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邪馬台国の風俗です。
<其の俗。国の大人は皆,四,五婦。下戸も或いは二、三婦。>
独り者の男は多かったのですか?

A 回答 (9件)

お礼について〈感想 男が35歳で死ぬのは、早すぎるように思われます。



何か年齢を固定化して考えすぎではないですか。
仮に男女とも平均して50歳まで生きるとして、男は平均して40歳以上から多くの若い妻を持てるとすれば、10代で結婚した女性は20代で未亡人となるわけでしょう。
どこから男性が全員35歳で死ぬようなモデルが出てきたのですか。そんな単純化されたモデルでは統計的説明力がかなり低く、非現実的です。

仮に戦争とか何かの理由で男の平均死亡年齢が35歳であるとしても、魏志倭人伝には倭人が長寿で80~100歳のものもいると書いてあるでしょう。長寿なのは女性だけと云う話では無さそうです。
50や60過ぎて若い妻を何人も娶れば、女性の再婚数はさらに増えることになります。
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この回答へのお礼

再三のご回答ありがとうございました。

この計算したわけは、例えば若死にをするという理由が挙げられていますが、たんに言葉による説明だけでは曖昧と思われます。怪しげとは言え、数値で表現すれば、議論の進みが客観的に明確になる、と思えたからです。

35歳は、戦死や自然死・長寿を含んだものです。
男3婦なら29歳で死亡となります。

お礼日時:2023/02/15 11:11

魏志倭人伝の中心話題は邪馬台国ではなく蓋馬大山の南に位置する倭国で中国から主に北九州の支配を任されていた様です。

都はキャピタルを意味して無いようです。そのロケーションだから中国軍と高句麗に同時攻撃出来るという訳です。ご質問ですが北九州の男性の人口が極端に減少していたので起きた現象だと思われます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
(原因は不明なれど)<北九州の男性の人口が極端に減少していた>ということですね。

お礼日時:2023/02/13 15:47

お礼について〈後に控える(次の代の)独身男性は発生し残るのだから、恒常的には男性は高率に残る、と思いますが。



後の世代だって同じです。女性よりも初婚年齢が遅れる男性が多いだけで、最終的には同世代の女性と同じくらいの既婚者数になります。

云い方を変えれば、男性は経済力の向上とともに若い妻を増やすことができますが自分は若い妻を残して死んでしまう。
女性は若い出産可能年齢の間に何回も未亡人になることが多いので、その度に別の男性と何回も結婚することができる。それで最終的な男女同等な既婚者率になるという仕組みです。
つまり男性側から観た一夫多妻とは、女性側から観ると再婚回数で一妻多夫(ひとりの女性が多くの男性と婚姻を繰り返す)の状態が作り出されていることになり、それで男女の既婚者率のバランスが取れているということになります。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

<女性側から観ると再婚回数で一妻多夫(ひとりの女性が多くの男性と婚姻を繰り返す)の状態が作り出されている>というよりは、女性の再婚が多い、ということでしょう。

気になった点
あるモデルで計算すると、男は35歳と若死になります。(当然、前提の数値に左右されますが

前提
女の結婚開始は、16歳、死去は50歳とします。
(女の結婚区間は34年間になります。)
男の結婚開始は、18歳とします。
男は2婦と結婚生活をします。
この計算では、少数であろう大戸は無視します。

最初に、結論を出せば、男は35歳で若死をします。

経過は

男は18歳から35歳まで、♯1女の16歳から33歳まで一緒にいます。(結婚生活は17年間)
また彼は18歳から35歳まで、#2女の33歳から50歳まで一緒にいます(結婚生活は17年間)

女は35歳の時最初の男と死別し、次の男と再婚します。

結論、男2婦・女が50歳での死亡する場合、男は35歳で若死をすることになります。

感想 男が35歳で死ぬのは、早すぎるように思われます。

お礼日時:2023/02/14 09:34

現代の一夫多妻国、例えばサウジアラビアの統計で云うと、女性の単身者の方が実は多いという、一見不思議な状態となる。


但し、生涯既婚率は男女とも非常に高い。
ここから浮かび上がる一夫多妻の実態は次のようになる。

一夫多妻の男性は、一人目は別として、二人目以降はかなり年下の女性と結婚することが多いため、女性の大半は若いうちに結婚し、高齢の旦那が死ぬと、未亡人、特にけっこう若い未亡人が大量に発生することになる。
未亡人は再婚しても一向にかまわないので、結婚が遅れた独身男性も比較的若い未亡人だった女性と結婚の機会はいくらでもあるということになる。
というわけで、遅くとも中年までには独身男性はほぼいなくるという寸法だ。
そして高齢になった未亡人女性は、結婚してくれる男性が見つからず、独り身のままで過ごすことになる。

おそらく邪馬台国も、そういう一夫多妻の経過を辿ると思われるので、結婚できない独身男性が多いということにはならないと思われます。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<現代の一夫多妻国、例えばサウジアラビアの統計で云うと、女性の単身者の方が実は多い>のです。

気になった点。
<遅くとも中年までには独身男性はほぼいなくる>そうですが、
後に控える(次の代の)独身男性は発生し残るのだから、恒常的には男性は高率に残る、と思いますが。

お礼日時:2023/02/11 14:49

独り者が多かったのかも知れませんが、弥生時代というのは戦国時代と言われるくらいで、戦いで傷を負った人骨なども少なからず出ていますから、戦いで亡くなった男性が多かったのかも知れません。



生口という奴隷階級に属する人たちもいましたから、下戸というのが社会の中でどの程度の位置だったのかは、よく分かりません。
(これは古代ローマが市民政治だったと言っても、ローマ市民以外は別(奴隷や異民族は市民ではない)というようなものですね。)
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<戦いで亡くなった男性が多かったのかも>ですね。考古学による人骨の状態が知りたいものです。
下戸の割合が不明ですね。ローマの人口の構成もはっきりとはしていないのですね。

お礼日時:2023/02/11 14:39

これが「魏志倭人伝」なのですね。

初めて読みました。面白いです。

「大人は皆四~五人の妻を持ち、身分の低い者でも二~三人の妻がいる。」

一夫多妻制は正しいですが、下戸とは、「身分の低い者」だそうです。

http://jhnet.sakura.ne.jp/petit/50926_41514_c_j. …
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この回答へのお礼

ノーコメント

お礼日時:2023/02/11 14:50

No.1です。

 いえ、あくまで字のならびから、想像しただけなんです。

こちらの文の、前と後を少し加えてもらえませんか?
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この回答へのお礼

ノーコメント

お礼日時:2023/02/11 14:50

魏志倭人伝以外の記録も出土もないわけで、その文章以外の記録も有知識者も存在しません。



相談者さんの質問にはこういう質問が多すぎませんか?
記録のないものは研究資料もないので誰も教えられる人はいないことを考えましょう。
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2023/02/11 11:49

<其の俗。

国の大人は皆,四,五婦。下戸も或いは二、三婦。>

すみません、こちらは現代語に訳せばどのような意味でしょうか。

一夫多妻制? お酒が飲めない人?
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<一夫多妻制>ですね。

お礼日時:2023/02/11 10:11

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