プロが教えるわが家の防犯対策術!

園児のバス放置の死亡事故がありました。
悲しいことです。

一方で、下記の記事にもあるように
「対策に絶対はない」
が実情だ思います。

https://news.yahoo.co.jp/articles/62edb45221e7d2 …

社会はどれくらいの確率ならば許容できますか?
結果論として
「ああすればよかった、こうすればよかった」
と言うのは簡単ですが、実際問題としては
「絶対はない」
が現実だと思います。

例えば、
「99.99999%の確率で事故が発生しない」
という対策があったとして、それをすれば事故が起こったとしても許容できますか?
どうすれば、いざ事故が起こったときに社会は許容できるのでしょうか?

A 回答 (18件中11~18件)

>完璧な対策からは程遠い気がするんですよね。


完璧な対策とは言っていません。事故が発生したときに、お約束した通り、(国によって指定された以上の)このような基準を作り守っていました。(申し訳ありませんが、お金で決着つけましょう。)

ということができる状態にしておきましょうという話です。
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この回答へのお礼

失礼しました。

まあ、減らすことはできますよね。
今も十分「減っている」と思います。

「完璧か否か」という話をしていたので。

お礼日時:2022/09/29 09:13

既に社会は許容していると思います。


許容をしないのであれば、園児の送迎バスそのものを禁止するという風潮になるでしょう。
もちろん当事者になれば、「なぜ?」「どうして?」という気持ちは強いでしょうし、社会的にも同情もするのも当然です。
が、だからといってバスによる送迎そのものが悪であるという話にはならないわけです。すべて親などが園まで送り迎えをするとか、徒歩による集団登園にすればよいという話にはなっていません。
これは園児の送迎バスだけの話だけでなく、ほとんどの社会における道具についていえることでしょう。
車がなければ自動車事故もなくなるし、電話がなければ「オレオレ詐欺」もなくなるでしょうし、SNSがなくなれば無闇な誹謗中傷もなくなるでしょう。が、車や電話やSNSが社会に与えている便益と比較すれば、そのものをなくす社会的な損害のほうが大きいということでしょう。

この境界線上にあるのが原発ではと思います。
社会に対する害と益のどちらが大きいかということが拮抗しているのではと思います。
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遵守できる対策基準を作りそれを守る事


(国が率先して、最低限で必須の対策、望ましい対策などを提示するのもあり)
事故が発生する可能性はゼロにはならないことをあらかじめ説明して同意を得る
事故が発生したときは誠心誠意で対応は行うことは約束する
例外事例に関しては、お金で解決しかできない
そのために保険に加入
保険料は利用者が(間接的かもしれないが)払うことになる
それで成り立たないのであれば、ビジネススキームが崩壊しているということ
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この回答へのお礼

>遵守できる対策基準を作りそれを守る事
もちろん、そうなんですが、実際には、交通現場では
「命の危険があるにもかかわらず、速度超過は日常茶飯事」
なわけです。

なんていうか
「危険があるからルールを守りましょう」
って、完璧な対策からは程遠い気がするんですよね。

町を見渡せば、「速度超過だらけ」なわけですから
「安全を軽視する人だらけ」な社会なわけです。
違法行為だし罰則もある。ばれたら社会的にまずい人もいる。
にもかかわらず「速度超過だらけ」なわけです。

という社会において
「安全のために・・・」
とか言ってもむなしくない?って感じ。

保育園は保険に入っていますよ。
任意ではなく法律で決まっていたはず。

お礼日時:2022/09/29 09:02

新幹線は努力しているから人身事故がありませんよ?

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この回答へのお礼

ちょっと意味が分かりません・・・

「新幹線の事故がないから、通園バスでもゼロにできるはず」
っていうことでしょうか?
その論理が理解できません。

なぜ、
「新幹線にできるのであれば、通園バスでもできる」
ってなるのですか?

「新幹線で事故ゼロならば、交通事故もゼロにできる」
ですか?

お礼日時:2022/09/29 08:57

>実行すべきは「絶対で完璧な方法」



なら、大事な我が子を家から幼稚園まで連れて行くのです
昔は送迎バスなんてなかったんですよ
...歩いて行ける距離に有りましたから
結局は金儲けで沢山の園児欲しさの運営が事故の元になったと何故、気が付かないのかでしょう
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この回答へのお礼

つまり
「バス通園を日本からなくせば、バス内放置がなくなる」
ということですね。

たしかに!
そうすれば「完璧な方法」ですね。
でも、通園中の事故は増える気が・・・

まあ、社会ってのは
「注目している問題が解決されればOK!」
ってものですからね。
目の前の問題さえ解決できれば、解決したことによって
他の問題が発生してもしったこっちゃないですしね!

お礼日時:2022/09/29 08:49

死亡事故ってのは、1番の問題なのでしょう。


ま、それで言うなら災害とか突発的な病気とかの事故なら、許容範囲かなと思います。

ただ、それでも市役町村で、その後の対策は必要だと思います。
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この回答へのお礼

天災は許容範囲な気がしますね。
隕石の落下とかトンネルの崩壊とか。

ただ、災害でも、
「ああすればよかった、こうすればよかった」
が結果論でも成立するならば、社会は許してくれない気がします。

病気は微妙ですね。
「事前に可能性の一つとして考えられなかったのか?」
となる気がしませんか?
具体的にどんな病気のどんな症状ならば許容できますかね?

状況にもよりますが、最近の雰囲気だと、
「そういう病気ならば、はじめから●●すべきではなかった。本来、防げた事故だ」
ってなる気がします。

お礼日時:2022/09/29 08:40

事故は起きてはいかんのです


通ってる子供には、幼稚園に着くまでは車の中で絶対寝たらダメだよ!って言い聞かせましょう

幼稚園の先生は、動いているモノにしか感じないセンサーの様な働きしか持ってないと思えばいい
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この回答へのお礼

>通ってる子供には、幼稚園に着くまでは車の中で絶対寝たらダメだよ!
>って言い聞かせましょう
こんなこと言っても、全国数10万人いる園児に例外なく効果がありますか?
「99%の園児に効果がある」
とかいう対策を何個行ったところで
「99.999999%」
になるだけです。

実行すべきは
「絶対で完璧な方法」
なので、おっしゃる対策は全くの無意味に感じるのですが・・・

お礼日時:2022/09/29 08:36

今回の場合はミスが積み重なったもので、通常なら100%防げてます。


それでも起ったら対策の不備ですね。許容はできません。
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この回答へのお礼

なるほど。

現場の
「絶対はない」
なんていう声は間違っているということですね。

「100%の対策をすべきである。未来にかけてゼロリスクになるべき」
ということですね。

お礼日時:2022/09/29 08:34

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