
No.11ベストアンサー
- 回答日時:
>男らしく荒っぽい武士が何故同性愛に走ったのだと思いますか。
男らしく荒っぽかったからです。
そもそも「戦争中に女が居なかった」というのはあまり理由になりません。戦国時代の武士であっても、年がら年中戦争しているわけではないし、もし「数か月程度の期間、女がいないことが問題」なら、日本に限らず世界中の軍隊で同性愛が流行るはずだし、近代に入ってからトンネル工事やダム工事の飯場なんかも同性愛だらけだったはずです。
でも実際にはそんなことはなく、戦国時代以前は「ほぼ一生、女性と接触できない」修行僧や公家以外の人たちまで衆道が広がることはありませんでしたので「戦争の場所に女が居なかったこと」は理由になっていません。
では、なぜ武士に衆道が流行ったかというと「男っぽく荒っぽい男性達は、相手を信じることが難しかったから」です。
「相手を信じる。信頼する」というのは、平和的な解決につながります。
交渉で相手を信じられるなら、約束したことを守ってもらえる前提で平和的に解決することが多くなるはず、だからです。
なので、下克上という部下ですら信頼できない大騒乱の戦国時代に「お互いを信頼できる関係性」として発達したのが衆道でした。
実際、日本に限らず、戦闘力が強いとされる民族には同性愛の傾向がありました。ヨーロッパやイスラムは一神教の教義で同性愛を強く禁止していたので、発達はしませんでしたが(それでも神父などには同性愛があったようです)、パプアニューギニアの部族ではかなり最近まで「強い戦士とその弟子の同性愛」があったとされています。
つまり師弟関係を結ぶと同性愛関係も結び、それが集団社会での緊張緩和に役立ったとされているのです。
荒々しい男達が常に刀や剣などの武器を持ち歩く社会では、肩が触れた程度でも刃物を使った喧嘩になります。これはヤクザ世界を見ればわかるでしょう。その緊張を和らげるために同性愛が利用されたのです。
この回答へのお礼
お礼日時:2023/09/04 19:35
>荒々しい男達が常に刀や剣などの武器を持ち歩く社会では、肩が触れた程度>でも刃物を使った喧嘩になります。これはヤクザ世界を見ればわかるでしょ>う。その緊張を和らげるために同性愛が利用されたのです。
そうかもしれません。
No.12
- 回答日時:
戦場に女は連れてゆけないので、(生理がある女は不吉と言われてました)小姓という役職の少年が殿様の身の回りの世話をしたのが始まりとか。
海軍の軍艦乗りも男しかいない戦艦にに何か月も閉じ込められてそうなったとか。マッチョ系モーホーも上野から線路沿いの飲み屋に行けばいっぱいいるぞ。ジャニーが生きてりゃ心境も聞けたのにな。新宿2丁目だって現代の陰間茶屋みたいなもんだ。都内にもハッテンバはいくつもあるぞ。タクドラ時代はドアロックして回送で素通りしたものだ。古い書物にも記されてるし古代から同性愛者はいたらしい。オ~キモッ!!No.9
- 回答日時:
まず最初に考えるべきは、貴方の質問文に、恋愛が盛んとか、同性愛者が多かったと書かれていますけれども、何をもって盛んとか多いとか判断するのですか?
人間が千人いたとして、何人が同性愛カップルだったら盛んになるの? 何人が同性愛者だったら多いになるの?
そこを感覚でなくて数字で表現しないと、この質問は成り立たないでしょう?
だいたい生き物に仕組みなんて昔も今も変わってないんだから、人間が千人いるうちの同性愛者の割合なんて、昔と今で、どれだけの差があると思います? 同性愛者が大半の社会だったら、子孫は増えませんから今頃は人類は滅びていますよ。
その上で江戸時代には、様々な恋愛の形があったという、それだけです。武士同士が果たし合いをした理由が男色であったという記録もあります。しかし、その一部の事例をもって、それが多いのか? 盛んなのか? そんなのは分かりません。
No.8
- 回答日時:
女が子供を宿した時男を産んだら戦場に駆り出されて殺されてしまうから女で産まれて欲しいと願うとすでに男になっている赤ちゃんは母の希望に添うために女になろうとしますから戦中に産まれた子供にホモクンが多いのです。
男女席を同じうせず。武士や坊主の男社会ではあまった性欲を同性にぶつけるしかないのです。世界的な教会もそうです。陰間といってそれなりに気持ちのいいもので男の取り合いで藩を潰した大名もいるとか。男同士の睦み合いは激しいですから。No.6
- 回答日時:
まぁ江戸時代もかもしれませんけど・・・・・
平和なのでそこまで需要が有ったのかなぁ・・・・
戦場に於いては女を連れ込むなど保安上の問題があって出来ない
※雑兵などが付近で女性を漁ることは出来ても武将クラスだと安全上の問題あり
とすると普段から武将の間近に近侍している近習などであれば
護衛としての役割と欲求の解消相手という役割と一人二役でとても便利ですね
それを恋愛というふうに扱って良いのか?は疑問がありますが
例えば、織田信長の家臣で有った前田利家がまだ若侍だった頃に
信長の男妾だった何とかという茶坊主とイザコザがあり相手を斬り殺してしまい織田家に籍を置けなくなって逃亡したのは有名な逸話
織田家に復帰できるように色々と努力してもなかなか許してもらえなかったのは、殺害した相手が信長のお気に入りの男妾だったからというのが通説
という感じで一定のランク以上の武将の場合、大抵はそういうお相手が居たということですね
No.3
- 回答日時:
多くの武士にとって、恋愛結婚は夢のまた夢で、本人の意思とは関係なく結婚を決められるのが一般的でした。
恋愛や結婚に対してロマンもなく、あるのは武士としての義務だけ。
そんなわけで、純粋な恋愛をするならば、同性愛になったわけです。
武士同士の男色は、「衆道」と呼ばれていました。
男女間の恋愛よりも固い絆で結ばれ、男女の夫婦のきずなは2世と言われる一方で、男同士の恋愛では7世と言われていたほど。
つまり、7回生まれ変わっても結ばれるということです。
それほどまでに絆が固かった分、もし愛を疑われたときは、身体を張って愛が本物であることを相手に証明しなければいけませんでした。
例えば、愛していること証明するため小刀を手足に突きさすことも有ったそうです。
猶、当時でも男同士で結婚はできませんでした。
今が羨ましいかもしれませんね。
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