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世界史について、カール・マルテルの子ピピン(在位 751-768)は、 ローマ教皇庁了解の下にメロヴィング朝を廃してカロリング朝を興した。

とあるのですが、具体的にどうやってカール・マルテルの息子さんはメロヴィング朝を廃したのでしょうか?

実際にローマ教皇庁のところまで出向いて教皇庁のスタッフ?や関係者と話し合って、新しい国(カロリング朝)に更新しても良いですよという許可をもらったのでしょうか?

新しい国に更新できるということは、それだけの名誉や権力もあることを偉大な教皇庁からお墨付きをもらえたということだから、自国に帰って自分のやりたいように市民を支配したり領地の拡大の実行権を持って他の手下とかのスタッフたちに命令ができたのですか?

質問者からの補足コメント

  • 当時は選挙制度があったのですか?
    また投票は誰かが投票所を各所に設置して各地のスタッフが開票作業などやっていたのでしょうか?

    教皇庁で選挙というのがいまいちイメージできないですが、教皇庁が選挙を開催したのですか?

    どうしても今の日本の投票所(家の近所の体育館など)をイメージしてしまいますが、当時はどういう選挙方法だったのでしょうか?

    民主主義でもなかっただろうから、教皇庁の身近な司教や司祭、助司祭などの聖職者や一部の諸侯達によって投票というか、独断的に決められていたのでしょうか?

      補足日時:2023/07/25 18:21

A 回答 (1件)

Wikipedia には「選挙」って書いてあるね.

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