限定しりとり

1. 日本人のあいだでは 同一人物において複数の宗教が混在していると言います。この事態や情況をどう捉えるか?

▲ (ヰキぺ:無宗教) ~~~~~~~~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%AE%97 …

§ 日本と無宗教

思想が変わらない同一人物が、
神社や寺院へ同じ日に参拝に行ったり、
結婚式は牧師の司式のもとで神に誓いを述べ指輪を交換する「キリスト教式」、
葬儀は僧侶が声に出して経典を読み上げる「仏教式」を行ったりするなど、
複数の宗教が混在しているのも特徴である。
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2. けれども宗教なら――思想となったオシへにおいてであるけれど――信じる対象としての神を示している。つまり無宗教なる情況にあって実際には いくつかの宗教のそれぞれの神が混在している。・・・
というからには そこに――必ずしも純理論的な判断ではないけれど――普遍神のいろんな貌が垣間見えている。と言えないか?

2-1. 普遍神の息吹きが吹きこぼれて来ている。あるいは 普遍神のチラリズム。つまり オシへに如何にかかわらず 名の異なる神それぞれは 普遍神の分身である。




3. あるいは 無神論という実態。

▲ (同上) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本は無宗教が52%となっており、世界9位の無宗教率となっているが、
無宗教を標榜しながら家に神棚や仏壇を用意し、
正月になれば神社や寺院に初詣に出かけるなど、

宗教との関わりを一切断ち切るヨーロッパ社会における無宗教とは事情が異なる。
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4. すなわち ヨーロッパ社会における無神論は・つまりこのようにいっさい神を掲げない無神論は けれどもやはり普遍神のもうひとつの貌であるはずだ。

4-1. 神道の神々・仏教の神・キリスト教の神エトセトラエトセトラというように名の異なるかたちでそれぞれ分身を生み得た普遍神は 絶対性として絶対有である。
それに対して 無神論は けっきょく絶対無なのだから 互いに真無限としてひとしいかたちで絶対有=絶対無であり やはり普遍神のもうひとつの貌にほかならない。


☆ 自由な批判にてご教授ください。





5. 無宗教という名の諸宗教の――じっさいにはうすくあわいかたちでのいくつかの神の――混在なる情況は しかしながら 普遍神のそれぞれ分身どうしであるといった・きわめておだやかな〔もともとの互いの〕和解のあり方をしめし しかも何の無理もなく人びとの生活現実である。

5-1. このような日本人のあいだで無理のない生活現実となっている神々のデモクラシは ひとの自然本性――信教・良心の自由 ゆえに 具体的な神どうしの互いの対等という基礎――にのっとっていると思われる。ならば 世界にとってのぞましき未来社会であるか?

5-2. 《有る神》派と《無い神》派との平和的共存をも見据えたいのであるが どうか?


6. しかししかししかし 世の組織宗教はいったい何をやっているのか? おしえてください。タコツボから出て自己解体の道しかないのではないか? (オシへは 経験思想としてのこる)。

質問者からの補足コメント

  • ムスリムの方には むしろ質問があります。

    偶像崇拝の禁止をめぐってです。

    クルド人の方とうかがったので 母語はペルシャ語でもアラビア語でもないわけですが――クルド語とペルシャ語とは 印欧語族として親戚のような関係はあるでしょうか―― 要するにうかがいたいことは こうです。:

    アラビア語が 神の話した言葉として受け留められているのですが でもアラビア語とてほかの言語と同じ人間の言語ですので 言わば仮りの姿だと思われます。仮象ですね。

    つまり 仮象としてのアラビア語が 神の言葉だと捉えられるなら それは ひろい意味で偶像崇拝のような現象だと見なされることがないのでしょうか? これです。


    失礼な言い分になりましたら あやまります。よろしくどうぞ。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/02/04 08:41

A 回答 (11件中11~11件)

先生おはようございます。



さてわたしは宗教の概念は全然識らないのですが

いわゆる日本の「神道」って

やはり宗教の一つなのですか?

先日ソーシャルメディアでお友達になったイランのクルド人の方が日本の神道にものすごく興味を持たれたようなのです。

その方はイランで凄惨な宗教的迫害を受けておりトルコを憎悪しておられます。

先生からのお答えをそのままその方にお伝えさせてください?

よろしくご教示お願い致します。。
「いわゆる無宗教なる情況と普遍神」の回答画像1
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

おはようございます。

ご回答をありがとうございます。

★ ~~~
いわゆる日本の「神道」って

やはり宗教の一つなのですか?
~~~
☆ 基礎であり基本となることとして 《かむながら(随神)の道》は 個人にとっての実践(実存と言ってもよい)である信仰です。

そこに神社の係としての神主というのではなく おおきく世の中全体の国家としての神主を立ててこれの社会的統一をはかるのは 〔教義がなくても〕集団的な宗教でしょう。

信仰としての古神道と宗教としての国家神道とを分けるといったことになると思います。

ちなみに 崇神ミマキイリヒコイニヱのミワ市政にあっては 三輪山にオホモノヌシの神をまつりその大神(おほみわ)神社で神主となったのは その神の子と言われた一市民オホタタネコでした。




★ 先日ソーシャルメディアでお友達になったイランのクルド人の方が日本の神道にものすごく興味を持たれたようなのです。
☆ なるほど。さもありなんですよね。神道は 特異だと思います。

日本教
総本山――神道
仏教支部
基督教支部
儒教支部
マルクス教支部
無神論支部



★ その方はイランで凄惨な宗教的迫害を受けておりトルコを憎悪しておられます。
☆ トルコでは 政治闘争――しかも武力をまじえた――になっているようですね。

そして イスラームは どのように接していけばよいのか なかなか考えつかない状態にわたしはいます。



★ 先生からのお答えをそのままその方にお伝えさせてください?
☆ こまりましたね。よわりました。

実践面で よき考えもしゃれたお答えも用意できないでいます。

ささやかなお応えは この質問にあるとおりの日本人のあいだの宗教事情であり それについての多少とも理論的な分析です。

理論として こうです。:
【Q:神は 普遍神である――この一文で世界は変わる】
(一般および個別絶対性理論 ならびに 特殊絶対性仮説 または 宗教への絶対批判)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13318769.html


でも ムスリムの方にとって 《無神論》は 親の仇に相当するかも知れないほどでしょうと思われるので そのときには ざんねんながら お手上げとなります。

عليه السلام
alayh alsalam
peace to him !

お礼日時:2023/02/04 08:05

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