プロが教えるわが家の防犯対策術!

自分は父の影響で、幼い頃からF1が大好きです。27才です。セナがイモラで天に召された、翌年に生まれました。 日本人ドライバーの中では、片山右京さんが好きです。彼の日本人離れしたドライビングスタイルがカッコよ
かったです。ジャン・アレジや、ジル・ヴィルヌーヴを思わせる走りが好きでした。タラレバの話になりますが、片山右京さんは、ベネトンへの移籍話があったそうですが、移籍していたら、日本人ドライバーの歴史が変わっていたと思いますか? それとも、シューマッハスペシャルに手を焼かされ思ったほど成績をのこせなかったと思いますか?フラビオ・ブリアトーレに認められてオファーがあったことだけでも凄いことだと思いますけどね。

自分は、片山右京さんに、人生を教えてもらったと思っています。どんなこんなでも、諦めずに走ったり、決して人のせいや、マシンのせいにしなかったり、根性でやり抜くこと(1992年のメキシコGPで食中毒により、嘔吐しながら走り切った。) などです。 自分はレースをやっていないのですが、片山右京の言葉や行動は、今の自分の人生に役立ってます。

1997年、片山右京さんのF1最後のレースの後のインタビューで、「終わっちゃったっていうのと、ちょっと悔しいのと」と言うコメントを残していました。「悔しい」と言うのは、ベネトン移籍の事も含まれていると思います。

A 回答 (4件)

えーと・・・結局のところ、御質問はこれでしょうか?↓



>移籍していたら、日本人ドライバーの歴史が変わっていたと思いますか?

・・・答えは、『思いません』
 片山右京氏、残念ながらF1のカテゴリーでは、レーシングドライバーとしてそれほどうまくありませんでした。

 御質問を読み、正直なところなんか他のプロスポーツと同様、選手の『人となり』だけを見て来た様な印象を持ちましたが・・・モータースポーツは工学と技術の集まりであり、レーサーに必要なものも、個人の運動能力だけでなく、『技術の進化に貢献出来る能力=クルマの開発能力』が必要です。
 決して『運転がウマけりゃいい』という世界ではありません。ヒトが寝静まっている時にひそかに練習し、ホームランを量産して大選手になる野球とは違います。

 サーキットのレースは、よく『才能だけの競技』と言われます。
 事実上練習は出来ないので(毎日サーキットを借り切って練習するなど、物理的に不可能です)、才能が最初に必要ということです。レースの世界の努力とは、まず特別な才能があって、その上に存在出来ます。
 これが、『努力が才能を凌駕することもある』他のスポーツとモータースポーツが明確に違う点です。逆に言うと、才能に欠ける者は努力してもどうにもなりません。
 とても残念ですが、それがモータースポーツの世界です。

 ワタシ、元レーシングカーデザイナーで、中嶋悟氏が国内のトップドライバーからF1ドライバーになった時代と活動期間が被っていますが・・・スズカサーキットには、中嶋氏の『まるで超能力者の様な、超人的開発能力』の逸話が沢山残っています。(中嶋氏がホンダのF1用エンジンを開発していた同時期に、ワタシもホンダのレース部門の仕事を請け負っていて・・・あまり詳しく言うと、見るヒトが見たら身バレしますね。)

 こういう話、片山氏には殆ど無いんですよ。あの時ベネトンに加入して、果たして勝てるマシンに仕上げることが出来たか?ワタシは彼の能力では難しかったんじゃないかと思います。まぁ片山氏は、やってみたかったと思っているかもしれませんが。

>シューマッハスペシャルに手を焼かされ思ったほど成績をのこせなかったと思いますか?

 シューマッハが作り込んだクルマは乗り難いと言われますが、そういう話は『クルマを作る側』だった自分としては、全く信じてません。
 そういうことが起こるのは、次のドライバーの能力が足りず『何をどうすればいいのか判らない』か、チーム体制が動脈硬化を起こしていて、『何をすればいいかは判っているか、チーム内で実行出来ない』からか、あるいはその両方です。
 F1は、ドライビングポジションから既にドライバー毎にカスタマイズされていて、エンジン特性もハンドリングも、何もかもがドライバー毎に変えられています。
 シューマッハの好みが全ての面で特殊で、誰にも運転出来ないということは十分あり得ますが、それが変えられないとは(ドライバー含め)開発部隊がボンクラ過ぎる、ということを述べておきます。

 尚・・・

>フラビオ・ブリアトーレに認められてオファーがあったことだけでも凄いことだと思いますけどね。

 ブリアトーレは、F1に乗り込んで来た時から色々怪しいウワサのある人物でした(当時ワタシらは、『本場のマフィアがF1サーカスに乗り込んで来た』などと言ってました)。
 カネ絡みでないと動かない人物とも言われていたので、片山氏にオファーしたのも、狙いはバックにある日系企業のスポンサーだったかもしれません。
 いずれにしろブリアトーレの件は、話半分で聞いておいた方がいいでしょう。

>1992年のメキシコGPで食中毒により、嘔吐しながら走り切った。

・・・そういう話は、F1レベルのトップカテゴリーのドライバーには『あるある』です。

 例えば・・・

※以前のF1には、ガソリン火災に備えて『冷凍消火器』の車載が義務付けられていましたが、マクラーレンのジョン・ワトソンはコイツがレース中に誤作動して両足に冷凍火傷を負い、足がウマく動かせないままレースを走り切ったとか、

※スターリング・モスはコクピット温度が50℃に達する猛暑のレース中に熱中症で失神して止まり、しかし意識を取り戻したらすぐにレースに復帰したとか、

※レース史上最も沢山の『常軌を逸した』伝説を残しているタツィオ・ヌボラーリはひどい喘息持ちで、レース中に喘息の発作が起き、激しくせき込んで喀血しながら走り切ったとか。血を吐いているのを見られたらピットに戻されると思い、左手で口元を隠しながら右手1本で運転したそうです。
 彼はまた、別のレースではコラムが破損してハンドルが外れ、しかしハンドルが無いままレースを続行しました。(しかもこの時55歳。もはやバケモノとしか思えません・・・)

※あのニキ・ラウダも、1976年のF1最終戦の日本で走った時、ニュルでの火傷の影響で視力が0.6程度までしか戻っていなかったとか。0.6・・・本来なら裸眼ではクルマが運転出来ない視力ですが、それでF1マシンに乗るとは。

※ちょっといい話?もあります。
 F1史上最も優れたドライバーとされているロータスのジム・クラークは、レース中にシフトレバーが勝手に抜けてニュートラルになる故障に見舞われ、右手でシフトレバーを押さえながら左手一本で運転して優勝しました。
 この話には後日談があって・・・レース後、クラークはその故障を『これを言ったらギヤボックス担当メカニックがクビになるから』と、チームには黙っていました。
 日頃からクラークの相談相手だった親しいジャーナリストが、クラークの死後記事に書いてしまい発覚しましたが・・・同じロータスのドライバーでも、メカニックに当たり散らしたり恫喝するマンセルやセナとはえらい違いです。

・・・レースに対して、走ることに対してこのぐらいストイックでないと、世界選手権がかかっている国際レースに出場出来ないということです。そういう意味で言うと、片山氏は十分合格だったということなんでしょう。
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94年5月にセナがイモラで事故死した後、連休が明けてからHONDAの本社(南青山)でセナのマシンの展示と追悼記帳がありました。


私は職場がすぐ近所だったので行ったのですが、ものすごい行列でごった返していました。そして、本社ビルの外と中にも、マクラーレンホンダのF1マシンが展示されていた記憶がありますが、とにかく人だかりが多くてあまりきちんと見られませんでした。

せっかくなので記帳もしたのですが、後日セナのポストカードセットが送られてきて驚いたことを覚えています。
これは家宝にしなきゃと大事に保管しておいたのに、どこにしまったか分からなくなってしまいました。
結局未だに見つかっていません。
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で、質問は何ですか。

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私はM-1ですねッ!

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