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最近やたらと『天国の』と『結果を出す』という言い方が定着してきたのですが、これって何十年か前はなかったです。つまり誰が作ったかは分かりませんが、勝手に個人の行き先を『天国』に決め、勝手に失敗か成功かどちらもある結果を成功例しか『結果』に入れないという意図的な言葉の作り替えを行いました。問題は、それを疑わずに追従する大衆一般です。なぜ逆らわないのでしょうか?世の中そういう趨勢になってきたのだから、おとなしく従っておこうというのは、あまりにも無責任であり主体性のない姿勢ではないでしょうか(゜-゜)?
この流行語的な言葉に無批判的に乗るということは、社会の趨勢を疑わずに、人がやるから自分もやるという無責任性を表していないでしょうか?

A 回答 (2件)

ひねくれて言えば、キリスト教的価値観に、犯されている、


という事では?

日本人は、元来、「天国」なんて言葉は、使わない。

「あの世」、或いは、仏教下で、「極楽」と表現してきた。

一方、天国と地獄との対比は、宣教師が、布教の
手段として、日本に持ち込んだ概念だ。

逸話で、宣教師が、

「キリスト教に改宗しなければ、天国に行けない。」

「なら、ご先祖様は、キリスト教徒ではなかったので、
 皆、地獄行きですか?なら、私も、地獄行きでいい。」

「・・・・・・・」

「結果を出す。」、「結果を残す。」は、所謂、
「グローバリズム」の「結果至上主義」を連想させる。

これも、キリスト教圏、唯一神教圏から持ち込まれた、
「弱肉強食」の思想だ。

日本の経済界は、一時期、馬鹿の一つ覚えの
「結果至上主義」で発狂していたが、やがて、
その無意味さ、空虚さに気がついて、最近は
表面化させなくなった。

この概念は、表面的な生産性、生産数を追求するもので、
「品質」という概念を含まない。

ここには、日本の「職人気質」が存在しない。

最近の日本人は、こういった軽薄な価値観に
毒されているのだろう。
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この回答へのお礼

正しいと思われます。その通り、特にマスコミが率先してキリスト教的価値観を普及しだしました。その価値観は、無意識に人の価値観を一方向に縛り付けるという巧妙なやり方です。

お礼日時:2023/10/01 12:47

『天国の』は存じませんが、『結果を出す』という言葉、サッカー選手だか何だかが使い始めてときに、凄く違和感を感じました。

今でも感じます。

その他、このごろ耳障りに感じるのが『全米が泣いた』、『絶対に負けられない戦い』ですね。全米って誰よ、絶対に負けられない癖に負けてるじゃないか、挙句負けた瞬間に急に言わなくなっているのは何でだと。

>人がやるから自分もやるという無責任性を表していないでしょうか?

流行らせている側と、乗る側の無責任さの相乗効果ですね。
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この回答へのお礼

サッカーが震源地でしたか!ろくなことをしないんだ。かっこつけたつもりかもしれないがそれに便乗する人間がこんなにいたとはね。ところでなんで『全米が笑った』ってないんでしょうかね。『絶対負けられない戦い』なら負けたら本来生存していないのにですね。

お礼日時:2023/10/01 21:52

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