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なんで1951年の難民条約にアメリカは批准しなかったんですか?
それとアメリカが1967年の難民議定書には批准したのはなんでなんでしょう?

A 回答 (2件)

1951年は、まだ第二次世界大戦から復興する途上であったことと、世界各地で独立戦争や共産主義武装勢力との戦いが激しさを増していた時代です。

米国自体も朝鮮戦争で激しく共産勢力と戦っている最中です。
そういう状況で、難民受け入れを表明すれば、先進国で唯一戦災を免れて世界唯一の豊かな国だった米国に世界中の難民が殺到していたでしょう。
それは流石に米国は受け入れられなかったということでしょう。

1967年頃になると、敗戦国の日独も高度経済成長の波の乗るなど西欧諸国も完全に復興し、植民地の独立もほぼ完了し、共産主義武装勢力との戦いも継続していましたが、ベトナム戦争以外は落ち着きはじめました。
難民は世界中で受け入れ可能になったことが確認されたので、米国としても難民は一切受け入れませんという態度は、流石に拙いということになったということでしょう。
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AIに訊いてみました。





アメリカが1951年の難民条約に批准しなかった理由は、複数の要素が関与しています。

内政干渉への懸念: アメリカは、難民条約の規定が他国の内政に干渉する可能性があるという懸念を抱いていました。アメリカは主権の尊重と国内政策の独立を重視しており、他国からの介入を制限するために難民条約への批准を避けたと考えられています。

内部の法的制約: アメリカには既存の法的枠組みがあり、難民条約の批准に制約があったと考えられています。当時のアメリカの移民法は、国内に入るための条件やプロセスを詳細に規定しており、難民条約の枠組みとは異なる点があったため、そのまま批准することが困難だったのかもしれません。

一方、アメリカが1967年の難民議定書に批准した理由は以下の通りです。

内政干渉への懸念の軽減: 1967年の難民議定書では、難民条約の規定を独自の解釈で受け入れることが可能になりました。このため、アメリカは内政干渉への懸念が軽減され、より柔軟な形で難民問題に取り組むことができると判断した可能性があります。

難民問題への国際的責任: 1967年の難民議定書は、難民の定義を拡大し、追加の保護を提供することを目的としていました。アメリカは国際的な責任を果たすため、他の国々と協力して難民問題に対処する必要性を感じたと考えられます。

要約すると、アメリカが1951年の難民条約に批准しなかった理由は内政干渉への懸念や内部の法的制約がありました。しかし、1967年の難民議定書では内政干渉への懸念が軽減され、難民問題への国際的責任を果たすためにアメリカが批准することができたと考えられます。
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