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今朝こういう記事が目につきました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110111-00000 …

今年4月から使用される小学6年生の教科書に天皇に敬称の「陛下」をつけない記述があり、それを文部科学省で「記述に誤りがない」と検定を通過させた、ということです。

出来事の是非についてお聞きする気はありません。

お聞きしたいのは、従来であれば「天皇陛下」という「敬称つき」の表記が一般的であったのが、なぜここへきて「敬称抜き」になったのか、その変化の理由が知りたいと思います。

もとよりこの質問は「敬称抜き」をパスさせた文部科学省に問い合わせればよいのかもしれませんが、質問者にその気はありません。

平等思想ならだれにでも敬称をつけるべきでしょう(犯罪者を除く)。
天皇に限り敬称はいらないというならその周知が必要でしょう。

質問者はどちらかというと左翼的な心情があるほうですが、こういったなし崩し的な変更(変化?)はあまり好きではないものですから質問をさせていただきました。

恐らく質問解決の回答というよりどう考えるかという回答になるとおもいますが、何なりとお寄せください。(政治カテをあえて選ばず当カテにしました)

A 回答 (4件)

個人の心情や考え方で変わってくるだろうしTV局のアナウンサーだとこれまでどうりだろね


付ける付けないに関しては個々で判断するしかないでしょうね。

ただ文科省の役人の理屈でいきなり付けないってのは
なんだかな~~
すっきりしないものが残りますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

もっとも質問主旨に沿う回答をしていただきました。

>ただ文科省の役人の理屈でいきなり付けないってのは

その理由が何なのだろう、という質問です。
これに根拠ある回答をしていただけるのは、当の文科省の検定担当のお役人あたりでしょうけど当事者からの回答が期待できないので

>どう考えればいいのだろうか

と質問させてもらいました。

お礼日時:2011/01/11 21:23

 報道記事などで、特定の(今上)天皇についてなら、法律てで定めている敬称としての“陛下”を付すのが常識でしょう。


 まぁ一般には顰蹙を買わないという意味ですよね。
 学問や歴史、論述(文脈上)での一般的指示であれば、特に敬称をつけないのではないですか?
 教科書などでもそうなると存じます。
 まさか神武天皇陛下とか、仁徳天皇陛下、嵩神天皇陛下などとは言わないでしょう。
 近代の明治天皇や大正天皇、或いは昭和天皇でも、たとえ報道でも文脈上はつけないことも当然ありうると存じます。
 日常の個人の会話などでも敬称を付しては話してはいないと存じます。
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

現在4名の方に回答頂いています。どなたも質問をお読みでないのかご自分の感想、主張を述べられておられます。

>従来であれば「天皇陛下」という「敬称つき」の表記が一般的であったのが、なぜここへきて「敬称抜き」になったのか、その変化の理由が知りたい

というのが質問主旨です。この傾向について閲覧者の思うところを回答いただきたいと記しました。どなたも思うところを述べられていますが質問主旨から外れています。

もう一度質問文をお読みください。そして「そんなの分かるわけないじゃないか」と思う方はスルーしてください。多分こういう理由じゃないかと思われる方はその内容を記してください。

参考URLはヤフーニュースのヘッドラインです。外部サイトに飛ぶのが嫌な方は質問をスルーしてください。

お礼日時:2011/01/11 20:59

>平等思想ならだれにでも敬称をつけるべきでしょう(犯罪者を除く)。



なるほど、そうしますと質問者「さん」は「総理大臣さん」とか「衆議院議長さん」とかというのが普通だとおっしゃっているのでしょうか。
「さん」の代わりに「氏」でも「様」でもいいですけど。サッカーの試合などでも「本田選手さん」などというべきだとおっしゃるのでしょうか。

普通は肩書きには「さん」とか「様」とか敬称は付けません。飲み屋で「社長さん」とかいうのは聞きますが一般論では付けません。
もっとも電話で「社長様いらっしゃいますか」などと言ってしまったりしますけどね。
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この回答へのお礼

なるほど質問の不備をついてこられましたね。

まあ、公的職業の肩書きにさらに敬称はつけませんね。
しかし、揚げ足取り寄りも質問に応えて頂いた方がよかったですね。

お礼日時:2011/01/11 14:56

過去の歴代天皇に関する記述に「陛下」はつけません。


これは昔からそうですよ。
現代と過去を同列に考察することを考古学に対して
考現学と言います。この場合は現代の天皇にも敬称はつけません。
教科書は時事的ではなく考現学的であるべき、
すなわち当事者的ではなく客観的であるべきです。
社会システムとして天皇は個人ではない存在であり
教科書の記述がそのように改良されるのは正しいことです。

もちろん人間として対するときは敬称をつけます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>社会システムとして天皇は個人ではない存在であり
>教科書の記述がそのように改良されるのは正しいことです。

なるほど、正しい表記になってきたということですね。
「考現学的であるべき」というご意見、参考にします。

お礼日時:2011/01/11 14:52

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