プロが教えるわが家の防犯対策術!

海外大学院進学を希望しています。推薦書が必要なのですが、どうすれば失礼がないでしょうか。状況はこんな感じです。

・私は卒業して15年ほどが経っている
・最もお世話になった教授は退官されており現在は名誉教授
・この方に書いてもらうのが筋だが勤め先のメールアドレスが必要(勤めていないため、ない→推薦書として採用されない)
・その方の弟子とも懇意にさせていただいており、現在教授で適任
・この方にお願いしようと思っているが、事前に名誉教授に断りを入れるべき?必要ない?

お恥ずかしい話ですがアドバイスいただけると幸いです。

A 回答 (1件)

プロファイルに記したような在米の隠居爺です。



私自身は、日本の企業で働く地位で当地の大学や機関と付き合ってきただけですが、カミさんは思うところがあると言って当地の州立大に入りなおし、当地で生まれ育った子供たちは今も大学に残って研究者をしています。
そんな経験からなので、アメリカの情報です。

ご存じのように、アメリカの場合、大学に入試はありません。

学力は高卒水準にあることを示す SAT などの結果を提示する必要がありますが、日本のように『選抜』を目的とした試験ではなく、『基本水準』を満たしていることを示すだけなので、難しいものではありません。

なので、選抜は自己主張だけとなります。

しかし、その時に多くの日本の方々が間違われるのが、それはいわゆる『青年の主張』を上手にすればいいというのではないということです。

専攻したい分野について、どんな問題意識を持ち、自分がどんな成果を出せるようになりたく、そのために大学に何を望み、今現在までにその準備として自分は何をし、そこでどんな実績を出してきているので、私は死亡する大学で勉強する覚悟と準備ができている、ということを示すのが当地流の自己主張です。

これを限られた字数・語数の中で強い説得力を持たせて表現しなければならないのが当地の子供たちの頭を悩ますことです。

そこで一番重視されるのが最後の『実績』です。

『青年の主張』は、日本人がお得意の口先だけの意気込みですが、当地ではそんなものは何の役にも立ちません。
どんな簡単なことでも、自分でやってみて、その結果が出て、それを示してはじめて『私にはこんな能力がある』と言えるのです。

先の阪神・淡路大地震や、東日本大震災の時、アメリカでも各地で子供たちが義援金集めなどの活動をしました。
あれはただ思い付きでそれをしていたのではありません。

その当時、大学進学を目指していた人たちの中で、ジャーナリズムや経済や商学などを専攻したいと考える人たちが、その専攻を考えると出来ることを持ち寄って活動を企画し、地元や大手の報道機関や金融機関、お金を持っていそうな企業や個人、一般市民に働きかけて募金を募るキャンペーンを実行したんです。

その実績を、その子たちが、自身の企画力・実行力の証拠として示して大学に進学した。
当地の大学進学とはこんな感じです。

ウチの子供たちの場合です。

彼らは医歯薬バイオ系に興味を持ちました。
いわゆる理系ですね。

なので、日本なら大学入試に向けた受験勉強の時期に、彼らが志望する世界の勉強をさせました。
とあるバイトをさせ、あなたならその仕事をどう展開できるかを考えさせました。
そこで行きついたのが『こんなものがあると良い』ということ。
なので、それを2年という時間をかけて作らせました。
そして、それをまとめさせた。

当地には、こういう子たちの活動を集めて評価する論文コンテストがあります。
彼らの成果はそこに投稿させました。
そこでの評価は大学願書の自己主張の核心になるんです。
ただのアイディアだけでなく、それを実行した結果がついている。
当地の願書の自己主張がただの青年の主張と違うことがわかっていただけるでしょうか。

それから年齢問題。
そんなの気にする必要はありません。
カミさんの例を紹介します。

ウチのカミさんの場合、40になってからのチャレンジでした。
日本では短大の家政科を出た学歴を持っていましたが、当地に来て暮らしていて、子供のことがあってある種の教育の仕事に携わりたくなったと言いました。
しかし、言葉の壁もあり、すべての勉強を当地でするのは負担と考えたカミさんは、大学と直談判で掛け合い、一般教養は日本のある大学の通信教育講座の単位で代替させることを認めさせました。
どう説得したかは知りません。

結局、2年次に編入させてもらって卒業まで果たしました。
いろいろ工夫して勉強や研究を重ね、レポートや論文などが認められ、卒業ではアーナーの表彰を受けてました。
まだ小さかった子供を抱えて総長から表彰状を受け取った姿は誇らしかったです。

言いたかったのは自慢ではなく、日本の外は『本物のやる気』と『実績』の世界だということです。
年齢でも資格でもそれまでの学歴でもない、純粋に『あなたは何をやる気か』、『あなたは何をできるか』、『それで実際にどんな実績を出せたか』だけです。

その意味では、アメリカの場合ですが、遠い過去のあなたのご恩師のことばはあまり役に立たないと思います。

ウチのカミさんは別に過去の方の推薦なんかはもらってません。
アメリカの場合、あなたの意志が全てです。
それを支えるのは実績や具体的なあなたの計画です。

日本のしがらみを離れ、あなたが大学側に立って、あなた自身を受け入れてくれるかを考えて、やるべきことを考えたらいいと思います。

ウチの子供たちのことを言うと、日本では考えられないことがいくつもあります。

子どものひとりは医歯薬バイオ系に進みながら、勉強していると、覚えたことが使いたくなった。
だから興味のある研究室に突撃し、そこでインターンシップをさせてくれと頼み込んだそうな。
それも隣町にある別の大学の研究室に。

普通なら大学4年を終えた子を受け入れる研究室だったそうですが、どう交渉したか知りませんが、大学に入って早々の1年生のときから混ぜてもらってました。

それに感化されたのか、次の子は、今いる大学とは別に、隣町にある工科大の専攻科も取りたいと言い出しました。
医療用の機械の研究開発をしたいというのが理由でした。

こう言うとウチはお金持ちなのかと思われるかもしれません。
でもそうではありません。
私はもう隠居した年金生活者ですから。

彼らは自分でやりたいことに対して自分で責任を持つ強い意志があります。
なので、彼らは学費も生活費も自分で何とかしてます。

日本ではあまり知られていないかもしれませんが、当地の大学教育はとても大きな経済負担を伴います。
日本で言う国公立に相当する州立大でさえ、まともなところなら年額 500 万円、生活費も田舎でさえ 300 万円はかかります。
4年なら 3000 万円を超えます。
高校までが義務教育という当地では、親は高校までしか面倒を見ませんから、この負担は金融機関や奨学金から借りることになります。

そんな事情から、当地ではいったん社会人になってお金をため、それから大学で勉強をするなんて普通です。

繰り返しますが、アメリカの場合、あなたが気にされてるほかの方からの『推薦』はほとんど意味を持ちません。

あなたご本人のやる気と、それを裏付ける何か、経済力、それが全てです。

それがあり、それなりに頑張って成果を出せれば、良い世界はあります。
頑張ってみられてはいかがですか?
満足できる人生を送られることををお祈りします。
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