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先の大戦で、天皇に野心はなかったのだろうか?
戦争に勝てば世界の皇帝になれるかもしれない。と、

先の大戦はあまりにもずるずるいってしまっている。
東京大空襲、沖縄戦、原爆など、そこまでされる必要があったのだろうか?
せめて硫黄島あたりで、いさぎよく負けをみとめる事ができなかったのか?

はやくく戦争をやめていれば、日本が焼け野原になることも、原爆を
落とされることもなかったのに。
と、いう結果論的なことを責めているわけではない。
本土を攻撃されて、これ以上やると民間人の犠牲者が増えるのが
わかっていたはずだ。
それなのに、なぜ戦争を終わらせようとしなかったのか?

戦争を終わらせる可能性がある唯一の人物が、天皇である以上、
本気で終わらせようと思えばできたのではないか?
現に最後は天皇の鶴の一声で終戦になったではないか。

それを、しなかったのは敗戦により自分の地位を心配したからではないのか?
いやそれよりも、開戦のときに野心ははなかった、と、言えるのだろうか?
ちなみに、この質問は歴史カテのほうがよかったのだろうか?
みなさんどーおもいます?

A 回答 (7件)

 はじめまして、ひどっちと申します。



> 先の大戦で、天皇に野心はなかったのだろうか?
戦争に勝てば世界の皇帝になれるかもしれない。と、

 もともと、全面戦争になれば、勝算の見込みのない戦争でした。そのことは、当の東条英機ですら、これを認めていました。ただ、“同盟国であるドイツが有利な戦いをしてくれれば、アメリカが日本にちょっかいを出すのを止めるだろう”、また“最悪の場合は不可侵条約を結んでいたソ連に仲介役になってもらおう”といった、人任せの戦争だったわけです。
 従いまして、世界の皇帝になろうとは思っていなかったと察せられます。
 ただ、戦争に反対すれば、自分が精神病者として扱われ、別の”宮”が自分の代わりに天皇に就くといった危機感はもっていたろうと思われます(昭和天皇といえども、絶対的存在ではなかったのです)。

> 先の大戦はあまりにもずるずるいってしまっている。
 本土を攻撃されて、これ以上やると民間人の犠牲者が増えるのがわかっていたはずだ。
 それなのに、なぜ戦争を終わらせようとしなかったのか?

 戦争終結は困難であったと考えております。と申しますのも、軍事クーデターを恐れたからでございます。
 玉音放送が流れた後にでも、“宮城事件”といったクーデターが発生しております。このため、鈴木貫太郎首相(国会議員でもなく、江戸時代生まれでかなりの高齢でした)は、僅か1年の間に10回以上もの(厳密に何回かは忘れてしまいました。申し訳ございません)引越し(逃亡)を余儀なくされています。
 もし、軍事政権となってしまいますと、さらにあと原爆を数発落とされても、降伏はせず、最後の最後まで戦い抜くという方向に向かっていきます。

参考:宮城事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%9F%8E% … 

> 戦争を終わらせる可能性がある唯一の人物が、天皇である以上、本気で終わらせようと思えばできたのではないか?
 現に最後は天皇の鶴の一声で終戦になったではないか。

 できなくはなかったかと思われます。
 実際は、戦争終結すべきかどうかの判断は、御前会議にて多数決によって決められました。もちろん立憲君主制下の天皇には、投票権はありませんでした。ただ、当時の首相である鈴木貫太郎が、天皇の意見を聞きたいといった際に、天皇が戦争は終わりにしたい旨を伝えたため(いわゆる御聖断といわれるものです)、それに従うように鈴木が一票を投じ、その結果、僅か一票差で終戦が決せられた次第です。
 「天皇の鶴の一声(厳密には、自分の意見を言っただけなのですが)」とは、たとえ、それが終戦を導いたとはいえ、“立憲君主制”を逸脱した行為だったと考えられます(決して、望ましいことではないものかと思われます)。

> それを、しなかったのは敗戦により自分の地位を心配したからではないのか?

 それはあったかもしれません。

> いやそれよりも、開戦のときに野心はなかった、と、言えるのだろうか?

 上述の理由から、それはなかったと考えられます。

 ご参考になれば、幸いでございます。

この回答への補足

この戦争は、たしかに追い詰められて、やむにやまれず
始めたとは思いますが、戦争を決意した天皇の心中は
どうであったか?
仕方がなく、という反面、ひょっとして勝てば、という
すけべ心がなかったと言えるだろうか?

天皇は東京大空襲のあと、焼け野原になった都内を巡回
しています。
その惨状をみて、民のことを思うのであれば、すぐやめる
ように進言するべきではなかったか。

それをしないのは、うがった見方をすれば民のことよりも、
自分のことを心配している。
のではないかと、考えてしまうのです。

補足日時:2011/06/23 20:49
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防衛のための戦争です。






http://www.youtube.com/watch?v=LOXpznARBNI&featu …

http://www.youtube.com/watch?v=eODAGhwnbV4&featu …



http://www.youtube.com/watch?v=fTCAHoGN1I4

http://www.youtube.com/watch?v=L7KN5h8YHrE&featu …

このように 当時は欧米人にとって 黄色人種は自分たちと対とうなど思っていなかった。
奴隷くらいの認識でした。
それが当時の欧米諸国の常識でした。


西洋諸国はアジアを植民地化していってたんです。
アジア諸国が防衛しきれなかったので、日本が出て行ったんです。
その結果 生意気な黄色人種が、後悔させてやる ってなって、イラクが世界各国から経済封鎖され、内部から壊されそうになったように、日本の兵糧攻めにあい、さらにアメリカにいる日本人を強制収容所に送り込むなど、不当な扱いをしたり、外国にあった資産を凍結したりして、追い込まれていったんです。

このままではいずれ日本は滅びてしまうとなり、命をかけて戦うことにしたんです。

ただ そう欧米諸国から仕向けられたのですが、罠だったとは知らなかったんです。

この回答への補足

たしかにアメリカもずるいですね。
戦争回避のために日本と紳士的に交渉しているように
見せかけ、実は、最初から譲歩するつもりはなかったのです。

補足日時:2011/06/23 21:03
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 こんにちは。



 自己防衛を ほかのプレーヤーと同じく帝国主義のやり方によっておこなったと なぜ言わないのでしょう?

 天皇の心については分かりません。
 
 マッカーサーに対して 戦争の全責任が自分にあると言ったというのは マッカーサーの側の作り話であるようですね。占領と非帝国化あるいは民主主義化をうまく実現させるために。
 天皇は 東条英機の独壇場による日米開戦をなじっていたそうです。天皇が 特定の個人を叱責したり非難したりするのは 慣例にないということで オモテに出さなかったと聞きました。
 
 降伏をえらぶと 血気の盛んな軍人らが何をするか分からなくなるというおそれから 敗戦を延ばしに延ばしたとも聞きます。

 朝鮮半島をめぐる攻防による自己防衛から 考えを膨張させほかの国の一部を自分のものにしようと思い立ったときから 野心は 日本国民全部のものになったのでは?
 
 よく言えば 他人のものを自分のものにしたくてたまらない欧米の人間に倣って その同じ人間類型になることをえらんだ。それによって 欧米あるいは中国の人間たちに その人間類型の非をさとらしめた(?)という意図が 日本にはあったのでしょうか?
 奪い合いは そろそろ よしなさい。ゆづりあいの世の中にしようと。
 天皇の心については 分かりません。
 

この回答への補足

結構右よりの考え方の人が多いですね。
特に天皇に関しては擁護する立場の人が
この質問に限らず、全体的に多いようです。

天皇に関しての不利益な書物や情報はほとんど
みませんからね。
結局、戦争責任を軍人にすべてを押し付けている
きらいがあります。

補足日時:2011/06/23 20:39
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大東亜戦争は防衛戦争です。



朝鮮や中国に列強の軍事基地が出来たら
どうなりますか。
キューバにミサイル基地が出来る、というだけで
米国は第三次大戦覚悟で海上封鎖に出ました。
あれと同じことです。

日本人は平和惚けしているので、物事を軍事的に
視ることができなくなっています。

日清戦争は朝鮮を巡る日本と清の争いでした。
半島が清の植民地になり、清の軍事基地ができるのを
阻止しようとした日本と、半島を我が物にしようとした
清の争いです。
日露戦争は、ロシアの南下を怖れたあまりの戦争でした。
大東亜戦争は中国大陸が列強の支配下におかれ、
日本の安全が脅かされないようにするための戦争でした。

このように、日本はず~と防衛戦争をして来たのです。
列強のように、利権の為に地球の裏側まで侵略したのでは
ありません。

防衛の為の戦争です。簡単にギブアップしたら、その目的は
達せ無いじゃありませんか。利権の為なら止めるのも簡単でしょう。
儲けが少ない、というだけですから。
しかし、防衛の為の戦争です。
負ければ他のアジア諸国のような運命が待っているのです。
簡単には止められませんよ。
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第二次大戦の前に日本が置かれている地政学的な意味は No.2さんの概略ご指摘のところと思います。

その中 昭和天皇が 始皇帝のごとき 世界の大皇帝になることを望むわけがないと思います。世界平和 とりわけ日本を含む東部アジアの平和を願っていたと思います。歴史にもしは意味がない仮定でしょうが 満州事変のリットン卿の事後処理案を天皇の命(リットン卿案をよしとする天皇の言葉ものこされています)で終結させていたら 米国主導の陰謀戦争には至らなかったかもしれないと思います。満州事変から敗戦までは 米主導のシナリオで動いた歴史と思います。一度 歴史の歯車が動くと こちらの都合だけで戦争を止めるというこにはならないと思います。もう一つ、戦争責任を天皇は どのように考えていたか ですが 当然ではありますが 痛切にどのような責任もとる覚悟であったと思います。後に、敗戦処理、復興を考え マッカサー元帥の手のなかで動くことが 1番日本国のためになり 責任をとる一つの形と考えたのではないか と思います。

この回答への補足

ええ、無論、戦争というのが始まらなければアジアは
おろか世界の平和を望んでいたのでしょう。
問題は、戦争が始まってその時の心中ですね。

左翼が主張する天皇の戦争責任に関して、よくもちだすのが、
昭和20年2月の近衛文麿の上表分に対する、天皇の回答です。
戦争をやめれない裏側に、欲というのが存在するように
思えるのですね。

補足日時:2011/06/23 20:57
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あの戦争以前は、アジアの国々のほとんどが植民地化されて


おり、そもそもアメリカがABCD包囲網やハルノートのように、
日本を無力化する方策を次々に打ち出して、日本を開戦に追い
込んだ経緯からして、どの時点で降伏しても無条件降伏であり、
その結果、植民地化されるであろうと考えるのが自然である。

「天皇の野心」も何も、太平洋戦争は原則的に自己防衛のため
の戦争であり、そこに一部関東軍の暴走や満州国の利権は
あっても、それらを含めてもトータルには自己防衛のための
ものである。
朝鮮半島は、日本が領有しなくても中国のものになっていたし、
満州も、日本が支配しなくてもロシアが植民地化していた。
そしてそれは覇権主義国家の領有圏が、直接日本の国境に
直面することを意味した。

独立を維持することが国民の総意である以上、天皇の野心
など無関係である(日本は独裁国家ではなく、今も変わらず
島国的集団主義国家)。
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今では想像も付きませんが、当時(戦前)の軍部の上層部は武士道を引きずった人間の集団だったと思います。

本土決戦まで話が出でいた中、それを止めたのが昭和天皇であったと理解しています。
これ以上国民を巻き添えには出来ないと言うことで終戦につながるのです。当時の軍部の上層部の意識は『責任は俺が腹を切ってとる』と言うもので、国民にまで気が及ぶ指導者はいなかったと思います。よく言われる『武士道とは死ぬことと見つけたり』と言う思想です。すべてのものを自分の中で切腹と言う形で完結してしますのです。国民にとっては不幸な時代であったと思います。
このような意味で、我々日本人は天皇陛下に救われたと思っております。ましてや野心などは露ほどもなかったと思います。
お断りしておきますが、これは私の意見で私自身右翼ではありません。
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