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1. 天皇を もし日本の国にかかわらせて推し出すのなら

敗戦に責任があるかどうかにかかわらず

その敗け戦は 天皇の負けなのだと思われます。

2. そして そこからなおあらためて戦後の出発を始めるべきだと考えられますまいか?

3. 平成の天皇は じっさいにその心として いま述べた《天皇の負け》という認識(命題)にもとづき〔その表現がどう表わされたかを別として〕自己表現をおこなった。と感じられますが どうでしょう?

A 回答 (1件)

天皇は、象徴としての地位と、統治者としての


地位を持っていました。

しかし、その後、象徴としての地位が
もっぱらになり、統治者としての地位は
姿を消します。

幕末になると、西洋列強の侵略に対抗
するため、再び、統治者としての地位を復活
させました。

敗戦になって、統治者の地位は影を潜め
象徴としての地位がもっぱらになりました。


と、いうことで、戦後、天皇の意義は
変わりました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 天皇は、象徴としての地位と、統治者としての
地位を持っていました。
☆ 明治天皇以降ですか? 神聖不可侵 絶対君主でしたよね。

(むろん 統治者であり 或る種の仕方で すでに象徴でもあったでしょうか)。

★ しかし、その後、象徴としての地位が
もっぱらになり、統治者としての地位は
姿を消します。
☆ むろん 中央集権制のもとで――ときに形骸化したとしても なお――国家の第一人者であるとされた。君臨すれども統治せずといった形態のばあいをふくんで。

(江戸時代には どこか京都というところに天子さまがいるといったおとぎの国の話でしかなったらしい)。

権威であるという意味で 象徴であり それは わたしの言葉で為政者たるアマテラス公民の中で その職務の内容を抽象的な概念と化したアマテラシテとよびますが。

すなわち:
★ 幕末になると、西洋列強の侵略に対抗
するため、再び、統治者としての地位を復活
させました。



★ 敗戦になって、統治者の地位は影を潜め
象徴としての地位がもっぱらになりました。

★ と、いうことで、戦後、天皇の意義は
変わりました。

☆ そうですね。ざっくばらんに言いますが・そしてまったくの憶測なのですが 平成の明仁天皇は 理屈抜きに敗戦の責任を昭和天皇が負うということを結論づけていたでしょう。

けっきょくそれは有耶無耶になってしまい それならというので 自分がその責任を引き継ぐことを決意した。

その後というもの 国民に土下座せんばかりにゆるしを乞うたかっこうであり  裕仁天皇および子としての自己の立ち場に降りかかった歴史の定めからの負い目を つぐなおうとして来た。

ところが そういった内容のことを表立っては 言えない。公的な立ち場としては 言えないのだろうと思われます。

したがって 先ほどのつぐないを果たし得たかどうか まったく国民からの答えも出て来ないし分からない。

精魂尽き果て 生前退位をえらばざるを得なかった。



おそらく 《天皇が負け戦をおこなった》という事態が 何の処理もなされないまま いまに到っている。のではないか です。

お礼日時:2022/08/02 09:33

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