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《普遍神 - われ》なるタテの関係としての信仰は 次に図示するようなかたちに分かれて 現実と成っている。そのとき BとGとが 《無い神》の信仰である。これによって標題について説明しようとしています。いかに?

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:空(シューニャター)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀仏)
      / マハーワイローチャナ(大日如来)
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 唯心論:イデア精神一如(=有神論)
   イデア:第一形相(質料のない形相)
   精神:《われ・心》

  G. 唯物論:物質存在一如(=無神論)
   物質:第一質料(形相のない質料。物質とは 形而上のもの)
   存在:人間

  H. 《もののあはれを知る》:霊霊一如
   霊:かみ(超自然。普遍神がいくつもの分身(=自然)に分かれている)
   霊:われ(自然本性)

  I. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  J. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ

  K. タオイズム:道人一如
   道:かみ
   人:われ


☆ 問題は このような――梵我一如ないし霊霊一如なる――信仰の類型から さらに思考をはたらかせてオシへを形成する場合です。

樅の木にデコレーションを飾るがごとく 信仰なる生きた蝉のその抜け殻として宗教がオシへを構築する場合です。

オシへとしての有神論(唯心論)や無神論(唯物論)は もう相対的な経験事象が入り込んで来ますから 話がまったく別の話になります。信仰の問題からは 無縁の――答えの出ない――議論になります。

質問者からの補足コメント

  • №67&68について 《お礼を確認する》とクリックすると 《お礼ができなくなっています》という説明書きが出ます。

    ここに掲載します。

    ☆ №67へのお礼 ~~~
    誤解です。

    専門家のあいだで 定説と新説といったかたちで議論が争われているという意味です。

    だから みなさんから どういった見解であるか。これをおしえてもらえると ありがたいわけです。

    それを問うています。
    ~~~

      補足日時:2022/11/04 21:15
  • 去っていけばいい という意味です。

    No.114の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/11/08 05:38
  • №196お礼欄 

    ★ 自由に選ばないという選択肢もあれば
    ☆ それは 《無い神》をえらんだことになります。


    ★ 隣人に神と呼ばれる実在する人物もいる
    ☆ 村神様は 神という語の二次的・派生的な用法です。

    絶対性なる普遍神に ちょっと似ているというような意味で 相対的な存在にも神の語を用いるのです。

      補足日時:2022/11/09 13:13
  • いま NECのプロバイダ料(のみ)は 月¥2,170でしたか。

    No.200の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/11/09 14:32

A 回答 (209件中181~190件)

最後の審判を信じますか。



実は、私が・・・。
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この回答へのお礼

実は・・・何ですか?

お礼日時:2022/11/04 04:20

Jesus Will Come Again


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この回答へのお礼

神よ はやく来てくださいと言う場合があるかと思いますが そういった話を持ち出してくることは あまりないとは思います。

お礼日時:2022/11/04 03:40

卍 ------ 宗教界



卐 ------ 政界
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この回答へのお礼

しょうじきに申せば あまり使いたくないシルシです。

お礼日時:2022/11/04 03:39

ある意味では、卍という考えは、専守防衛、非武装という考えですね。



ある意味では、卍 という考えは、先制攻撃という考えでした。
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この回答へのお礼

そのような感じがあるようです。

お礼日時:2022/11/03 23:05

#24



それは理想論ですよ。人は柵の中でしか生活することは出来ませんからね。
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この回答へのお礼

ひとりでは 有効にならないかもですね。

お礼日時:2022/11/03 22:59

蛙さん頭脳って簡単なようで難しいのですね。

事が起きれば、情動は乱れてしまいます。余程の暇人で、人間関係を断絶している方々は、柵がないですけれど、自分の身の処理の問題は残りますからね☆彡
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この回答へのお礼

シガラミも喰ってしま得ればいいんですが。

お礼日時:2022/11/03 22:47

#21


《空解脱》
《無相解脱》
《無願解脱》


例えば、【蒼天航路】アニメーションに登場する、「犭貪」(トン)という架空の生き物とは、


でありますから、無から誕生して無限の貪りを繰り返し、最後には自らの身体でさえ、食い果ててしまう架空の生き物のことです。
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この回答へのお礼

☆☆
《無願解脱》も 無理です。同じ論理です。
 
すなわち 《願求の念を捨てる》というとき その捨てるという意志には 願いや望みや欲求がふくまれています。

☆ 《願求(がんぐ)の念を捨てる》というとき その《捨てる》には 《要らないものを持たないようにする》という願求の念がふくまれています。


《願求の念を捨てる》には 一定の願求の念が必要なのです。

お礼日時:2022/11/03 22:36

人が文化を持ち始めた我々のずっと祖先は、動物を神の生贄として捧げる以前は、主に奴隷なのでしょうけれど。

人間を神の生贄として捧げていたのですね。

その歴史的教訓は、曹操の時代でも焼き物を曹操の墓と共に捧げたはありますけれど。人間(奴隷)を生贄として、曹操の死に捧げたとは私は聞いた例がありませんね。幾ら、三國志が戦乱の世だとしてもです。
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この回答へのお礼

生け贄ないし殉死ということについてです。

▲ (ヰキぺ:垂仁天皇) ~~~

考古学的には人型や馬型の埴輪は埴輪の中でもかなり後になって出てくるものであり、人型が始まりというこの説話は正しくないことがわかっている。

 ☆ という前提で次を読むことが出来ます。

・・・即位28年に亡くなった倭彦命の葬儀で近習者を集めて殉死させた有様があまりに惨たらしかったため、天皇は殉死の風習に代わるものを考えていた。

そこに野見宿禰が進み出て出雲国から100人の土部(はじべ)を呼び寄せることにした。

野見宿禰たちは人や馬の形をした焼き物を作り殉死者の代わりとしてはどうかと提案した。

これが埴輪の起源だとされる。

天皇はこれを称えて野見宿禰に土師臣(はじのおみ)の姓を与えた。
~~~

☆ インドのサティーなる寡婦殉死の制度が知られていますが 日本古代でも こういったかたちで殉死がおこなわれたかとは考えられるようです。

お礼日時:2022/11/03 22:00

#18



まぁ、お釈迦様が生きた時代だと、仏教は新興宗教状態だから、厳格なカースト制に対する釈尊の思い、また、釈迦族とコーサッカ族が交戦状態に陥った、若き日のお釈迦様。又、釈迦族が滅亡していく様をお釈迦様は目の当たりになされていらっしゃいますからね。お釈迦様の心の軌跡は戦前生まれの方々ではないと、察することすら、難しいのではないでしょうかね。
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この回答へのお礼

▲ (さん‐げだつもん 【三解脱門】)
仏語。解脱に至る方法である3種の三昧(さんまい)。

 一切を空と観ずる空解脱、
 一切に差別相のないことを観ずる無相解脱、
 その上でさらに願求(がんぐ)の念を捨てる無願解脱。

三三昧(さんざんまい)。
〜〜〜

☆ 分かりません。こんなの分かるんですか?

《空解脱》は 色即是空ですね。ものごとは すべて仮象である。諸行無常。



《無相解脱》は 人間には無理でしょう。
 
すなわち 《無相》と見たとき その認識は《無相》というひとつの相となっている。人間には その文字通りの無相の成就は 無理です。人間には 絶対無は――認識として――無理である。
 


《無願解脱》も 無理です。同じ論理です。
 
すなわち 《願求の念を捨てる》というとき その捨てるという意志には 願いや望みや欲求がふくまれています。

ハカラヒ無きを自然(じねん)と言うと言っても ハカラヒを無くすことが ハカラヒであるのですから。

お礼日時:2022/11/03 21:44

【Accept】Fast as Shark (Official Video)




※ 最終場面で、霧と共に、Acceptグループは消えます。

(続く)(苦笑)

Acceptは独逸人で、私よりかなり年配の方だから、ナチスの敗戦後に生誕した方々で、東西分裂の独逸国家状態だったからね。当時。

複雑な心境だったのでしょう。
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この回答へのお礼

(お) モーセがそのアブラハムから伝えられた神には名はないかと考えたとき 《われあり(エフイェフ)》であるとヒラメキました。これは またの名として 《かれ〔われをして〕あらしめる(ヤフヱフ)》とも捉えられました。

(お-1) このとき 唯一神も誕生しました。ほかに神ないし神々がいることは承知の上で 自分たちの民族にとっては このヤフヱフないしヤハヱーなる神を唯一とするというかたちです。(拝一神教 monolatry )。

(か) もともとユダヤやあるいはアラブにとって 神は《エル( 'El )》と言いました。そこからへブル語では 《エローホ( 'eLoH )》とも言いアラブ語では 《イラーハ( 'iLaH )》と発音する語を持ちました。どちらかが訛っています。

(き) 定冠詞は ハル( HaL )でしたが へブルでは ハーと成り アラブでは アル ( 'aL )です。

(く) つまり ユダヤ人にとって神を《 the God 》というときには ハー・エローホ または普通は複数形で ハー・エローヒーム( Ha 'eLoHim )と言います。アラブにとっては アル・イラーハ( 'aL 'iLaH )です。これは ふつう アリラーハ⇒アッラーハ( 'aLLaH )と発音されます。

お礼日時:2022/11/03 21:34

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