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「自分の身に起こることは全て自分に必要なこと」という考えについて。私は、嫌な事があった時、そのような考えをして前向きに捉えようと努力するのですが、疲れてきました。幸せな時は、そのように思わないのに、嫌な事が起こった時だけ、そのような考え方をします。

例えば、事故に遭い、身体が不自由になってしまった場合にも「自分の身に起こる事は全て自分に必要なこと」などと考えていたら、少しおかしいなって思ったんです。綺麗事すぎるというか、悲しみや怒りを押し殺しすぎているなぁと。

悲しみや怒りを押し殺してしまいがちで鬱病になってしまったのですが、どのように感情に素直になればよいでしょうか?

A 回答 (4件)

「自分に必要な事」と考えずに、「どのように対処していくか」が大切と思います。

現実は変えられませんので、一番いい方法を考えるべきではないでしょうか?
要するに、起こってしまったことは今更考えても仕方がない。今後をどのようにすべきか、自分に一番合っているかが重要と思います。
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課題の分離ができていないからかとは思います。

その言葉自体は間違ってはいないですが、読み取り方が浅いのかと。
いま読み取りが出来ないのなら無理する必要はありませんが。

例えば、事故が起きて身体が不自由になった時。
事故自体は100%相手が悪い場合は相手の責任になり自分は何も悪くない。
それは当然ですが、それとは別に、結果的に自分の身体が不自由になった。これを乗り越える為には、過去や原因を追求しているだけでは難しく、現状を未来のためにどう変換していくか、そのスキルが求められます。

将来、結果的にあの事故があって自分がこうなったからこそ今の自分がある。と乗り越えた姿になるためにも、前もって「自分の身に…に必要な事」と理解するのは、希望になります。

過去の絶望にしがみつくのか、将来の希望を信じるのか。それはその人次第かとは思います。
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お風呂に入っている時は一人きりなので、身体が温まると同時に毒も出す( ̄ー ̄)つもりでブツブツブツブツ.......。

ギャオギャオ.....。   湯気とともに怒りも毛穴から消えていく感じがします。
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① 「自分の身に起こることは全て自分に必要なこと」という考えについて。

私は、嫌な事があった時、そのような考えをして前向きに捉えようと努力するのですが、疲れてきました。幸せな時は、そのように思わないのに、嫌な事が起こった時だけ、そのような考え方をします。

❶ 嫌なことがあったときも、幸せに感じたときにも、"自分の身に起こることは全て自分に必要なこと"と考えるようにしてはどうですか。 
それを「前向きに捉える」と思うのを止めて、「現実をありのままに受けとめているだけ」と思うようにしたらいいでしょう。

② 事故に遭い、身体が不自由になってしまった場合にも「自分の身に起こる事は全て自分に必要なこと」などと考えていたら、少しおかしいなって思ったんです。綺麗事すぎるというか、悲しみや怒りを押し殺しすぎているなぁと。

❷ 事故に遭い、身体が不自由になってしまった場合にも「自分の身に起こる事は全て自分に必要なこと=実際に起きたことなのだ なかったことや起きなかったことにはならない 嫌か好きかどうかに関係のない現実」と思うようにすれば良いことです。 悲しんだり、怒ったりしても、がっくりしても、過去に起きた出来事、過去にやってしまったことは、変わりようがないです。 事故に遭う(真っ最中)に、恐怖を感じるのは人でも当然ですが、その(真っ最中)に、反省や悔悟、悲しみ、怒り、憤りをする人ってあまりはいないです。 反省や悔悟、悲しみ、怒り、憤りなどやっても、邪魔なだけです。 さしあたり必要なことは、顔面や頭部、胸部を守る態勢をとったり、事故被害をできる範囲で少なくするために逃げる・叫ぶなどの行為です。 事故後であっても、被害を拡大しない対策、二次被害防止、救急処置、現場の原状回復に気を使うのが普通の気持だし、現実の行為でしょう。 悲嘆に暮れるようなのは、まともとは言えないでしょう。 事故で、身体損傷や物損があったり、事故のためにチャンスを逃したり、何やらの損害が生じたということになっても、損失や事故を悲しみ、恨むなどは、不適応な思考であり、不適応な感情です。 
対位すると負けてしまう相手がいた場合に、その相手に対して嫌悪やイライラ・恨み・怒りなどの感情を持てば、その相手と対位することや近づくことを止めるという方向にシフトし、結果的に[対位する=負ける]を避けることができるので、負の感情が適応に向かうということはあるものの、逃げ・避ける対象が増えていけばもう適応ではなくなります。 人間を対象にする場合でも、仕事や作業や趣味的なことでも、うまくいかない・できない・失敗・敗退などの事態になったときに、嫌悪やイライラ・恨み・怒りなどの負の感情を持ってしまって逃げるのは一時局面的には適応にみえても、対象が増えたり、逃げの程度が度を超えれば不適応です。 虫や鳥が嫌だ怖いと逃げていられる生活環境に生きているのなら、虫や鳥に負の感情を生じさせても問題はないですが、農山村に暮らしたり、レジャーに自然の野山を楽しむということも考えるのであれば、強度の負感情を虫や鳥に懐くのは不適応です。
適応/不適応は、暮らしている環境状況によるのです。
事故でなくても、感染症でも、あるいは内臓・筋骨格系・視聴覚・脳神経・皮膚などに問題があって、不都合が起きたり、何かができなかったり、やっても失敗したり、人に遅れをとって落後状態になるということは、日常茶飯に生じます。 《(勉強でも、スポーツでも、仕事でも、美醜や人気でも、能力でも、人に負ける、多くの人に負ける、平均レベルにさえもいかない)というのは、あって当然》です。 そのようなことに対して負の感情を強く持ち続けるのは、不適応を大きくするひどくすることでしかないです。 
(正の感情というか、やけにポジティブな気分・程度を越えた楽天性、自分を強く正当化・尊大・高貴に思う・感じる)のも、不適応をひどくします。 
正も負も、感情を一時のものにする位が適当で、長い時間、何日も感情を引きずるようなのは、不適応に繋がります。
きれい事とかではなく、感情ってなんなのだ? ということを考えることも大事でしょう。 感情という言葉や、感情状態を表す喜び・悲しみ・怒り・愛・憎しみなどの言葉は、とてもポピュラーで、なんとなく分かるのですが、[感情ってなんだ?]と疑問に持ったりすると、突然やっかいになります。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%83%85
生物学的には感情は大きく四つの要因に分ける事ができる。(1)感情を引き起こす脳科学的メカニズム、(2)感情の社会的メカニズム、(3)個人の感情を形作る感情の個体発達、(4)種に普遍的な感情を形作った進化的機能である。前二者は至近要因、後二者は究極要因と呼ばれる。
【進化心理学で想定する要因】
進化心理学では、感情の仕組みは、環境に応じて素早く行動を決定するための生物学的適応であり、進化の過程で形成されたと考える。進化心理学者は親族間の愛情は血縁選択によって、親子間、夫婦間の愛情と反目は親子の対立、性的対立の要因によって進化したと考えている。またレダ・コスミデスのような研究者はそれぞれの感情が異なる選択圧によって形成され、異なる機能を持ち、したがって異なる神経的基盤あるいはモジュールを持つと考えている。ロバート・トリヴァース、リチャード・アレグザンダー、マーティン・ノヴァクといった進化生物学者とゲーム理論家は、友情、協力、裏切り、罪悪感、公平さ、道徳観などを引き起こす動機として一部の感情が進化し、それは互恵的利他主義と間接互恵性、一般互酬性の理論から導きだせると考えている。このような視点からは、感情は少なくとも部分的には生得的であり、一般認知能力からある程度独立しており、内外の刺激に対して瞬時に自律的に発動すると考えられる。この生物学的適応という視点は機能主義心理学にも遡ることができる。
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「感情は、環境に応じて素早く行動を決定するための生物学的適応であり、進化の過程で形成された」と考えた場合、【長い時間尾を引く強い喜び・悲しみ・恨み・憎しみ・愛着】は、感情の誤動作・行き過ぎの感情でしかないです。
怪我をしたときに、「イタイ」と大騒ぎして、自分の頭の中さえ「イタイ」で一杯になって、適切な対応処置も頭に浮かばないでは、誤動作でしかないです。
きれい事かどうかではなく、不必要に強い感情、不必要な時期に生じて頭を占領する感情、長く尾を引く感情は、基本的に誤動作であり、生物学的に不適応を造るものでしかないです。

③ 悲しみや怒りを押し殺してしまいがちで鬱病になってしまったのですが、どのように感情に素直になればよいでしょうか?

❸ うつ病になったのが事実経過としてほぼ正しいとして、原因は「悲しみや怒りを押し殺してしまいがち」ということではないでしょう。
「悲しみや怒りをもち続けた。 悲しみや怒りをもち続けてしまいがち」ということでうつになる人はいるようです。 途中で、誰かに優しくされたり、分かってもらえたとか感じると、それをきっかけに、悲しみや怒りのような負の感情が消え軽くなることはあるそうです。 「笑いを押し殺す・押し殺したような声」という言葉の用法もあり、その例の拡張用法で、「悲しみや怒りを押し殺し」というのであれば、【外面には悲しみや怒りを出さず、内心で悲しみや怒りをたぎらせて】ということでしょうか。 ならば、{「悲しみや怒りを押し殺してしまいがち」 ⇒ 「内心で、悲しみや怒りを強くたぎらせ、長くそれを続けた結果、うつになった」}ということでしょう。
悲しみや怒りの感情に率直になっても、うつの回復には繋がらないでしょう。 感情を捨てる、感情を弱化させる、感情の誤動作を無くすのが、うつの回復には必要です。 うつ症状の緩和には、薬剤も有効です。
多くの場合、悲しみや怒りは過去の出来事を振り返って思い起こすことに関係しています。 過去の出来事そのものは変わらなくても、過去の出来事の事情や背景の理解が変わると、過去の出来事の自分にとっての意味が変わり、悲しみや怒りが起きにくくなることもあります。 評価は自分がしていることなので、悪い評価から中性的評価や良い評価に書き換えてもいいのです。 また、単純な話しでは、多くの過去の出来事と同様に忘れてしまい、思い出したりしなければ、「悲しみだけ・怒りだけ」が沸き起こることは減るでしょう。 過去のことなどほとんど思い出さないにもかかわらず、ふっと悲しみや怒りが湧いてくるのであれば、楽しいこと、心安らぐことを考えて、バランスをとるようにし、興味ある集中できることを始めるのが良いです。美味しいものを食べる、ダンスする、買物にでる、勉強するとか何かを造るとか、チャレンジするようなことでもイイです。
「感情に素直になろう」とか「感情状態に気を向ける」とか、そういうことはしない方がイイです。
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