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ウォーキングが趣味だった父に向けて
道の先に父がいて
幸せな人生=暖かい日差しが降り注ぐ道 をゆっくり歩いてから父のもとへ行くよ
的な事を「麗」を使って文章を作りたいのですが

麗らかな日差しの道を歩くように

という表現でおかしくないでしょうか?
麗らかの中に降り注ぐという意味が入ってると思うので、麗らかな日差しの降り注ぐ道だとおかしくなっちゃいますよね?
またもっと良い表現があったら教えて欲しいです
語彙力無さすぎて申し訳ありません

質問者からの補足コメント

  • 回答ありがとうございます
    麗らかの中に日差しが降り注ぐって意味が既に含まれてはいませんか?
    私も降り注ぐを使いたいと思ったのですが2重になってしまわないかなと思って不安になってしまいました

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/04/16 21:59

A 回答 (4件)

たとえば「星の降る夜」というきれいな言葉が歌の文句にありますが、地上にいる人にとって「星の光は降るに決まっているから、星の降る夜は変であって、「星の夜」の方がよいのだ、とは一般の人は感じません。



同じように、確かに「麗らか」な日には日が降り注ぐのは当たり前だから「麗らかな日差しが降り注ぐ道」は変であり「麗らかな日差しの道」と言った方がいい、と言われても、そもそも「日差しの道」という言葉自体が変なのです。あくまで「日差しが降り注ぐ道」などと言ってもらわないと、一般の人は納得しにくいと思います。

というか、そんなにご自分の考えた特殊な(普通でない)日本語表現にこだわるのであれば、他人の意見は聞かず、ご自分の創り上げた日本語表現で押し通せばいいと思います。もしどうしても大多数の人たちが自然と感じる日本語表現を使いたいなら、少し調べたり本を読み続ければ、自然だと人が感じる日本語表現はすぐに見つかります。
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>>麗らかな日差しの道を歩くように



「日差し」は「日差し」でも、かすかな、弱い、あまり麗らかではない日差しもあると思います。曇天の日差しだってあると思うのです。だからここでは、同じく日差しではあっても「麗らかな」日差しなんだということで問題ないと私は思います。

さらに、「麗らかな」という言葉と「日(つまり太陽や日差しなど)」が「麗らか」であるという意味の一節が、有名な文書の中で使われています。国語辞典から次の一節を引用します。

(1) いみじうたかく降る雪、たちまちにふりやみて、★日いとうららかにてりて★」
宇津保物語(970-999ごろ)、俊蔭

(2) 「★日いとうららかなれど★、空はみどりにかすみわたれるほどに」
枕草子(10世紀ごろ)、178 関白殿

**********

というわけで「麗らかな日差しの道を歩くように」は、これでよいと思います。ただ、「日差しの道」というのは少し言葉足らずだという気がするので、他の回答者さんたちの言うように「麗らかな日差しの注ぐ」とか「麗らかな日差しの降り注ぐ道」というふうに少し言葉を足した方が、私にも自然だと感じます。「日差しの道」というと、やはり言葉を端折りすぎていると感じるのです。もちろん、字数制限があるならそれでよいのですが。
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麗らかな日差しの注ぐその道を、、、だとか??



http://www.edu.pref.kagoshima.jp/sh/shoyo/docs/2 …
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麗らかな日差しが降り注ぐ道


ではダメですかね?
つまり
麗らかな日差しが降り注ぐ道を歩くように
この回答への補足あり
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