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《「 B だ」という述部の主格として話者は何を指定しようとしているのか》
ということは、聞き手にとって未知情報でなければならない。
と思いますが、いかがでしょうか。
たとえば、

・天才と言えば、ほかならぬアインシュタインが天才だ。

と話者が言う場合、

《「天才だ」という述部の主格として話者は何を指定しようとしているのか?》ということは、聞き手にとって未知情報である。

ということです。

A 回答 (14件中11~14件)

文における語句が既知とか未知とかというのは、話者の話の中にそれまで出てきたかそれとも初めて出てきたのかということだと思います。


「AがBだ」は既知でも未知でも関係なく使えるはずですが。
「が」についていえば、「同値」=「同一性を表す」ということで私の中では解決しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>文における語句が既知とか未知とかというのは、話者の話の中にそれまで出てきたかそれとも初めて出てきたのかということだと思います。

そのような捉え方もあるかもしれませんが、その捉え方はほとんど無意味だと考えています。
基本的には話者の認識に関する問題です。

【聞き手が聞いて、(話者が)何を指し示そうとしているのか分かる事柄】が聞き手にとっての既知情報であり、
【述部の主格として、(話者が)何を指定しようとしているのかが分からない事柄】が聞き手にとっての未知情報。
ということなのです。

>「AがBだ」は既知でも未知でも関係なく使えるはずですが。

ある人物が能天気さんのお母さんを指して、

「この人があなたのお母さんだよ」

と言っても違和感はない、ということですか?

お礼日時:2022/10/17 14:31

相変わらず寝言を並べていますね!!!



それは君が寝惚けているからだ。

《「寝惚けているからだ」という述部の主格として話者は何を指定しようとしているのか?》ということは、聞き手である君にとって未知情報であるかも知れません。

しかし、

君がやったのだ。

と十津川警部が厳しく犯人を追及する時、《「やったのだ」という述部の主格として話者は何を指定しようとしているのか?》ということは、聞き手である犯人にとって未知情報である筈がありません。

そもそも、未知既知と助詞「は」「が」とは次元の異なる問題で、

 既知と未知とは認識の問題であるが、認識は具体的なものから抽象的なものへ立体的な構造をもって成立するから、既知か未知かとあれかこれかの発想で形而上学的に割切るわけにはいかない。【抽象的でよければ何でも既知になる】。新しい素粒子もブラック・ホールも雪男も新聞雑誌で知ったから既知であるが、具体的にはどれも未知としかいいえない。

ということです。

しっかりして下さい!!!■
「「A が B だ」という構文において、」の回答画像3
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この場合、未知か既知かという基準だけでは分けられない使用例が出てきますね。

一つの文を主部述部と分ける場合に単に主部であることを示すのが「が」、それに対し「は」はそれに加えて特に取り出して注目を引こうとする話者の意図を含む場合がある、とでもしておく方が妥当と思いますがいかがですか。もっともこれも現実(実際の使用現場)では混用があるので一概には言えないのですが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>この場合、未知か既知かという基準だけでは分けられない使用例が出てきますね。

個人的には出て来ないと思っておりますが、それを検証する旅でもあります。(笑)

>一つの文を主部述部と分ける場合に単に主部であることを示すのが「が」、それに対し「は」はそれに加えて特に取り出して注目を引こうとする話者の意図を含む場合がある、とでもしておく方が妥当と思いますがいかがですか。

おそらく、それでは日本語学習者を納得させられないような気がします。
というのは、「が」は《単に主部であることを示す》わけではない場合が基本だと思うからです。

・ガラスを割ったのは僕ではありません。太郎君が割りました。
・君が言わないなら、僕が言おう。

など、いわゆる「総記のガ」ですね。
これはむしろ、《主部であることを強調的に示す》用法と言えるでしょう。

ここで若干補足させてください。

「これがほしい」

と言う場合、「が」が主部であることを示すのは間違いありません。
しかし、「これ」だけで主部を表わすことはできませんよね。
「これを」かもしれないし「これで」かもしれないわけですから。
あくまで「これが」と言う場合に限って主部であることを示すことができるわけです。
重要なのは、《主部であることを示す》と言う場合、あくまで述部が想定されていなければ筋道が立たない、という点です。

ここで、「ほしい」(という述部)に対応する主部が聞き手にわかっていないからこそ、「これが」のように示すのだ、と考えるのが論理的だと思うのですが、いかがでしょうか?
有体に申し上げると、何がほしいかをわかっている相手に対して「これが」とは言わないだろう、ということです。
ご見解をいただければ光栄です。

お礼日時:2022/10/17 14:15

(´・ω・`) 例として挙げるなら、


「ほらね。ちんちん【が】左曲がり【だ】」
くらい単純な文章にしておくべきでしょう。

そもそも例に上がっている文章はちょっとおかしいぞ。
文頭と文末で「天才」が重複している。

・・・

一つの文例で考えるのではなく、いくつもの文例から共通する要素を考えるようにしてみましょう。
その文例でしか通用しない要素について考えて沼にハマるぞ。
「こいつ【が】犯人【だ】」
「これ【が】教えて!gooクオリティ【だ】」
とか、いろいろあるだろ?

・・・

ここは答えを教えてもらう場所ではなく、自力で答えを見つけられるようなアドバイスを受ける場所です。
そんなわけでストレートな答えじゃないんです。ごめんね。
でも考え方を身につければ、同じような疑問は自力で解決できるようになります。
もう少し頑張ってみましょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>その文例でしか通用しない要素について考えて沼にハマるぞ。

おっしゃるとおりですね。
その一つの例として質問しております。

>「こいつ【が】犯人【だ】」
「これ【が】教えて!gooクオリティ【だ】」
とか、いろいろあるだろ?

どちらの場合も、
《「 B だ」という述部の主格として話者は何を指定しようとしているのか》
ということは、聞き手にとって未知情報だと思うのですが。

未知情報だからこそ、
犯人【だ】
教えて!gooクオリティ【だ】
と教えているのではないでしょうか。
いかがでしょう?
改めてご見解を伺えれば光栄です。

お礼日時:2022/10/17 13:55

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