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食べ物を残すと、「世の中には食べたくても食べられない人がいる」と言う人がいます。また、子供用の本なんかにもこのようなシーンがよくあります。

しかし私は、それって今関係あるのかなと思ってしまいます。

もちろん食べ物で困っている人がいるというのは深刻な事実ですが、べつに食べ物を残さず食べたからと言って、その食べたくても食べられない人がなにか食べられるようにはならないし、逆に残さず食べたら自分達だけ満足にご飯を食べて食べれない人は変わらず食べれない、つまり格差が広がるだけでは?

「世の中には食べたくても食べられない人がいる」というのなら、「これを作るのに携わった人に感謝して食べなさい」といった方がつじつまが合うと思うのです。

皆さんはこの「世の中には食べたくても食べられない人がいる」という言葉、納得できますか?

A 回答 (18件中1~10件)

自分事として想像してみる、という意味合いもあると思います。




私は都内在住の46歳男性です。私自身、生まれつき血液が固まりにくい持病があり、間接内部で内出血を起こしやすく、腫れて激痛があることが多いです。今も、右肩の内部などでも内出血が起きていて。

幼いころ、学校生活でも1年に30日間は内出血が生じて欠席することがあって、勉強や仲間の話題に追いつくことが大変でした。

そんな中、母から「あんたよりも大変な人もいるんだから…」とよく言われていました。


実際、私自身は痛みやいつ内出血が起こるかわからない恐怖と大変さで頭がいっぱいで生きてきましたが、ちょっと落ち着いたときに、自分より大変な人のことを想うことも大切だと感じるようになりました。


また、病気以外にも、健康でも人間関係や経済的なこと、自然災害や事件、事故といったことで苦しんでいる人も多いことを学びながら今日まで生きてきました。



おそらく【想像する】ということは生きていくうえで重要なのだと思います。その場合、他者としてどんな対応が必要なのかと考えるきっかけにもなったり。


私自身、内出血が酷いときはほかのことを考えることが全くできませんが、少し落ち着いているときは「自分とは違う苦しみがみんなにある」と思っています。


ご質問者さんの例でいうと、「もし自分がその立場であれば、今いる状況のありがたみを感じられる」ということもあると思います。


また、好き嫌いだけでなくて「アレルギー」があって食べられない場合もあると思います。そうなると好みの話ではなくなりますが、そういう観点も持つことで、【食べ物を残した人に対して、ちょっと配慮するきっかけにもなる】と思います。


もしかして、こちらが知らない事情があるのでは?という配慮ですね。



ご質問文のお話では、自分以外の人の状況にも目を向けるきっかけ、という意味があると思います。


そういう視点もあるのか、と学ぶ機会にしてはいかがでしょうか。
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食べられない人がいるからこそ(自分が食べることができるのであれば)食べることのできるそのありがたみに感謝して残さず食べようって話じゃないですか?



もちろん携わった人に感謝して食べるのも大切で重要だと思います。

私の考えです、違っていたらすみません。
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わかります


観念論より、無駄をなくす
市井の工夫\(^o^)/
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まぁその通り・・


フードロスをなくす具体的な方策を考えるべき・・
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>「世の中には食べたくても食べられない人がいる」


そのような事を言われた事が無かったので、その事言う人が居るのかと驚きです。

私は、子供の頃に両親がなんとか一日三度食事を用意することが一杯一杯でした。
だから好き嫌いを言えば、「無理に食べなくてもイイ」と皿を引かれました。両親がどんな思い出で食事を用意しているかを観て育ち、とにかく食べることは、それを用意した人への感謝すること幼い頃には理解しました。

私は、食べたい物が食べられない側でしたので、食べられる人は食べたいだけ食べれば良いし、食べられない人は食べられるように努力すれば良いと。

食べ物を粗末にするとか、人をやっかむとかどうでも良い話です。

それぞれの立場で、それを受け入れる。
そして”自身が出来ることをすれば”、それて良いかと思う。
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29年前の米不足の時、千葉市に住んでた。

田舎に帰省して都会は並んで米買ってるよと今は亡き母に言った。流石に戦争体験者の回答、他に食べるものあるからねえ。
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理屈で言えば関係ないでしょうね。

フードロスは社会システムの問題であって、子供が食べ残しをするかしないかで変わるものでもないですね。まぁ「食べずに捨てるより最初から買わない」をみんなで進めれば、無駄に陳列される食品はヘルでしょうが。

単に「食べ物を粗末にしてはいけません」と言いたいだけでしょう。
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そういう現実があるという事を考えるキッカケになります。

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好き嫌いとかせっかく作ってくれた御馳走を選り好みして、あれが嫌い・これが好きで食べ物に偏りを見せることでしょうか。


後は食べたくても中々3度の飯にあり付けず、抜くこと多いのかな。

ただ、何かこれから、消費税・物価上昇・金利下落で、そういう窮乏生活が訪れそうな気がする。

どうも世の中、同時に政治家さんも政策の運びで道を間違えている気がする。
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そのことと食材の好き嫌いは別と思うので食べている時は言いません。


でも、知識としてそういうこともあるというのを知るのは大事ですし、毎日食べるものがあるということには感謝の気持ちを持つことは大切だと思います。
感謝して食べなさいですと、感謝の押しつけ、強要ですよね。
今食べているものを誰がどこで作ったかとかは別の機会に教え、その時に自分で御飯が食べられるのはこの方々のお陰と思えればいいのではないでしょうか。
我が子にでしたら、「これは貴女に食べさせたいと思って作ったの。手が掛かってるから少しだけでも食べてみて」というかもしれません。
それは感謝の押しつけではなく、自分の気持ちや考えを伝えるのも大事と考えるからです。
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