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大学院まで行った。英語の教師をしていた。」とか聞くと、「ふ〜ん」って感じだけど、こういうの見ると、ちゃんとまともな英語教えられてたのか、怖くなるよね。



あとは、鈴木大拙も英語を教えていたけど、後にアメリカに渡ってから何年も経った後、「今思えば、あの時私が教えていた英語はめちゃくちゃだった」みたいなことを回想している。

どう思う?

A 回答 (3件)

夏目漱石は、1万人に1人と言われるほどの英語話者です。



今は当たり前になっている、「多読」、「音読」、「繰り返し」によって、爆速で英語ができる教育法です。
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1890年(明治23年)、創設間もなかった帝国大学(のちの東京帝国大学)英文科に入学。


翌年、特待生に選ばれ、J・M・ディクソン教授の依頼で『方丈記』の英訳などをする。
1900年(明治33年)5月、文部省より英語教育法研究のため(英文学の研究ではない)、英国留学を命じられる。9月10日に日本を出発[13]。最初の文部省への申報書(報告書)には「物価高真ニ生活困難ナリ十五磅(ポンド)ノ留学費ニテハ窮乏ヲ感ズ」と、官給の学費には問題があった。メレディスやディケンズをよく読み漁った。大学の講義は授業料を「拂(はら)ヒ聴ク価値ナシ」として、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの英文学の聴講をやめて、『永日小品』にも出てくるシェイクスピア研究家のウィリアム・クレイグ(William James Craig)の個人教授を受け、また『文学論』の研究に勤しんだが、英文学研究への違和感がぶり返し、再び神経衰弱に陥り始める。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE …正岡子規との出会い

ということなので、当時としてはバリバリの英語教育者ですね。■
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そうなんじゃない?

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