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パレスチナ問題について質問なんですが第一次大戦後にパレスチナにユダヤ人が移住してきた当初からパレスチナ人は異教徒、異民族としてユダヤ人を敵視してましたか?
それとも普通に受け入れてましたか?

A 回答 (9件)

第一次世界大戦後すぐにパレスチナへ移住したユダヤ人は、地元から結構嫌われていたみたいです。



第一次世界大戦以前の19世紀末、東欧やロシアでユダヤ人迫害が過激化したため、東欧やロシアのユダヤ人はいろんなところへ移住して行きました。
その移住先の一つがパレスチナなのですが、そのときユダヤ人たちは不在地主から農地を買い取って入植し、そこに住んで耕作していた地元の小作人を追い出していました。
そのためパレスチナでは職と住む場所を失った者が多く出て、その怒りは移住してきたユダヤ人たちに向けられました。
そうやって流民が多く出たり、住民たちが露骨に対立するようになっていくのは問題だということで、ユダヤ人が移入してきたり土地を買ったりすることを規制するところまでになってしまいました。
その規制はオスマン帝国が第一次世界大戦に負けてパレスチナの土地を失ったことでとかれ、新たな支配者となった英国は積極的にパレスチナへユダヤ人を移住させようとしました。
そういう経緯があったので、第一次世界大戦後に移住してきたユダヤ人たちも、地元から結構嫌われました。
(ユダヤ人の多くは地元慣習に従わず自分たちのやり方を通す傾向があったので、そういう態度が気に障ったという話もあります)
そういう対立が過激化して、1920年代ごろから移住してきたユダヤ人とパレスチナ人との間で抗争が散発的に起こるようになったのですが、それがパレスチナの紛争として現在まで続いています。
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>移住してきた当初からパレスチナ人は異教徒、異民族としてユダヤ人を敵視してましたか?



いいえ。パレスチナ人は定住して町を作るという動きをしませんでしたので、「何か、定住している人がいるなぁ」程度の感覚。土地の売買も「まぁ、金をくれるらしいし」という程度。

それが敵視に繋がるのは、移住してきたユダヤ人の定住者の数が増えてから。土地を売っているのに、売ったという感覚もなく盗られたと思い、好き勝手にできないことに不満を持ち始めてからです。
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>それとも普通に受け入れてましたか?


故郷を追われる側が受け入れるはずがないでしょう。
受け入れられないから、中世に十字軍で攻め込んだのでしょう。
軍事力で奪われた物は軍事力で奪回するしかないのです。

国際連盟や国際連合の主要国はキリスト教圏の国で占められています、
宗主国のオスマン・トルコが衰退したらパレスチナの声は国連には
届きません、言われるが儘にするしかないのです。
パレスチナには悲しいかな今も昔も防御するだけの軍事力がなかった
のです、小が大に抵抗するにはテロ行為しかないのです。

極東に住む日本人には、民族と宗教がモザイク模様のオリエントの
世界は理解不能です。
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普通に受け入れていました。



宗教が違う、というだけでは
対立しない場合が多いのです。

その間に、経済格差などがあると
始めて対立が始まるのです。

そういうことで、
彼の地は、宗教が異なっていても
上手くやっていける例として
取り上げられていました。

以上、ソースは NHK 高校講座 世界史。


その後、ユダヤ人は。

ナチスに迫害された、
これは祖国を持たないからだ。

ということで、世界の同情を武器に
続々と、パレスチナに移住し
アラブ人を追い出して
イスラエルを建国しました。

追い出されたアラブ人数百万はホームレス。

居残ったアラブ人も、塀で囲まれた狭い場所に
押し込められ、失業率70%の
極貧生活。

その一方で、ユダヤ人は日本以上の飽食。

紛争が絶えないのは当然です。
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1417年。

第1次大戦中。当時パレスチナはオスマン帝国の領土。
イギリスはオスマン帝国と戦争中。

バルフォア宣言:
イギリスは、戦費調達のためにユダヤに「お金を出してくれれば、パレスチナにユダヤ人居住区を作る」と約束。

フセイン・ホフマン協定:
オスマン帝国内のアラブ人に「反乱を起こしてくれたらアラブ人の国を建国する」と約束。

サイクス・ピコ協定
フランスとロシアに「この戦争に勝ったら、オスマン帝国を山分けしよう」と約束。

戦争はイギリスが勝利したが、約束はすべて反故。
ユダヤとアラブの対立は激化。
イギリスは対応を国連に委ねて逃亡。

ここで、国連は土地の分割を提案。
ところが、とんでもない分割案。
  アラブ系:47%
  ユダヤ系:53%

ユダヤは「安住の地が得られる」と分割案受け入れ。
アラブは「なぜ50%ではないのか」と反発。

1947年、国連は「パレスチナ分割決議」を採択。
1948年5月14日:イスラエル建国宣言

この裏には、経済に影響力が強いユダヤを無視できないアメリカが、国連に圧力をかけて、イスラエル優遇の不平等な内容とした。

1948年5月15日:イスラエル建国宣言翌日
レバノン、シリア、ヨルダン、イラク、エジプト(アラブ連盟5カ国)はイスラエルに宣戦布告。
第1次中東戦争勃発。

イスラエル勝利:アラブの土地を奪う。
        パレスチナは「ガザ地区、ヨルダン川西側地区」だけに。

1956年、第2次中東戦争
1967年、第3次中東戦争
1973年、第4次中東戦争

すべてイスラエルの勝利。
バルフォア宣言通り、パレスチナをすべてユダヤのものとする。

国連:占領は国際法上認められない。
   「ガザ地区、ヨルダン川西側地区」から撤退せよ、と通告。
イスラエル:拒否

1993年、オスロ合意(ノルウエー仲介)「共存が良いのでは」
イスラエルは「ガザ地区、ヨルダン川西側地区」から撤退。
パレスチナ暫定自治、5年間を認める。
パレスチナは住む場所を奪われたまま。

紀元前2000年頃までは、アラブもユダヤも共存していたのです。
紀元前1300年頃、アブラハムが神のお告げを聞いてからおかしくなった。
その後、モーセも神のお告げを聞き、ユダヤ教の基となる「十戒」を神から授かり、紀元前1000年頃イスラエル王国を建国するに至る。

場所的に重要なので、その後アッシリア、バビロニア、ローマ帝国、オスマン帝国の支配下となり、ユダヤは欧州に離散したが、「神との契約によるユダヤ人の国を作る」というシオニズムによって、イスラエルは建国されることになるのです。

パレスチナとユダヤは4000年対立してますよ。
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あの地域は、遡れば、2000年以上続く問題なので、簡単じゃないですね。

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1920年代には衝突が何度も起きています。

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自分に置き換えた話とするならば、いきなり中国人が大量にやってきて、2000年前はオレたちの土地だったから日本人は出ていけ、と言って日本の領土の半分を自分たちのものにしたのです。


なので、住んでいたパレスチナの人々が『ようこそユダヤ人の人々』などと言うわけもなく、イスラエルができた翌日から戦争です。
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この回答へのお礼

土地を半分取られたのは最終的な話ですよね?
自分はユダヤ人が移住してきた当初のパレスチナ人とユダヤ人の関係を質問してます。

お礼日時:2023/11/03 18:35

逆でもあります。

大昔にイスラエルに住んでいたユダヤ人を周辺の国が追い出したんです。シリアがアッシリア、イラクがバビロニアと呼ばれていた時にユダヤ人を追い出した。

居すわった人の一部がイスラム教徒の一部も認めるテロリストのハマスで、今回のテロです。

共産ゲリラの日本赤軍がテレアビブ空港でテロを起こした事もあるので、彼ら共産系はテロリストに仲間意識があるかもしれません。
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