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最後の砦みたい役回りなのですかね。

クリミア戦争
ヨーロッパ秩序の再編を狙う独裁者ナポレオンVSロシア帝国。

これでウィーン体制が崩壊し、ヨーロッパの王族が興亡してったんでしたよね。
始まりは、フランス革命とナポレオン。

質問者からの補足コメント

  • ニコライはウィーン体制を支持してました。
    1825年にデカブリストの乱(反ウィーン体制)鎮圧→1853年にクリミア戦争。→ロシア敗北で近代化。

    近代化の方が、野蛮だと思うんですよね。
    大衆化ですから。

      補足日時:2023/01/04 08:29

A 回答 (4件)

あそこはね、図体ばかりが大きい


筋肉バカ、という感じで
ヨーロッパに比較して、遅れた国
として、扱われて来ましたから。

ロシアはロシアで南下政策。
不凍港が欲しい訳です。

そういうことで、ヨーロッパと
対立してきました。



中世のロシアではいくつもの勢力が分立し、争っていました。
16世紀になるとその中の一つモスクワ大公国がロシアを支配します。

17世紀後半、モスクワ大公国の君主となったのがピョートル1世です。
ピョートルは大量の技術者を西欧から連れて帰り、
大規模な西欧化を推し進めます。

まず軍備の強化です。
最新の技術で軍艦を次々と建造し、海軍を整備します。
学校の教育には科学や語学など実用的な学問を取り入れました。
また社会慣習も西欧風に改めさせます。
長いあごひげを切るように命じ、
従わない者からは「ひげ税」を徴収しました。

ピョートルは、北方戦争でスウェーデンを破り、バルト海へ進出。
海に面した沼地に10年をかけ、新たな都市を建設します。
この街をサンクトペテルブルクと命名すると、
モスクワ大公国の首都を移しました。

西ヨーロッパとのつながりを強めようとしたのです。

1721年、ピョートルはモスクワ大公国を正式に帝国と宣言します。
このときロシアはすでに広大な領土を持つ国でしたが、
海洋交易を活発に行うための港、
冬でも凍らない不凍港がありませんでした。

18世紀後半、領土をさらに拡大し、不凍港を手に入れる政策を進めたのが、皇帝「エカチェリーナ2世」でした。
エカチェリーナはまず黒海に軍隊を進めます。
オスマン帝国と戦い、クリミア半島を獲得。

ロシアの狙いは黒海から地中海に抜ける交易ルートを確保すること。
クリミア半島の獲得はその一歩でした。

このように不凍港を獲得し、海洋交易ルートを確保する
ための政策をロシアの「南下政策」といいます。
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この国は不凍港を目指しての侵略ばかりなんだが?

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劣等感・妄想病の塊でしょう。

その極端な人物が狂人プーチンとその一派。ロシアから領土を奪われた国は日本・フィンランド・ジョージア・ウクライナなど。21世紀に現れたヒトラー・プーチンはロシアを侵略意図もない他国ウクライナをただロシア領にしたいだけ。ウクライナ人の抹殺は平気でウクライナ全土への無差別爆撃・無差別殺人をし続けています。こんなゴロツキ集団は21世紀から排除すべきです。排除しないとマネする輩が増えそうです。21世紀に世界秩序・平和を守る為にはゴロツキに協力のジョージア・イラン・北朝鮮、間接協力の中共も。
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>最後の砦みたい役回りなのですかね。



いえ、最後の侵略者、最後のナチスです。
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