プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

「古典論理」と「直観主義論理」について以下の質問をしました。

何かを証明したいときに「古典論理」では証明できるけど、「直観主義論理」では証明できない、逆に「直観主義論理」でなければ証明できないということはあるのでしょうか?

すると、下の回答を頂きました。


> 何かを証明したいときに「古典論理」では証明できるけど、「直観主義論理」では証明できない、逆に「直観主義論理」でなければ証明できないということは

「こと」とおっしゃるのが命題を指すのであれば、前者はあるが、後者はない。

………………………………………………………………………


回答に、「こと」とおっしゃるのが命題を指すのであればとありますが、これは命題以外の何かを指す場合もあるという意味でしょうか?

A 回答 (3件)

>>わざわざ仮定するということは他にも命題以外の何かを指す場合があるのではないでしょうか?



『・・』で言ってる事自身を命題だと言ってるケースと、数学の色々な命題を言ってるケースが考えられます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

どちらも命題なら仮定する必要はないと思うんですよね

お礼日時:2022/08/28 20:23

前のご質問は、現実の世界での判断に論理が使えるかどうか、という文脈でした。

しかしそれは論理の側の問題ではない。
 何を言ったって命題になる、というわけではない。たとえば、「たいやき」だとか「10円でしょうか?」は命題ではない。それどころか「これは犬だ」も、一体何が犬で何がそうでないか(犬の頭は犬なのか?犬から尻尾を切り取った残りは犬なのか?)を明確に決められない以上、命題にはならない。実際のところ、現実に関する何らかの言明は、滅多なことでは命題にならんのです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

見つけてくださりありがとうございます。

「こと」とおっしゃるのが命題を指すのであれば〜
 ↑
この表現は、命題を指す場合と命題になっていない場合の2通り考えられるということでしょうか?

お礼日時:2022/08/26 20:08

『何かを証明したいときに「古典論理」では証明できるけど、「直観主義論理」では証明できない、逆に「直観主義論理」でなければ証明できない』



この『』自体を命題とすれば、古典論理では証明可で直観主義論理では証明不可、と言ってますね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

『』自体を命題とすればというのは、『』自体を命題だと仮定するとという意味だと思います。

命題以外にならないはずなのになぜ仮定する必要があるのだろうと考えたのです。

わざわざ仮定するということは他にも命題以外の何かを指す場合があるのではないでしょうか?

お礼日時:2022/08/26 19:00

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!