プロが教えるわが家の防犯対策術!

園児のバス放置の死亡事故がありました。
悲しいことです。

一方で、下記の記事にもあるように
「対策に絶対はない」
が実情だ思います。

https://news.yahoo.co.jp/articles/62edb45221e7d2 …

社会はどれくらいの確率ならば許容できますか?
結果論として
「ああすればよかった、こうすればよかった」
と言うのは簡単ですが、実際問題としては
「絶対はない」
が現実だと思います。

例えば、
「99.99999%の確率で事故が発生しない」
という対策があったとして、それをすれば事故が起こったとしても許容できますか?
どうすれば、いざ事故が起こったときに社会は許容できるのでしょうか?

A 回答 (18件中1~10件)

ご当人には申し訳ないのですが、


社会として端から求められてるのは絶対的な対策ではなく、
継続的な対策改善です。

「子供にクラクション鳴らす訓練」に怒った落語家さんみたいな人ばかりだと困りものです。
まぁ、それだけ取り上げた制作も気持ち悪いですが・・・
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今の社会は、99.99999999%の確率で事故が発生していないですよね。


だから毎日園児が死なないのです。

事故が起きたら、それが100年に一度でも1000年に一度でも、許容はないでしょうね。

命が奪われたら、社会は許容しないでしょう。

人間がやることですから、ミスは必ずあります。
仕方のないことです。

だからといって、許されることは絶対にありません。


過去と他人は変えられない
変えられるのは自分と未来
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そもそも、あなたの質問主旨は何ですか?



「死亡リスクを許容するか?」では?
こと死亡リスクには、許容値など存在しません。

一方、「死亡リスクの有無」を問う意図であれば、当然、そのリスクはあります。

とは言え、「普通に死亡リスクが存在する」などは有り得ませんし、少なくとも人為的なミスなどは、安全係数の積算で、完全に排除が可能な領域もあります。

あなたが例示している送迎バスの放置などが、まさに完全に排除が可能であり、排除すべき領域で。
かつ、命を守ることに対し、予算うんぬんを言うことは、甚だナンセンスです。
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この回答へのお礼

どれくらいの確率ならば、死亡リスクを許容しますか?
が質問です。

つまり
「分野によっては死亡リスクを受け入れる」
ということですか?

送迎バスは完全にゼロリスクが可能であり、バスやタクシー、飛行機は不可能なので受け入れる、ということですね。

死亡リスクのあるビジネスはあり得ないと言っていた気がしますが、まあ、わかりました。

お礼日時:2022/09/29 17:04

> 低ければ受け入れられるということですか?



死亡リスクを「受け入れる」と言う考え方が、存在しません。
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この回答へのお礼

責めているわけではないので、お許しください。

死亡リスクのあるビジネスには関与しない、ということでしょうか?

バスやタクシー、飛行機は死亡リスクはゼロということでしょうか?
他にも、様々なシーンで死亡事故がありますが、
「リスクゼロだけど起こることもある(?)」ということでしょうか?


すみません。
混乱してます。

お礼日時:2022/09/29 16:17

> リスクがゼロでないビジネスって


> 普通にあるような気がしますが…

くどいですが、「死亡リスク」では?

リスクが無いビジネスなど、あり得ません。
ただ、死亡リスクが「普通にあるビジネス」など、存在しますか?
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この回答へのお礼

バスとか電車も飛行機も死亡リスクは
あると思いますが。

低ければ受け入れられるということですか?

お礼日時:2022/09/29 15:50

> ある分野にゼロリスクを求めるということは、他の分野のリスクを受け入れるということではないのでしょうか?



あなたの質問は、「死亡リスク」ではないのですか?

繰り返しますが・・。
少なくとも法律上は、いかなる理由があろうと、「死亡リスク」だけは、受け入れると言う考え方は、存在しませんよ。

民間ビジネスにおける安全配慮も、「予算」など関係ないです。
安全に配慮した結果、採算が合わないのであれば、それは「ビジネスとして成立しない」だけの話です。

逆に言えば、「安全配慮が行き届かない状況では、ビジネスしてはいけない」です。
結果論ですが、運転手が急きょ休み、安全配慮が行き届かない可能性が生じたのであれば、「休園にすべきだった」としか言えないでしょう。

それで困る家庭もあるだろうけど、命に関わるリスクと天秤にかけるリスクではありません。
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この回答へのお礼

なるほど。
リスクがゼロにならない限りビジネスにすべきではない、ということですね。

リスクがゼロでないビジネスって
普通にあるような気がしますが…

お礼日時:2022/09/29 15:27

> 社会はどれくらいの確率ならば許容できますか?



死亡事故に関しては、ごく一部を除き、少なくとも建前上は、「許容値など無い」です。

法的責任が存在しないケース(たとえば自然災害)や、結果的に不処罰となるケースはありますが、死亡事故が発生して、例外的にでも「許容」や「不問」とする様な法令は、存在しません。

他方、安全対策と言うのは、100%+αの「安全係数」を乗じて考えるものであって、99.9%など、100%未満の数値で考えること自体が間違いです。

恐らく送迎バスの放置事故なども、そもそも発生確率が低いので、「更に発生確率を抑える」と言う発想だから、発生するのでしょう。

極論すれば、エアコン付きの屋内駐車場に駐車すれば、防げる事故です。
更には、動体センサーや警報ボタンとか給水設備を設置しても良いし。

また、不思議でならないのは、
・園児などを降車させた後、なぜ扉や窓を開放しないのか?
・なぜ社内が高温化する様な場所に、駐車するのか?
などで、これらはローテクで、すぐにでも行える対策です。

言い換えれば、問題の本質は、上述した「そもそも発生確率が低い」ことであり、「まず事故は起きない」と言う前提で、経済性や合理性を優先しているからです。

原発事故でも、簡単に言えば、「想定外」ではなく、「想定が甘かった」です。
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この回答へのお礼

とはいえ、予算は上限があるわけで、ある分野にゼロリスクを求めるということは、他の分野のリスクを受け入れるということではないのでしょうか?

許される予算の枠内で、全体のリスクが最小になるように予算配分して対策をたてるのが合理的な気がします。

目についた順にゼロリスクを求めるのって、すごくマスコミ的というか非合理な印象です

お礼日時:2022/09/29 13:27

>「完璧か否か」という話をしていたので。


こちらこそ、質問の本質に答えられなくて申し訳ありません。

ちょっと畑は違いますが、医療の世界では不幸な事象は起きることが前提でそれを無くすことはできないと考えています。当事者や家族はなかなか受け入れることができないというのは理解できます。昔は周りがたきつけて、訴訟だ、何だって話になる事が多かったのですが、実際に裁判になるとメリットデメリットの説明と同意が得られていたこと、基準を逸脱する行為がなかったこと、が守られていれば、医療提供者が責任を問わされることはありませんでした。国も率先して、それを必須としたきまりを作り、責任の範囲を明確にするような仕組みを作りました。

社会的に、このような状態がよく知られるようになっていくとともに、メディアの取り上げ方も変わってきて、医療機関に責任に疑問を投げかけるような報道は、(本当にそういう場合を除き)少なくなってきたように思います。もちろんそうなったところで、当事者や家族が受け入れられるかというのは別問題ではありますが、明らかな過誤が見つからない状態のほうが、状況を受け入れやすくなるのではないでしょうか。

今回のバス事故に関しては、私はそれ以前の問題であること思いますし、縁側に過失も責任と思います。手術の際に体の中に手術器具を忘れて縫合してしまったレベルの話です。それを避けるために、使った手術器具の数と、回収した手術器具の数が合致することは必ず確認するわけです。今回の事件が注目されることによって、きっちりした基準等が作られることにつながるのであれば、当事者以外が「騒ぎ立てる」ことにも意義があるのかもしれません。
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責任の所在がハッキリしてない。


小学生なら先生が出席簿片手に点呼を取れます その時教室にいなく放置すれば担任の責任、登校中は保護者の責任?だよね。

今回の園児 当然事故で事件にはならない。
例えばバスに乗せるとき 親が位置情報の端末(首から掛ける)を持たし タブレットで乗った人数の確認 到着したときもう一度バスから降りてるかの確認をすればなくなる。送った後も同じ様にする。
ただ親が持たすのを忘れたり 園側の確認作業がしてなかったりがあれば起こる可能性が有る。
責任の所在地をハッキリすれば社会は許容する事が出来る、事故は無くならないが容認できるルールができる。
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この回答へのお礼

今回の事故の責任は園側じゃないんですか?

そもそも、責任の所在は最終的には裁判で明確になると思いますが。
「速攻で最終的な答えが出なくてはダメ」
ってこと?

日本の裁判制度を考えると、それは無理がある気がしますが・・・
関係者にはそれぞれの言い分があるわけで、裁判以外で「最終決定」を
するって厳しくないですか?

ーーー
>親が位置情報の端末(首から掛ける)を持たし タブレットで
>乗った人数の確認 到着したときもう一度バスから降りてるかの
>確認をすればなくなる。送った後も同じ様にする。
想定通りいけばいいですが、タブレットを使うって言う点だけでも
「端末の充電が途中で切れた」
「端末を忘れた」
「雨でぬれて壊れた」
なんていうことが想定できますよね。

99.99%は解決できるかもしれません。
だけど、99.99%の対策なんて簡単なんですよ。
現状だって、それくらいなわけです。

お礼日時:2022/09/29 09:24

ちょっと意味が分かりません・・・


「新幹線の事故がないから、通園バスでもゼロにできるはず」
っていうことでしょうか?
その論理が理解できません。
なぜ、
「新幹線にできるのであれば、通園バスでもできる」
ってなるのですか?
「新幹線で事故ゼロならば、交通事故もゼロにできる」
ですか?

   ↑ ↑

はい!交通事故もゼロに出来ます。

いま正に・・

「2030年までに死亡交通事故ゼロ」※を目指すSUBARU。「そんなこと、本当に実現できるの?」と疑問に思われている方も多いかもしれません。でも、実際に、このビジョンに一歩一歩近づいていることが数字にもあらわれ始めています。
例えば、日本で販売されたSUBARU車100万台あたりの死亡重傷事故数は、2019年度には2009年度の約半分に。さらに、2015年から2019年にかけての5年間に日本国内で初度登録されたSUBARU車が関連する死亡交通事故件数は3件でした。
また、アメリカでも販売台数100万台あたりの死亡交通事故数は2008年度の110件から2018年度には58件にまで減少しています。この数字は他メーカー平均に比べても大幅に少なく、近年では、ほぼ他メーカー平均の半分近い数字です。
一見、夢のように見えるビジョンですが、新幹線でも出来るのならと、このように少しずつ着実に実現へと近づいているのです。
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この回答へのお礼

なんか煽ってしまいましたね・・・

別に
「交通事故がゼロにできるか否か」
を議論しているわけではなくて・・・

「新幹線の事故がゼロ」と「全く他の分野の事故がゼロ」が
論理的にどう関係づくのですか?って話です。

「山岳遭難事故がゼロになる」
でもいいし
「自転車事故」
でもいいです。
「小指を机の角にぶつける事故」
でもいいです。

新幹線の事故がゼロになろうが、交通事故がゼロになろうが、
それは
「通園バスの放置がゼロになる理由」
にはならないんじゃないですか?
という話です。

ようするに、言いたいことは。
「頑張ればゼロになるよ、きっと!彼らも成功しているよ」
みたいな気持ちの話ですね。

お礼日時:2022/09/29 09:17

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