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大東亜戦争で日本が敗北した理由のうち、
指揮官の能力
兵器の性能
工業生産力を含めた物量
の内度の比重が最も大きかったと思われますか?

A 回答 (8件)

物量が8割、9割。


大量生産もそうだし、大量適用もそうだし、それを動かす油にしてもそう。それを総じて兵站能力と呼ぶ。
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大東亜戦争は、勝てないまでも、ドロー(引分け)に持ち込むことができた戦争でした。

それなのに負けてしまったのは、軍の指導層の能力に原因がありました。

中でも、開戦劈頭に真珠湾の米軍基地を攻撃した山本五十六連合艦隊司令長官の戦略は最悪でした。これで日本の敗北が決まったようなものです。
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大東亜戦争での大日本帝国の敗北の原因については、多くの要素が影響を及ぼしたため、一つの要因を絶対的に大きくすることは難しいです。

ただし、以下の要素が大きな影響を持つと言われています。

1. 能力の面:陸軍指揮官の能力や戦略の質は重要な要素でした。戦争の指導者や将軍の戦術や判断が戦局に影響を与えることがありました。

2. 兵器の性能:兵器の性能や技術的な優位性も重要でした。特に終戦時には、大日本帝国の防衛力の劣勢が明らかになりました。

3. 物量と工業生産力:戦争では物量や兵器の供給も重要でした。大日本帝国は資源の制約や経済力の限定性を抱えており、資源不足や経済的な制約が戦争の進行に影響を及ぼしました。

これらの要素は相互に関連しており、国家の総合的な戦力や戦争遂行能力に影響を与えました。ただし、個々の要因の比重を明確にすることは難しいです。
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①指揮官の能力


 まともだったらそもそもアメリカと戦端を開かないですね。
②工業生産力を含めた物量
 実は戦費の大半は中国大陸に費やしていたんです。物量も同じ。
③兵器の性能
 性能自体よりも品質の均一化ができていませんでしたね。

 だと思います。特に戦略的目標を固定しなかったことと、ロジスティクスを軽視したことは致命的だったんでしょう。余談ですが、現代の日本の車は衝突安全性能では世界のトップを争っていますので、零戦の反省を生かしたことになりませんかね。
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>指揮官の能力



日本人の根性論好きと特攻好きに手柄は自分で失敗は部下のせい。
こういう所は今も残っていますね。

>兵器の性能

連合国から見た独の戦車はモンスターやビーストと呼ばれて日本の戦車はブリキ缶と呼ばれていました。
零戦も活躍出来たのは初期だけで軽量化で乗員の命を守る的な考えのないハリボテです。(現代の日本の自動車も同様です。)

>工業生産力を含めた物量

鉄鉱石等の資源の無い国なので寺の鐘や家庭の鍋釜等の回収で粗末な原材料の兵器を製造しました。

比重は自分で決めて下さい。
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トータルで見れば「工業生産力を含めた物量」です。

戦争とは《物量を大量に消耗させる能力の勝負》ですから、当時アメリカと日本の生産能力は30:1で、長期戦になったら日本の物資が不足するのは目に見えていました。

これはウクライナ戦争でも同じで、ロシアにウクライナが長い間対抗できるのは、欧米各国が兵器や弾丸などの支援をしているからです。

とはいえ、日本は日清戦争・日露戦争でも《生産能力などが日本よりもずっと大きい相手と戦って勝ってきた》ので、戦術を間違えなければ「勝てた」可能性はあるし、少なくとも「負けてない状態で講和」することもできた、と推測できます。

なので最終的に日本が「敗北」に至った理由は、指揮官の能力、特に最上級指揮官の戦略能力の無さが大きな原因だといえます。

そもそも、陸海軍の幕僚は御前会議で「対米戦争やむなし」と発言はしても「対米戦争をして勝てる」と発言した人は一人もいませんでした。つまり「こうしたら勝てる」または「こうなると負ける」という会議はしないし「そうなる前に戦争を止める」という段取りもしてないのです。

それでいて「戦争になったら勝てると思います」ではやる前から負けています。つまり「日本がアメリカと戦争するにあたって、どの程度の実績があれば勝ちとするか?なにが日本の国益なのか?」と全く考えていなかった、わけです。

そんな指導者層が戦争を開始したのですから恐ろしい限りで、大東亜戦争に日本が負けたのは100%戦争指導者の責任です。それは「戦争をやるかどうか、判断すること」自体を避け、敗戦自体も天皇陛下のご聖断がでるまでぐずぐずと続ける愚かな連中だったからです。
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絶望的に【工業生産力を含めた物量】が劣っていたんです。


山本五十六や米国事情に詳しい首脳陣は解っていたんです。
ですが時の政府主流派(陸軍)に押し切られた末開戦になった
のが現実でしょう。
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総合的な国力


或いは
現場指揮官ではなく、国の方向性を決めるような国家の指導層

所詮、東條さんは連隊長程度の器でしかなかった
試験勉強は優秀な成績だったけどテスト問題には対応できても
国家を指導するような能力は無かった
それなのに、陸軍の権力闘争の中でうまく生き残ってトップに立ってしまったのが悲劇<ー東條さん本人にとっても
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