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昔、キリストやらマリア様やらの像を踏め。
踏まねば処刑という時代があったそうですが、

踏み絵を踏まずに死ぬ人を美化される風潮がありますが、ある意味不信心ではないかな?と思うのですが、どうでしょうか?

理由として、キリシタンは自殺禁止だそうで、
踏み絵の素材は、誰かの作った偶像であり、
キリストやマリア様などのものではない。他人がシンボルとして作ったものを、私は敬虔な信者ですと言いたいために踏まずに処刑される。

踏まねば死ぬのに踏まないのは自殺と同じ。
私の偶像物を踏むくらいなら死ねと言う教えはないと思います。むしろ、死ぬくらいなら踏むのをキリストなりマリア様は望んでいたと思うのですが、

とうでしょうか?

A 回答 (23件中21~23件)

>踏み絵の素材は、誰かの作った偶像であり、


じゃあキリシタンが持ってるキリストやマリアはどうやって作ったんですか?
それだって誰かが作った偶像ですけど?
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この回答へのお礼

そうですね。それがなにか?

お礼日時:2024/01/28 15:47

「踏み絵を踏まずに死ぬ」というのが


よくわからない

踏み絵を踏まない人が
なぜ美化されるのかもよくわからない

何か勘違いしていませんか?
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どちらにしても神などおらず、ましてやたかが絵を踏んだところでなにか自分に起きるわけでもない。


命を犠牲に自分のプライドを守る行為はよくわかりませんね。
絵を踏まなかった本人の気持ちの問題でしょう。
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この回答へのお礼

そうですね。他人の描いた絵を踏んで死ぬのはどうかと思います。

お礼日時:2024/01/28 15:46

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