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戦前の昭和天皇はずっと親英米の態度だったのに、陸軍やら右翼はなんで親独伊に急速に傾いていくんですかね?口では「神国」とか言いながら、全然天皇に付き従う気がないですよね?

質問者からの補足コメント

  • 天皇は親英米の態度を示していたはずじゃないですか?米内光正を首相に指名したのだって、その現れでしょう?

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/08/12 23:35

A 回答 (5件)

大日本帝国時代の天皇も、今の象徴天皇制と同じで、基本的に政治的発言はしない。



それは平安時代以降の天皇もそうだ。天皇とは五穀豊穣と護国の祭祀を行う現人神だったからだ。だから政治という俗世とは一線を引いていた。政治的には中立を保つことが重要だった。天皇が政治的争いごとに巻き込まれては、肝心の祭祀が執り行えなくなる。祭祀は政治よりも重要なことだったのだ。天皇家が非常に長く、現在まで続いているのもそれが背景にあるのだろう。

だから、天皇が政治権力を行使する場合には、上皇となって祭祀から離れる必要があった。それがいわゆる院政だ。

もし、天皇が政治的発言をヅケヅケ言い出したらどうなるか。
代表例は後醍醐天皇だ。彼のせいで鎌倉幕府崩壊から南北朝の動乱というとんでもない乱世を呼んでしまった。
そして幕末の光格天皇もそうだろう。江戸時代の天皇は非常におとなしかったが、光格天皇は徳川吉宗と同じ野人的な活力が旺盛で、政治外交的発言を繰り返し、老中首座の松平定信と激しく対立した。
この天皇の時代に、朝廷の威光が蘇りはじめ、同じく強く攘夷を主張し付けた孝明天皇の代で、再び内戦が始まった。

このように、中立であるべき天皇がモノを云えば、政治の動きが暴力的に激しくなってしまう。実際に、奈良時代以前の世は皇族同士の争いも絶えなかった。

しかし、天皇が中立を保って発言を控えると、下々は勝手に「天皇は俺たちと思いは同じはずだ。あいつらとは違う」と勝手に思い込むことが出来る。
そこに天皇が「そうだ。私も思いは同じだ」とか言ってしまうと、話し合いで解決することが不可能になるので内乱になる。反対派が南北朝の動乱のように別の皇族を天皇にして争そえば大乱だ。

昭和天皇も基本的には何も言わない天皇だった。
だから陸軍やら右翼やらは、本当に天皇の気持ちを代弁しているつもりだったのです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2022/08/17 20:54

ヒットラーに招待されて、ドイツを視察した外交官の判断。


ドイツがもう一度戦争を仕掛けたら、ドイツ側の勝利間違いなし。ドイツと仲良くした方が得だ。と錯覚した。
そこに、昭和天皇の考え、気持ちは、全く入っていません。
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普仏戦争の結果、陸軍は軍備をフランス式からドイツ式に変更しました。

当然高官もドイツ留学派が主流になっていきますので親独に傾くのは仕方がありません。イタリアはおまけ。また英はともかくアメリカは1920年代の排日移民法などを皮切りに日本敵視というか嫌がらせを続けていましたので、対米嫌悪ってのは市井にあふれていました。だからこそ開戦の時に日本中が熱狂したわけで。対米嫌悪の反動で親独にかたむいただけじゃないですか。
 昭和天皇が親米英派というのはどうなんでしょう。ヨーロッパ歴訪したり英国から勲章いただいたりはしていますが親アメリカを裏付けるような記録はみたことがない。広い意味で非戦派、世界と協調することを重視されていたことは間違いないと思いますけれど。
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第二次大戦に参戦したかった米国ですが


遠いヨーロッパの戦争に何故
参戦するのか、国民の理解を得ることが
出来ません。

それで、日本を追い込み、先に手を出させ
戦争に参加する、という方法を採りました。

それを察知したからでしょう。
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第二次大戦中には「日独伊・三国同盟」が結ばれていたからです。


軍部は天皇をダシにしただけでした....。

平成時代の首相も天皇を.....この先は言うまい( ;∀;)
「戦前の昭和天皇はずっと親英米の態度だった」の回答画像1
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