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「源氏物語」には『朱雀帝』と『冷泉帝』が出てきますが、
なぜ実在の天皇の追号が架空の人物に用いられているのでしょうか。

どちらも紫式部のちょっと前の時代の人ですよね。
天皇をネタにすることがタブーではなかったということでしょうか。

A 回答 (3件)

当時は高貴の人を実名(諱イミナ)で呼ぶ事は非常にタブー視されていたので官職や住居で表すのが慣例でした。

西宮左大臣(源高明)、河原左大臣(源融)等。
上皇(法皇)も後院(上皇御所)の名で呼ばれたり崩御後は元号や御陵の名でも呼ばれるのが通例でした。上皇(法皇)が1人の時は単に院と呼ばれることもありますが。例えば生前の呼称では宇多天皇は仁和寺・亭子院・中六条院・朱雀院を転々としていて、その時によって呼び名も変わっていますし、陽成天皇も冷泉院を御所としている時は冷泉院、陽成院を御所としている時は陽成院と呼ばれていました(貞信公記)
朱雀院も冷泉院も当時有名な後院でそこに住んでいる上皇(法皇)は皆朱雀・冷泉院と呼ばれたわけです。
つまり源氏物語の朱雀・冷泉院はあくまでリアリティーを持たせるために作者が有名な後院の名を用いて、そこにお住まいの上皇様と表現しているだけなので問題はありません。
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「源氏物語」はいまでこそ世界にも名高い、日本の宝ではありますが、、、



そもそもは、藤原道長が自分の家の中で楽しむためにパトロンとなって(高価な紙を与えたりして)書かせた、私的なゴシップ読み物のたぐいです。

中にはあきらかに道長をモデルにした人物も登場しますが、道長は一番先にその物語を読むののを楽しみにしていたといわれています。

私的な物語ですから、今のテレビのように「このドラマはフィクションであり、登場人物は実在のものではありません」とわざわざ断る必要もなかったわけです。
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朱雀帝も冷泉帝も実在していなかったからではないでしょうか?



朱雀天皇にしても冷泉天皇のしても「朱雀院に住んでおられた天皇」なり、「冷泉院に住んでおられた天皇」ということであって、朱雀帝とか冷泉帝が実在したわけでない。

今の感覚で近いといえば、田中角栄を「目白の闇将軍」という感じ。

だれが朱雀天皇とか冷泉天皇とか名付けたのかな
すくなくとも、大日本史にはそのように書いてあるが
大鏡では宇多天皇は亭子の帝であり。宇多天皇の父親光孝天皇は、小松の天皇とされている。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~n32e131/ohkagami/000 …
大鏡以外でも
http://www.meijigakuin.ac.jp/~soc/essay/pdf/ooka …
これによれば、「室町時代の『正源明義集』にも「先祖、小松の天皇娘宮」ということで、小松の天皇という、現代では実在していない天皇が実在していることになっている。

源氏物語の時代では
朱雀院というと、朱雀院という建物に住んでいたひとが何人もいて、具体的に現在朱雀天皇と呼んでいる人が朱雀天皇と意識されていなかった可能性がある。
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