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戦前は、天皇が地方を訪れただけなのに、そこに記念碑が建ちましましたが、今では、天皇が地方を訪れただけでは、その場所に記念碑は建ちません。憲法で主権が、国民に代わっても、天皇は国民の象徴です。なぜ戦前は、天皇が訪れた場所に記念碑が建ったのに、今は建たなくなったのでしょうか?

A 回答 (8件)

戦前の天皇は、単なる象徴では無く


国家元首であり、総ての権力の統治者
で、神格化されて
いたからです。

天皇ては、元来はローマ教皇みたいに
神と人間を媒介する存在だったのですが
西洋列強の侵略に対抗するため
明治政府が
天皇を神格化し、軍国主義化したのです。


明治憲法

第1条
大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す
第3条
天皇は神聖にして侵すへからす
第4条
天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行ふ
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江戸時代だって別に記念碑なんて立ててないのだから、分かりませんか? 自分がおろかだってw

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戦前は、地方に行かれることは、めったにありませんでした。

行くときも、宿泊施設や視察先は決まっていて、それ以外というのは珍しいことでした。本来、訪問されないようなところに来られると、記念碑ぐらい建てたくなるでしょう。天皇=神様扱いでしたから。
終戦時の玉音放送、人間宣言などで、天皇の地位が低くなったことと、進駐軍の睨みが利いてたので、天皇を必要以上に持ち上げる行為は自粛。その後、平成天皇の被災地慰問などで、天皇の訪問は珍しくなくなりました。
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皇室のニュースなどを見ていると


例えば被災地の慰問でも
天皇家はしゃがんで話をされています

戦前では考えられなかったことです

握手をされて
ニュースでは字幕に
「手を離さない!」などと出ていましたが
本来であれば
天皇は自国民とは握手はできないことになっています

とまあ
そういうことで
時代が変わったのです
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戦後だからじゃないですか?

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今でも御手植えの木なんか立て札立って大事にされていますよ

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戦前は、神格化されていて、神様が来てくれた、ありがたやと、


地域の誉れと記念碑を立ててただけです。

人間宣言されて、公務員のように日本の顔として外交などに
務め、被災地があれば、心配し訪問するくらいです。

簡単に言えば、戦争に負け、軍国から民主主義化されたためです。
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おそらく、戦前は天皇陛下が地方にお出ましになることがあまりなかったので、数少ない行幸があった場所では、地元の栄誉として記念碑を建てたのだと思います。


今の天皇陛下は国民と共にある存在ですから、どこにでもお出ましになって、ありがたみが減ったのでしょう。
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この回答へのお礼

>戦前は天皇陛下が地方にお出ましになることがあまりなかったので

それは違います。私の地元の名古屋では、大正天皇、明治天皇が軍事演習を行われた時に訪れた記念碑が建っていますよ。

お礼日時:2024/01/27 14:29

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