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1. 《真理がすべてにおいてすべてである》人間はいるか?

2. いない。または いる必要がない。
――これを論証して ゴータマ・ブッダのさとりが まやかしであったという結論を得たい。

3. 《ブッダなるさとり》論に終止符を打ちたい。不毛であると。


 
4. ここで《真理》とは 変わることのない真実を言う。

5. 《真実》とは 主観真実ということなので 《変わらざる》という条件づけは マチガヒなのであるが それを超えて 真理を想定する。

6. 真実とは 事実認識とそれについての主観の価値判断にかんするマチガヒの無さを言う。

7. 《事実認識》〔についてのマチガヒの無さ〕は どの主観が見ても同じ内容であるという認識行為の理念型を想定する。

8. 主観には価値判断のほかに いわゆる心あるいはまた存在全体としての境地が含まれる。

9. 主観真実の動態 これが 《人間》である。その真実には マチガヒやウソ・イツハリも負の真実として含まれる。

10. 人間の生きる動態における《変わらざる真実》が 時空間のすべてにおいてすべてである――そのようなひとりの人間はいるか?

11. いるかどうかよりも そのように想定される実存ないし人格(?)の人間は いる必要がない。のではないか?

12. さて 《ブッダなるさとり》とは 何か? まぼろしではないか? 人びとは まぼろしを追い求め追い続けてやまないのではないか。





13. 《さとり》とは その時その場でつねに必要な情報が手に入れられ必要十分な智慧が――みんなのあいだで――出され得ること。これでよいのでは?

14. 《人間の生きる動態における〈変わらざる真実〉が 時空間のすべてにおいてすべてである――そのような〈さとり〉を得た人間》 これは 理念型としてでも・あるいはまぼろしとしてでも想定していることは 人間にとって―― 一切衆生 悉有仏性なる命題をかかげるかぎりでは―― 必要であり有益なのではないか?

15. だれか一人の専売特許には成らない。じんるいの財産であって 専売特許はあり得ない。
傑出した人が英雄と見なされ神さま仏さまと呼ばれ得たとしても そこに排他性はない。つまり ただ独り満ち足りている存在のごとき絶対性は付与され得ない。

16. 人びとは すべからく目を覚まし ふつう自然にブッダになるべきだ。ただいま一瞬において(即得往生)。

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