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接客業です。高齢者は横柄な人が多いような気がします。若い人は、あまりそんなことは感じないです。

これって、教育の水準じゃなくて、SNSやってるか、やってないかの違いが原因ですか。

A 回答 (28件中1~10件)

教育の水準といっても単なる勉強だけでは無いですから、人の在り方を含めてどうか?と言うと個人差があると思います。



以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

SNSだけではなく高齢者にはインターネット一般を使っていない人もいます。過去の時代では普通であっても、現代の若者と比較すると刺激が少なく、自分は普通であると思っても、相対的に自己承認で悩む回数は少ないでしょう。自分の在り方を考える機会が少ない人に(周囲の人の方が悩む回数が増えてしまったので)なってしまう可能性はありますね。

また陳腐化と言いますが、自分が若かりし頃に尊んできた希少な物であっても、今の時代は誰でも手に入れてしまうかもしれませんよね。昔の人の格言や諺などを必死に覚えた人は(昔は学があるといって尊敬されていた)ネット検索に負けてしまいますから。

人類がこの様な体験をするのは初めてでしょう。自分の人生が馬鹿げていると感じても仕方が無いですよね。そのため昔の時代に比べると今のお年寄りは、自分が急激に劣化していると感じられるはずです。そのため若者との接触を避けて、自分を省みて考える事を辞めてしまい、他人を拒否するという事は大いにありえます。

一方で優劣やダメ出しに関して保留するという習慣も時代と共に欠けて来たのではないかと思います。自分にストレスが無い時は相手を理解しようとし、その姿勢をもって自己を肯定する。しかし(昔の若者に比べると)ストレスへの耐性は低くなってしまい(悩む回数が尋常じゃないため流石に頭がつかれてしまう。メンタル失調になり易い劣悪な環境で耐えている)、許容範囲を超えると相手を否定してしまう訳です。

結果として「考える事を辞めた老人」と「許容範囲を超えた相手を非難する若者」が同居する時代になったという事です。

ここで考えて頂きたいのは、いま老人と言われている世代がどういう世代なのかです。もし道徳などの精神面で過去の日本と乖離する教育を受けていたらどうでしょうか? 日本が伝える老人像と乖離しているはずです。また、日本は長寿の国であると誰もが思っているのに、今いる老人はそうではないかもしれませんよ?

「日本の本当の老人は戦前教育を受けた人だとする。
 この方々は今90歳を超えているだろう。
 その後の世代が長生きをしたという実績はどこにもない。
 これからどうなるか分かるのだ」

うちの父は戦前教育を受けた人でまだ生きています。しかし母は10歳も年下ですが、10年以上前に亡くなりました。途中で統合失調症になりました。父は母を評しては「どこか可笑しい」と常々言っていました。私は全く分かりませんでした。流石に昔で言う所の普通を知りませんから。

つまり個人差があると冒頭に述べましたが、世代により本来の老人(長生きする良い年寄り)になるための教育を受けていない可能性もあります。

「人は死に近づくと横柄に成る」

他の方も年を取ると活力が無くなり、頭が疲れてしまうので、段々と偏狭になって大らかが失われると答えています。実はこれ(横柄)は頭(脳)の疲れから生じます。なので若者であっても同じ現象を引き起こします。

脳が慢性的疲れているというのは異常な事態です。寿命が近い老人ならば仕方ないところもあるでしょう。しかしまだ若いと思われている方がこの状態に成ったときは非常に危ないと思います。

うちの父が年齢に負けて横柄な態度になったのは本当に高齢になってからです。それまではずっと大らかな性格でした。

「老人が横柄なのではない。寿命が近い人が横柄になるのだ」

昨今は戦前教育が施してきた恩恵が無くなってきていると思います。

若くして理性を失い暴れ出し、肉体的な寿命を残して未来を失う人が増えていますよね。この方々が普段から礼儀正しく他人に接し、思いやりを持って人との関係を築いていたとは思えません。何某かの教育的な欠如を胡麻化して生きていけず、その無理により、頭が疲れ果てて横柄な人物に変化し、この世を去ったのだと思いますよ。

ですので皆さんに言いたいのは、

「時代や考え方が現代的だとしても免罪符にはならない。
 他の人は安全であっても自分は大丈夫とは限らない。
 考えや主張が決め手ではない。
 より肉体的な問題。脳の疲れ具合が問題である。
 自分だけはダメかもしれないと用心すべきである」

という事です。

色んな人が誰かにダメ出しをしては、理由はこうだとカテゴライズしているようです。だから自分はセーフなのだと自分のルールを主張したいのでしょう。しかし言い張って意味があるのでしょうか。自分の脳の中に危険な因子(ストレスを解放できない危ない部分)があれば、やはり助からないんです。大丈夫であってほしいと念じても意味がありません。それが何時起きるか分からないだけです。

ダメな人の特徴を出す時は「自分が助かりそうなネタ」を作って甘えない事です。ただただ「失礼な人は助からない」とし、そういうネタを投下したいとか、揶揄したいとか言う衝動が生じたら「自分は生物として弱っている」と解釈しましょう。

「失礼は滅亡のサイン。
 すぐに健康回復を図るのが良い」

今の老人が昔の人と違うと思うのは、医学が発達したせいで自分も長生きできると慢心している事です。そんな保障はどこにもないのですから。みんなしてうちの母の様になってしまいますよ。

そして今の若者も中年のオッサンに成れるという保証はどこにもありません。結婚くらい出来るだろうと高をくくっていたら、そうじゃない自分の人生に遭遇しパニックを起こしている人もいるでしょう。結婚どころか中年にすら成れずにこの世を去るという酷いコースも現存しているのです。

時代が変わったと思うのは、こりゃ不味いと思える人が自分だけは助かるという論法を作り「大丈夫ですよね?」とネットの海に投げている事です。

そんな事を考えるくらいなら今ある自分の悩みを相談するべきでしょう。誰かを言い負かして不幸を遠ざけることは出来ません。現実は何も変わりませんよ。危ない人は危ないままですし、大丈夫な人は大丈夫なままです。

「言い負かして何とかなるならすればいい。
 しかしその間何の対策も出来ないってことは分かってるよね?」

昔の老人の様に長生きできそうにない老人が横柄な態度になる場合もあるでしょう。そういう人を見て「自分は大丈夫だよね?」と言い聞かせている若者もいるでしょう。

そして何時まで経っても立派なまま長生きする老人もいれば、若いうちに認知症と同じ症状を患って中年を味合わずにこの世を去る若者だっているはずですよ。

そう言う意味で多様性の時代だと思います。

他人がどうであるより、自分がどのコースに載っているのかをもっと真剣に考えるべきでは無いでしょうか。誰も保証をしてくれないのですからね。自分で気が付いて自分で手当てするしかないのは今も昔も同じはずです。

差別意識が無いとか、ジェンダーフリーに対して寛容だとか、一生懸命良い子である自分をアピールしている人がいますが「だから?」でしかないですよ。現代の若者のイメージと言えばMLBの英雄や7冠達成した棋士です。

「しかしこんな人昔の日本に居たっけ?」

と良く年配の人と話しています。

「他人に横柄に振舞わないんです?」

みたいなところで現代の若者をアピールしても悲しまれるだけです。まずは必死になって誰かに勝てるところを探してはいけません。また、それを大きく見せるために他人を貶めて相対比較に持ち込むのも不味いでしょう。残念です。

昔も今も言わないで良い事の一つでしかありません。
これを敢えて口に出したあたりを考えましょう。
思っていても本当に言ったのは何人に一人だと思いますか?
どのコースに載っているかはこの確率で考えるんです。

以上、ご参考になれば。
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教育の水準やSNSを利用しているかどうかは原因ではないと思います。




私は都内在住46歳男性です。私のとても個人的な考え方ですけど…


【生きてきた時代背景の変化の影響】


は大きいと思います。理由は、私の幼いころ接していた祖父母世代(明治、大正生まれ)の人たちには、その子供世代である令和の今の高齢者(昭和初期生まれの多く)と経験してきたことが違うから、と思っていて。


私が幼いころの高齢者と呼ばれた人たちは、「おばあちゃんの知恵袋」とか、若い人のことを頑なまでの勤勉さで考えていた人たちが多かった印象が多かったので、今の高齢者のイメージとは違っていました。


今では、選挙の話題になるとしきりに「若者と高齢者」という分け方をしますが、私の記憶にある昭和の高齢者は「若い者のことをなんとかしてあげないと…」という話をしている人をたくさん見かけました。


【人生の選択肢の数や幅広さ】といった時代背景が影響しているのではと感じています。


今の高齢者の方々は、私の母(77歳)も含めて人生についての選択肢を広く知った人たちではないかと。「自分の人生」という考え方が広がった世代というか。実際にいろいろな生き方をしている人がいて。


その行きつく先として、ちょっと行き詰った時には「もう少し配慮してくれればいいのに」という感覚も育ったのでは。抑える、引くのではなくて。


私の祖母は10数年前に96歳で他界しましたが、祖母の生きた時代は人生の選択肢が限られていたので、仕方なく選ばざるを得なかった道に進んでも懸命に生きて、その中で未来に託す気持ちがあったように感じました。


実家で暮らしていたころ、何時も祖母に「将来、食べられなくなったらどうするんだ。しっかりしろ!」と檄を入れられていたので。私以上に私の未来を気にしていました。


その後の時代の変遷で、生き方、結婚、家族の在り方、ライフスタイルや仕事の選択肢も広がった分の課題もありますが、何か一つの生き方で生きることを「縛られている」と揶揄する風潮もあったり。


そうなると、気に入らないことを我慢しない人も増えてきたというか。年齢を重ねてあきらめることは良くないとされてきたことで、行き過ぎて我慢しなくなったり。


どの時代でも良さも悪さもあるでしょうけど、今はもうすこし他者への思いやりの余地があると良いのですが。


不便が日常だったころの方が我慢強く、便利が増してくると不便がいら立つというか。


以前、夕方の電車内で泣いている赤ちゃんを抱っこしていたお母さんに対して、にらみを利かせる高齢男性がいました。私は内心「仕方ないのに」と思いましたが、お母さんは気にしているようで。そういう経験も珍しくなくて。


東京に上京してから27年住んでいる私の自宅前には保育園があって、年に何回か日曜日にお遊戯会みたいなものが開かれます。泣き声も大声も元気があっていいと思いますが、うるさいと感じる人も増えているような。


時代が進んでも、生物として年齢を重ねていけば不便も出てくるので、「不便があるんだから自分が少しくらい気遣われてもいいだろう」ととらえる人が増えてきた背景もあると思います。
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すんごい理屈ですね。

SNSをするしないが横柄かどうかを決める、もしくはSNSをしていると横柄でなくなる。
バタフライだね。
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若い子って、ヒトを馬鹿にしてヘラヘラ笑ってない?それに、ホントは仲良くないよね。

若者同士。それって、間違いなく教育の水準じゃなくて、SNSやってるか、やってないかの違いが原因ですよ。顔見て会話できなくなってる。
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経験の差。


経験があると相手を舐めてかかる。経験がないと相手を警戒する。ただ、それだけ。
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違いますよ。

相手との距離感の問題です。若い内は未熟なため正面切って対決することが出来ずに控え目になりやすいのです。ある程度の経験がある年配者はそこまで身構える必要がないからわりとぐいぐい行きがちですね。あと他人に対する節度も慣れの観点からよく言えばフレンドリー‥悪く言えば厚かましい感じになってしまいがちなのは仕方がないですね。
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接客業とは販売関係でしょうか?それともクラブ関係なのでしょうか。

高齢者の横柄な人が多いの原因がSNSとは思いません。私は販売関係の仕事の経験がありますが、横柄な客はSNSのない時代からいます。しかも老若男女です。それより接客業を仕事にしているならもっとプロらしく、その横柄な客の対応をどうするか勉強されたらいかがでしょうか。もし販売関係であればリテールマーケティング資格の勉強をすれば販売業のなんたるかがわかりますよ。
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SNS以前に、歳を取ってくると、図々しく、ワガママになるのです。


だから、高齢者には関わらないのが無難です。
接客業で仕方なく対応するときは、仕事と割り切るか、そっけない態度を取ればいいと思います。
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SNS関係御座いません。

躰の動きが鈍くなり疲れ安く、貯金が少ないからかな?威張る奴は、老若男女関係なく威張るよ。私は、後期高齢者突入しましたが、現役優先してお先にどうぞ精神で、出来るだけ丁寧な言動を務めてます。
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おそらく相手とする、顧客のステータスによるものだと思います。

育ちのよくない?現役時代の働き方の程度がイマイチ、收入が年金+αぐらいの高齢者の中には、思考に余裕がなく、年上は偉い、顧客は偉い、お金を出すのは俺たち、という、偏見の人が少なくない傾向があります。かたや高齢者でも、生育歴・言語環境や経済的な背景なども含め、余裕のある生活の高齢者は、横柄な態度をとることはありません。
若い人でも、人それぞれ、様々な背景を持ちあわせていますから、いろいろかと思います。
SNSでも、暴言、差別用語など、躊躇なく使用している人もいますから。
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