
バーチャルなゲームは血は出ません 相手の腹に槍を突き刺す感触はわからないでしょう
勇将猛将といっても 戦ばだれでも怖いものでしょうから 体を硬くする臆病風を払いのける胆力と冷静な状況判断力を発揮できる
そうゆうものは度胸の範疇にはいりますし 結局その勝負になりますから 度胸のある人ということになりますよね
どんな将でも その家柄や領地がありますから だれがが見ているかもわかりませんしその状況では卑怯なことは(敵前逃亡等)できません

小説のなかや歴史上語られる武将達 とりわけ勇将猛将のように書かれてはいますが 歴史上勝者によって創られることが多いでしょう
サムライにとって 武将とは といった あるべき姿像 なんでしょう

黒田は歴史上参謀的ですが いつでも独立できたでしょう
秀吉の家来 上田宗箇は 単身敵の城に入り 門を閉じ
敵の城主の首をとったそうです
戦となれば首をとるか取られるかです
この時代のサムライは ある意味みんなそういう資質なんだとおもいますけどね
いまの時代からみれば野蛮人のように相手の首を掻き落とす
近代戦は遠いところから狙って ボタンひとつでしょう

現実の場面をどうかできるだけ 痛みを感じられるように
歴史や小説等を味わってください
 
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評価が高い低いになります。


例えば相手が2万で自国が二千騎足らずで負けてしまえば
歴史書では滅んだで終わりです。

真田昌幸は2度も徳川軍を
7千対1200騎、3万5千対3千500騎程度で破っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0% …

実際には判定勝利程度の戦果であり、
自国の領土拡張や目に見えた権益の入手などは全くありません。

元は領地を奪われ放浪し、武田家家臣となり旧領地を貰い受け、
主君を変えて行き、仕舞いは九度山で死にます。

しかし評価は「異様に」高いです。

また、武田信玄は72戦中、勝ち49戦、負け3戦。(分け20戦)
この全てが村上義清による負けなのですが、

最終的には晴信に制圧され逃げ落ち、上杉軍の助けを請い
旧領を取り返し、数ヵ月後にはすべて奪い取られます。

唯一武田晴信に勝った男とか、猛将と言う評価もありますが、
???です。

>用兵や戦術が巧みな武将
家康が良い例ではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

後々の評価が響いてくるのですね・・・。

ありがとうございました!

お礼日時:2009/04/08 21:40

猛将を紹介しましょう、島勝猛


猛て字の名前からして猛将っぽいですね
俗に島左近といわれていた人です、左近と
いうからには右近もいて、この場合の左近右近は
大和の武家・筒井の二大家臣のことを指した
そうで、右近のほうは名前を忘れましたが
島左近は筒井順慶に仕えて、筒井は近畿でも
有力な銃砲に長じた武家で、有名な
長篠の合戦で織田は近畿から鉄砲隊を
集めましたが、筒井鉄砲隊の割合が多かった
そうです。
筒井順慶が死んで次の代の主君は伊賀へ領地変え
となり島は、この殿と仲が悪かったのか浪人して
一緒に伊賀へ行かなかった、のちに伊賀の筒井は
改易されましたので、島の選択は良かった?
豊臣の世で近江は石田三成が領しましたが
近江に島左近がいると知って三成は自分の禄の
相当数を裂いて島へ回すという破格の条件で
島を召そうといい島、感激して石田に仕えました。
そして有名な関が原の合戦で、島は一応、石田に
徳川には勝てないから開戦はしないよう石田に
進言するも認められず、逆に、ならば東軍に
大打撃を与えようと、大阪城にあった新型大砲
とうじとしては珍しい榴弾を発射する野砲を
関が原へ持ってきて東軍に大いに発射して
大打撃を与え、島左近の部隊は西軍で最も
強く戦ったといわれていました。
戦後、島左近の首が見つからず彼の死の
目撃者、証言が全く無かったので
のちのちまで生存説が続き、関が原で
一番、島の部隊と戦って、相当、被害が
多かった黒田の隊の関が原の戦いの
生き残りたちは、戦後、数年まで
島左近の指揮の大音声「ものども、かかれ!」を
夢で聞いて汗だくで布団をハネつけて起きる
島左近の亡霊の悪夢にウナされたといいます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

戦国無双では知将って感じだったけど島左近はたしかに猛将ってイメージありますよね!
関ヶ原の戦いでの鬼神のような戦いぶりはまさに猛将って感じします♪

ありがとうございました!

お礼日時:2009/04/06 23:31

>猛将・勇将の基準は何なのでしょうか?



これは他人(同時代の人後世の人含め)が「あの人は猛将だ」といえばそうなるということでしょう。「あの人は頭がいい」というのと同じです。

講談社のマンガ「センゴク」の主人公は戦国武将としてはパッとしたところがない仙石久秀ですが、彼の「勇猛だけど思慮が足らない」ところをよく描いていますよ。歴史に名を残す名将たちは勇猛さはもちろん思慮もわきまえた人たちだったと思います。

質問者さんがおいくつか存じませんが、社会人になると「仕事ができる上司」「できない上司」と見ることになりますが、できないタイプのある種の典型が「部下と同じ仕事をする上司」です。私のかつての上司でも、仕事が滞ってしまって膨大な量が山積みになってしまい、自分が一生懸命ちまちま仕事の処理をしていた人がいました。おかげで、肝心なときに上司がいなくて(一件一件の仕事の処理のためにどっか行ってしまっている)その度に仕事が止まり余計に仕事が滞ってしまいました。
こういうときには隊長ってのはみんなの目が届くところにいなきゃならないのです。
また、手勢の兵が強いのもやはり誰に率いられるかというのが大きいです。スポーツチームでも、これといったずば抜けた選手がいなくても躍進するチーム(例・オシム時代のジェフ千葉や現在の大分トリニータ)があれば、ずば抜けた選手がいるのにそれに見合う成績を残せないチーム(例・長嶋監督や堀内監督の頃のジャイアンツ)があります。
組織は、リーダーの存在ひとつでがらっと変わってしまうのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

センゴクは面白いですね。僕も読んでます♪

仕事ができない上司のもとにつくと、仕事があまりはかどったりしないの
かもしれませんね。やはり上に立つ人が有能でないといけないですね

ありがとうございました!

お礼日時:2009/04/06 23:28

>ではその時代、猛将・勇将の基準は何なのでしょうか?



 あくまで猛将・勇将の基準のみに関して言えば、その武将の性格に由来していることが多いのではないかと思います。ですから、この場合、戦の勝ち負けや用兵の巧拙は別ということです。

 例えば、柿崎景家などは「鉄をも貫きかねない」と上杉謙信が舌を巻くほどの武将ですし、小島貞興(鬼小島弥太郎)や真壁氏幹、真柄直隆など、勇猛果敢でそれこそ『敵の首をスパスパ』しそう(した?)な武将は、たくさんいます。

  ですが、彼らは局地的な合戦には勝利しても、「(所属している)大名家」という大きなくくりで見れば、歴史上は「敗者」なので、そういう点では侍大将レベルの評価にとどまっていることが多いですね。

 まあ、黒田官兵衛や真田昌幸、小早川隆景のような武将は、勇猛というより戦術家的な面が強いので、戦には強いですが猛将・勇将とはあまり言われないですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

どんな将であるかは性格を基準にしているのかもしれませんね。

ありがとうございました!

お礼日時:2009/04/06 23:26

昔から名将と言う中にいろいろなタイプの名将あり。


猛将・勇将もこの中に含まれます。

勇将 勇ましく敵陣へ切り込むタイプ
猛将 猛烈な闘争心で戦場を駆け巡るタイプ
智将 あらゆる知恵に長けているタイプ
虎将 一騎で敵陣を所狭しと暴れるタイプ
賢将 相手の手の打ちを察知して対応するタイプ
良将 何事にも同せず相手に対応するタイプ
謀将 謀を巡らし相手を攪乱するタイプ

この他にもまだあるようですが、私の知っているのはこの程度かな?
そういえば、孫子・呉子には、名将の中で良将最も良しは良将と書いていましたね。

ご参考まで
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

こんなに将の種類があったんですか(・・;)
でもそれだけ色んなタイプの武将がいてたってことですね♪

ありがとうございました!

お礼日時:2009/04/06 23:23

基本的に黒田官兵衛や竹中半兵衛、高坂昌信のような知将肌の名将は


「軍師」として評価されているので、仮に個人的武勇に秀でていても
猛将とは言いにくい(言われにくい)ですね。反面、個人的武勇に優
れるのは勿論、何か具体的なエピソードが残っていて(甕割り柴田、
蜻蛉斬り、虎退治 等)、勝ち戦の実績もある、そしてちょっと「猪
武者」っぽいイメージがあると猛将・勇将と呼ばれやすい傾向はある
と思います。まあ、個々人の思い入れの要素も強いと思いますが・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

個人武勇のエピソードなどが残っている人が猛将など呼ばれるのかもしれませんね。あと、人柄やイメージでも。
ありがとうございました!

お礼日時:2009/04/06 23:20

小説とか武将紹介本は眉唾本&トンデモ本がほとんどですので、作者一押しの武将が猛将とか勇将と言われているのです。



世の中には
刈田狼藉を行い、3万の兵を以て、500人づつが守る城を3つ攻めてその後敵には援軍5500しか来なかったのに負けた、『義と愛に生きた名将』がいるようですから…笑
上記の事例をそのまま置き換えると『掠奪と暴行を行なった弱将』ですけどね
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この回答へのお礼

お早い回答ありがとうございます!

たしかに本などでは作者の独断で評価するってことありますね。
その武将は直江兼続でしょうか?・・間違ってたら恥ずかしい(>_<)

お礼日時:2009/04/03 01:02

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「大軍をもって寡兵を破る」というのが彼の真骨頂で、敵の数倍の兵を集めて、弱い敵を討ち漏らさないのは、当たり前のようでなかなか出来ることではありません。
十分なリサーチをし、勝てるような算段をして、万一の準備をしてから戦に臨み、確実に勝ちを拾う。
信長が世に出たきっかけは桶狭間の戦いですが、人間若いうちに成功するとなかなかそのやり方を否定することが出来ません。
彼の場合、これ以降は余程でなければ相手より少ない兵力で戦をすることは無く、やる場合も損害が少ないように上手に逃げます。
信長の大失敗で知られる越前攻めですが、部下を全て見捨てて自分だけ逃げ帰るような事はなかなか出来ることではありません。
途中で名も無き土民に首を獲られれば末代までの恥ですし、リーダーが逃げ出せば軍団は壊滅し、裏切り者が出て岐阜に反転し、自分の妻子すらどうなるか判らない。
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短期の戦ではアマチュアがプロを抑える事は出来ても、決定的に破ることは出来ませんし、やがて破れていく。

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荷の運搬に対して 信長は信玄や謙信のような 伝馬制度は採らず 馬借でした 城下で営業を許可しておりまして 通常は一般の請負ですが
いざというときは 独占貸切になり どこの誰が何をどれぐらいのものを積むかは すでに決めてありまして ほら貝とともに 短時間で出発できるようになっていました が そのときは何がたりなかったのか
少々混乱しまして (既定の人数にたりなかったようです)いつもより
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いちいち点検して これでよし  いくぞといって 出発したそうです
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馬借の人夫らと雪のちらつく中 馬の背に荷持を担ぎ上げたりしていたわけです
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2,どんなに勝っている場合でも、一ヶ月に一回、数日間、決まった周期で合戦を中断している事。
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2,どんなに勝っている場合でも、一ヶ月に一回、数日間、決まった周期で合戦を中断している事。
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