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皇親政治を行った天武天皇は豪族たちの反感を買わなかったのですか?

A 回答 (2件)

豪族たちの反感を買っていたのは天智天皇。



元はと云えば、蘇我一族が伸し上がる過程で、当時の古豪の代表だった大伴氏と物部氏が蘇我氏にを叩き潰された。
唯一の大豪族となって朝廷を主導していた蘇我宗家を、天智は弱小貴族の中臣氏と組んでクーデターで倒したため、朝廷には古代の三大有力豪族が消えてしまい、地方に燻ることになってしまった。
当時の朝廷で重きを成していたのは、皇族と中臣氏、そして蘇我傍流の石川麻呂など蘇我系のみになっていた。そして、蘇我石川麻呂も謀反の疑いをかけられて自害している。

そして白村江の戦いとなるが、地方の古豪も兵を駆り出されていたはずで、多くが帰らぬ人となった。恨みが天智に向かうことになるのは当然だろう。

さらに戦後は、百済貴族の多くが日本に逃げ込んだわけだが、天智は近江周辺などに土地を与えるなど彼らを優遇していき、近江の大津京に遷都までしてしまった。
古豪氏族がそれをどう思っていたかは誰でも分かるだろう。

そういう地方の古豪たちの面倒を何かと見ていたのが天武だ。
天智の死後に兵を挙げた天武に古豪たちが集まったのは当然のことだろう。乱当初は大津京側だったはずの蘇我傍流一族の中にも天武側に付こうとして内戦が勃発したほどだった。

壬申の乱後に、天武が皇親政治を始めたのは、ひとつには天武に味方した古豪たちは地方豪族で、朝廷での政治経験が無かったからだ。
とはいえ、最上級でなくても中央に復権できたことは大きい。八色の姓の二番目で、皇族以外では最上位の「朝臣」を貰えれば充分満足だろう。
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大海人皇子は兄である天智天皇の死後、古代最大の内乱である壬申の乱で勝利し天武天皇になります。

クーデターをおこし力で政権をもぎとりました。

この壬申の乱の経過をみればわかりますが、有力な豪族に擁立されるのではなく自らが主体的に動き、自分の近親や忠実な部下で近江王朝を打ち破っています。そのため、天武天皇として即位したときには、いわば有力な豪族の影響力を一掃できたのです。だから皇親政治が行えたのですよ。

このときから天皇が神格化されていくようになります。

大君(おほきみ)は、神にしませば、天雲の、雷(いかづち)の上に、廬(いほ)りせるかも
(万葉集0235 柿本人麻呂)
大意 大君(おほきみ)は神でいらっしるので、雷(いかづち)の上に仮宮(かりみや)をお作りになっていらっしゃる。
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